冬眠していた春の夢 第22話 10年前の事故①
【10年前の5月末】
その年、美月の母・成瀬緑は、くじ引きにより子供会の会長に選任され、何かと気忙しい日々を送っていた。
その日も、夏祭りのための会合に向かう準備をしていたところ、美月の兄・春馬のクラス担任から電話があり、春馬がこのところ全く宿題をやってこないので、家でちゃんとやってくるように言ってほしいと言われ、急いでいる中、帰ってきた春馬に説教をしなければならなかった。
会合がなければ、付きっきりでやらせるのに…と、緑は歯がゆい思いだった。
平の会員だったら休む事もできたけど、会長という立場上、行かないわけにはいかない。
緑は帰ってきた春馬に、今日は絶対に遊びに行かずに、家で宿題をやりなさいとキツく言い聞かせたが、春馬は、
「えー!リョータとハッチと約束したんだよ!帰ってきたらやるから」と、食い下がった。
緑と春馬の攻防が続き、会合の時間が迫っている緑は焦っていた。
そこで、いつもならまだ3歳の美月は会合に連れて行くのだけど、春馬が遊びに行かないよう「お兄ちゃんが外に行かないように見張っておいてね」と言い、美月を家に置いていく事にした。
春馬には、「お兄ちゃんなんだから、絶対に美月を1人で家に置いて遊びに行く事のないように!ちゃんと家にいて宿題をやりなさいね!」と念を押して会合に向かった。
まさか3歳の幼い妹を1人で家に残すなどという無責任な事はしないだろうと、緑は自分の息子を信じた。
でも、それなら友達に電話をさせて、約束をキャンセルさせるまですべきだったのだが、時間が迫っている焦りから、それを怠ってしまった。
春馬はフテくされながら、リビングでダラダラと宿題をやり始め、美月はその近くで、兄の真似でもするように、スケッチブックにクレヨンで絵を描き始めた。
しばらくそうしていると、勝手口の方から、「春ちゃん!ちゃんこ〜!」と呼ぶ声がして、お隣の恵子おばちゃんだとすぐにわかった美月は、「はーい」と言って、勝手口の方へ向かった。
「これ、パウンドケーキ作ったから、春ちゃんと一緒におあがんなさい」
「わーい!ありがとう!おばちゃん」
美月がパウンドケーキの乗ったお皿を受け取り、ニコニコしながら戻ってくると、リビングに春馬の姿はなかった。
「お兄ちゃん」
あたりをキョロキョロと見回した時、門扉が閉まる音がして、窓の外に、春馬が走って行く姿が見えた。
母から「お兄ちゃんをしっかりと見張っておいてね」と言われた美月は、すぐに靴を履いてその後を追った。
春馬が向かったのは、よく行く近所の神社だった。
公園と違って人があまり来ない境内は、かっこうの遊び場だった。
春馬はいつもそこで友達とキャッチボールをしたり、裏山に秘密基地を作ったりして遊んでいた。
美月は兄の姿を見失わないように一生懸命走ったが、小学3年生男子の足に、3歳児が追いつく筈がなかった。
神社の境内に着いた時には、もう春馬の姿はなかった。
それでも、裏山の方から、少年達の声と共に、小枝を折って歩く足音が聞こえ、背の高い草が揺れているのが見えたので、美月は迷わずに山を登り始めた。
最初はなだらかだったのに、途中から傾斜がキツくなっていき、美月は殆ど四つん這いのような姿勢で登って行った。
だが、登っても登っても兄の姿は見えなかった。
「お兄ちゃん!どこ〜?」
美月が大きな声で兄を呼ぶと、「あれ?美月ちゃん付いてきちゃってんじゃない?」と男の子の声が聞こえた。
美月が声のする方を見ると、兄達の姿は見えなかったけど、視線の先に奇妙な草があるのに気づいた。
花なのか葉なのかわからないが、長い舌を出してこちらを見ている生き物のように見え、生き物が好きで爬虫類も虫も特に怖がらない美月は、惹きつけられるようにその草に手を伸ばした。
その時、
「それ、ウラシマソウっていう毒草だぜ。触ると死んじゃうんだ」という春馬の声が聞こえた。
「イヤーーーー!」
美月はビックリして叫び声を上げると同時に、山の傾斜を転げ落ちて行った。
その姿を見た3人の少年は、大慌てで美月を追った。
小さな身体は鞠のように転がり、ようやくガシャンという金網の音と共に止まった。
山の反対側斜面の下の方にある、用水池を塞いでいる錆びた金網の上に美月は落ちていた。
それを見た春馬は、すぐにその金網に乗って、美月を抱き起こした。
「春馬!気をつけろ!オレらが美月ちゃんを受け取るから」
ハッチとリョータは手を伸ばして美月の腕を掴んだ。
その瞬間、ガシャンドボンという大きな音と共に、錆びた金網が切れて、用水池の中に春馬は落ちた。
ハッチとリョータはなんとか美月を引きずり上げ、溺れている春馬に手を差し伸べたが、途中から切れた金網が邪魔して、なかなか届かなかった。
空を覆う灰色の分厚い雲が、雨粒を落とし始めた。
第23話に続く。
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