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『正欲』レビュー(続き)、キャリコン映画レビュー


一度下記でレビューした『正欲』ですが、別角度で続きとしてレビューいたします。

擬似家族というキーワードで考えてみました

最近では擬似家族ものというと『万引き家族』がそうですね、擬似家族として暮らしながら万引きを繰り返す”一家”の話でした。先日レビューを書いた川上未映子『黄色い家』もそうでした、家族に捨てられた人々が黄色い家に居場所を見出すのです。あと今週終わったドラマの『いちばんすきな花』は、ゆるい繋がりで一軒の家によって繋がりを保っていました。

他にもあるかもしれませんが、擬似家族が”家”に居場所を見出すと言う構造の話がわりと見られるように思います。共通するのは血のつながった家族からは阻害されたり、暴力を振るわれたりして距離を置いていると言うことです。それでも一人で生きていくのはきついのでいろんな繋がりで一緒に暮らすことになるケースが多い。

『正欲』では、桐生夏月(新垣結衣)と佐々木佳道(磯村勇斗)は本人たちが擬態と言う言葉を使う通り、普通の夫婦に擬態することでこの社会に居場所をつくります。この擬態という考え方は面白いですね、『万引き家族』も同様ですが彼らは決して社会のアウトサイダーではないのです、社会からドロップアウトしたり、反社会だったりする訳ではない。むしろ社会に紛れ込もうとしています。紛れ込むための擬態が、夫婦であり家族を演じることなのです。

60年代生まれのシニア世代ですとここはわかりにくいんですよね、例えば我々に分かりやすいのは『イージーライダー』、『タクシードライバー』とか尾崎豊っぽい反抗、反逆の構図というカウンターカルチャー。我々世代はこのイメージが刷り込まれているので擬態して社会に紛れ込むという人の心境が分かりにくいんです。

夏月と佳道は、”普通”を強要する人々にイラッとする気持ちはあるんだけども”普通”への反逆を企てる訳ではなく、少しは”普通”もいいなと思っている。だから擬態する、布団で体を合わせるとこれはこれで悪くないなとも思う。この感覚はカウンターカルチャーのような昔ながらのフレームでは整理できない人々だと思います。

一方で他の登場人物は昔ながらのフレームで整理できます。正義を振りかざすが高圧的な寺井啓喜(稲垣吾郎)、トラウマ大学生神戸八重子(東野絢香)、ペドフィリアの先生。彼らに心的な問題を発見しそれを治癒することで何らかの解決ができる可能性がある。
でも、主役の水フェチ3人は桐生夏月(新垣結衣)と佐々木佳道(磯村勇斗)、諸橋大也(佐藤寛太)については、カウンターカルチャーでは括れないし、心の内面の問題を発見することも困難です。私のような旧世代からすると大変厄介な存在だと言えましょう、、、もしかしたらこういう世代というのが現代っぽいということかもしれません。

そのような厄介さに気付かされること含めてこの映画とても興味深いものがあります。

ではでは





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