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夢の底にあるもの

あまりにもリアルな夢を見てしまった時、それが現実なのか、夢なのか分からなくなる時がある。
夢が人為的に作られるようになった世界では、そんな感覚が日常となるのかもしれない。
夢から覚めたらまた夢だった、なんていうことも起こり得る。
では、夢の夢の夢のさらにその先の夢とは一体どんな世界になるのか。

夢とは、人間の潜在意識化にある記憶が再生されたものである、といった説もあるが、マトリョーショカ人形のように夢の層をめくっていった先に、最後に残るものは、どういった記憶になるのだろう。

ハリウッド的には、それは”愛の記憶”ということになるのだろうか。

アカデミー賞を受賞したクリストファー・ノーラン監督のインセプションでは、人の”夢”を人為的に操作するテクノロジーを開発した、レオナルド・ディカプリオ演ずる主人公コブを巡るドラマが描かれる。

この映画の中で一際印象的だったのは、人為的に作られた夢の世界の中に登場する写し鏡の場面だ。並行して並べられた鏡の中に映し出されるコブとその相方。鏡の中に映る私は、一体どの私なのか。そして私とは一体何者なのか。
鏡に映っているのは夢の中の自分だから現実ではない。この場面は夢の中の夢、といった世界を再現するものでもあるし、自己の実在について問う場面でもあるのかもしれない。

この場面を見ながら、レアンドロ・エルリッヒの作品、「試着室」を思い出した。何年か前に六本木の森美術館で開催されていた時に展示会を観に行ったが、何枚もの鏡に映し出された世界に入ると、迷路に迷いこんだようだった。

エルリッヒも描きかったのは、己についての問だったのだろうか。

先日、NHKスペシャルでノーラン監督が取材されている番組をたまたま見たのだけれど、ノーラン監督は、「解釈」を観る人に押し付けないようにしているのだという。

その言葉どおり、この映画には様々な解釈が可能であり、文学作品やアートを観ているような感覚を与えてくれる。

夢の中の夢のさらにまたその先にある世界。最後に残るのは、自己についての問ではなかったか。私なりの解釈ですが、皆さんはどう解釈されますか?


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