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独りでは見つけられないリーディングの世界 №.4

本当の私はどうしたいのか?

心理学など、心について学ぶようになると、生理的欲求、安全の欲求、所属と愛の欲求 、承認の欲求、自己実現の欲求の5段階に分類するものを学ぶことになります。

生理的欲求が満たされない場合など、ネグレクト(育児放棄)などがあります。これらはセルフネグレクトなどに繋がり、自分自身で自分の世話や面倒を見ることが出来なくなり、視野が狭くなり思考力が低下してしまい、新しい発想や好奇心そのものが欠落して、次の一歩さえ「何をしたら良いのか解らない」状態に陥ることがあります。
このような場合は、市役所など支援を受けることをオススメします。
リーディングはオススメしません。
生活困窮する方々には生活の保障の方が重要です。
仕事が出来、自身の努力で自活出来る人、もしくは扶養されており支援が得られる段階の人が側にいる場合、リーディングの道が開けるものです。

安全の欲求が満たされない場合など、暴力、暴言などの虐待や、働いても家族や知り合いに給料を渡さなければならない状況に追いやられていて、生活は出来ていて「私はマシな方」と、自分より酷い仕打ちを受けている人を見ては、「まだ大丈夫」と感じている人は、危険信号が出ていると知っておいてください。
このような場合も、その環境から抜け出すことを念頭に動けるかどうか、助け出してくれる人がいるのかどうか? 腹の底の気持ちを打ち明けられる人がいるのかどうか? よく考えてみてください。
いない場合は、市役所など支援するところへご相談ください。
リーディングを習うことや、リーディングセッションを受けることが、家族に打ち明けられるなら大丈夫ですが、打ち明けることで暴力が増したり、サイト閲覧を禁じられることになる可能性があるなら、まず環境を変えて脱出することから始めてください。
身の安全の確保は、自らがどんな目に遭わされようとも、「この環境よりマシに違いない」「この環境より劣悪になろうとも、ここに居たくない」と決心することの方が先だと伝えておきます。
リーディングに触れるのはそれからでも遅くありません。

所属と愛の欲求が満たされない場合など、不平や不満、聞きたくもない話に付き合わされるなど、自分が欲しいものに対して、自己犠牲をして関わる場合に起きる症状です。
必要なものを得るには、必要なものを失う必要があるという、「何かを手にするには、何かを諦めなければならない」とした発想です。
こうしたものは、愛で満たされることはなく、「愛の定義」や概念そのものが間違えている認知の誤りから来ることが多いものです。
こうした方々には、本を読むなど知識を得ることはとても有効な手段になります。
自身が何故満たされない気持ちがあるのか?
それを冷静に見つめ、感情がどのように湧き立ち、自身の心を不満で覆い尽くしていくのかを思慮するには、リーディングは有効な手段になります。

承認の欲求が満たされない場合など、関わる家族やパートナーに当たることがある為、コミュニケーションがうまく取れなくなったりします。上司や部下や同僚などや、趣味で繋がる交友関係でも、ふとした瞬間に溝が生まれ、些細な事柄から喧嘩や修復出来ない問題に発展することがあります。
リーディングは、こうした部分にとても有効に機能するものです。
故に、マインドフルネスなどのセルフケアがもてはやされるのです。
広く知識を集めることも出来る為、「自分に合った方法」を見つけ出して欲しいと願うものです。
この承認の欲求は、「自分の都合に合った承認が欲しい」ものである為、大変利己的なエゴ(本人だけが喜ぶ欲望のこと)に偏ることが多く、自分の感情などの気持ちの動き方が正常だと認識してしまう欠点を抱えています。
誤解しやすい心が、この承認の欲求には隠れている為、「良いものを悪く感じ」「悪いものを良く感じる」という認知の誤りが生じることがあります。
「解っているけど、やめられない」
そういった類いの事柄です。知識が備わっても、感情の方が優位に働く為、制御不能になり、心配してくれる人、そのダメな姿を愛してくれる人を払い除け、我が道を走る恐れが隠れています。
これらは、人に相談できなくなる為、心理カウンセリングさえ受けたくなくなる傾向があるものです。「お金を払ってまで、診てもらうようなものではない」と感じるようなものです。
その感じ方が、適切なのか利己的なエゴの逃避する発想なのか、分析、洞察する知性や理解力が自分を助けるか、見捨てるのか、自分で自分を承認するかの分かれ目となるものです。
リーディングする力や、リーディングセッションは大いに役立つものです。

自己実現の欲求が満たされない場合など、仕事が出来ない、やりたいことが見つからない、やりたいことをしているのに上手く行かないなど、ビジネス要素と共に、本来の純粋な気持ちが不可欠なものの領域がここにあります。
左脳的なやりたくなくても出来てしまうビジネス要素と、右脳的なやりたいことしか出来ない芸術要素がリンクして機能すると、自己実現の欲求は満たされていくものですが、この左脳や右脳の連携が上手に機能しないことで、不満に繋がるものです。
リーディングは、こうした状態の方々にも有効に機能するものですが、リーディングだけではどうにもならないものもたくさんあります。
リーディングは自分との対話から始めるものですが、ビジネスや自己実現は、他者と有効的なコミュニケーションを図ることで形成されるものです。
リーディングのみに特化するばかりではなく、技術的な要素も習うことは大切だと教えるものです。
故に、書物など本をよく読むことや、最近ではYouTubeなどの動画メディアから学べることもたくさんあるので、それらに触れて、自分の言葉で解説出来るように技術を学ぶだけでなく、それを伝達することに意識を向けると良いです。
リーディングの力となる、「小さい私」と「大いなるわたし」は、純粋な真心に従わせるものなので、自己犠牲を伴うような「したくなくても儲かるからやりたい」というビジネスとして割り切って行動する心は、自滅的であり本質的では無いため、ここではオススメ出来ませんし、「やめましょう」と促してしまうものです。
精神的に「したくない犠牲感で、手に入れた報酬によって願いを叶えることは、最後には自分が犠牲に晒されて終わる」ことになる為、「儲かることでも、したくないならしないこと」と教えます。
純粋な気持ちである美しい心が「大いなるわたし」となるものですから、穢れてしまった醜い心が「小さい私であり、分離した嫌っている自分」である為、それらが対話することで見失った心を取り戻し、本当にやりたかったことを見つけ出していくことがリーディングの本質となるものです。

実は5つの欲求の他に6つ目のものが存在しています。
自己超越の欲求というものがあります。リーディングはまさに、これまでの自分を越えて、新しい自分に出会う方法論でもあります。
どうしても自分の殻を破れない。
やりたいことも出来ている方だと認識していても、悩むほどのことでない問題なら幾らでもあるけれど、どうしても手に負えない存在たちが周りに居ることがあるのです。
これまででは対応出来ない自分と、これからの私なら対応出来るとするのが「自己超越の欲求」であるなら、それを与えてくれるものがリーディングとなります。
リーディングは、他人の悩みを読み解くことも出来るからです。
この力により、私はマスターの称号を自ら名乗ることで、他者が抱え持つ深層心理に隠されている不確かで、本人さえ言語化出来ない問題さえ、読み解くことをしています。

リーディングすることで、未知なる自身と出会い、どうすることも出来なかった周りとの関わりさえ、改善する切っ掛けを得られるものであると伝えます。

リーディングは、独りでは出来ないものです。
これは、心を孤独化させた状態では不可能だという表現です。
人間の人数として二人や三人いれば、リーディング出来ることを示しているのではなく、心の中にいる様々な個性の心たちが、孤立化したままで自己主張している状態では、リーディングにならず愚痴や雑念と呼ばれることを「シンキング(考えている)」と扱うものです。

独りでも出来ることがシンキング(考えている)ことです。

シンキングとしても、ポジティブシンキングもあります。
しかし、リーディングはポジティブシンキングに勝るものが秘められているもので、曖昧な「心」と「心」の対話から、明確に「小さい私」と「大いなるわたし」との対話とした認識による位置づけが可能になるものです。

リーディングは、様々な「小さい私」と対話することになるものです。必要なことは「小さい私」が成熟することですし、「小さい私」が解釈や発想の転換など、意識を自由自在に動かし、閃き降ろせるように高まることです。

人と人との繋がりがとても大切で、友だちなどかけがえのない仲間たちとの共同作業は重要なものがあります。
その中でも、友だちとの間や、大切なパートナーや、家族との間では解決出来ない問題が生まれるものです。
心理的な人とのコミュニケーションを成立させ、回復させ、より良くする為にリーディングは必要なものだとお知らせするものです。

リーディングに関心はありませんか?

「はい」と答えて、進むことが人生を変革する一歩になります。

リーディングに関心はありませんか?


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