死んだ方がいい。


更年期の症状が出まくり、

うつ。

脳波を調べにいき、うつ病の脳波ということがわかり、

ああ、今の自分はまともではないんだ、と言うことがわかってから、


それがわかったこと、

それを受け入れられたことを良しとして、


イライラや爆発する感情、

うつ状態のときの気持ちや

脳がなにかを訴えるかのように、

パニック発作を起こしたりと、

とにかく爆発する症状から、

自分と向き合う、ということをしてみた


今までも自分と向き合うことが好きだったけれど、

きっと、砦になっていた大きな門を

開けずにいたのだと思う。


それは、

自分を貶めることだったり、

小さく見せることだったり、

ごまかしに気づく必要があるから、



それは大きな痛みを伴うから、

怖くて仕方がなかったのだと思う。



だから、


更年期と言う体の変化が起きる時期に、

脳の海馬あたりのホルモンが影響するときに、


過去の記憶が思い出されて、


「偽り」があぶり出された。


大きな痛みは伴うけれども、

これをしっかり見つめることが、

本来の自分を取り戻すことができて


そして、

何かしらの役にやっと立てるような、

美しさの扉の取っ手に

手をかけることができるのではないかと思う。


今までの誤魔化してきた自分は、

死んだ方がいい。



この期間に、わかったこと。


幼少期に自分がつくりだした、


「安心できる場はどこにもない」

と言う精神的な傷を受けていたことを、


そして自分が何より、

それを傷だと思っておらず、

そこから本当の自分の気持ちを偽り出したと言う、

スタート地点を見つけることができた。

これを発見できた事はとても大きい。



何より、

私はあらゆることに対して、

偽り、ごまかし、嘘をつき、

生きてきてしまったのだと言うことに、

愚かにも気づいていなかったのだ。



いわゆる自己肯定感が非常に低いのだと言うことであり、

今までしてきた事は、

それを満たすものであった可能性が非常に高く、

もちろん全てがそうだとは思いたくは無いけれど、

その濁りがあった事は事実だろうと思う。




その濁りがない時もあったから、

全てではないと思いたい。



ただし、

思い上がることなく、

偽らないと言う事はどういうことなのか、

自己のあらゆる欲求において

素直に、正直に、まっすぐに表現するということに、

意識を向けて、


さらに今までできていなかった、

行動とこの理解を一致させていくことに注力してみたいと思う。



頭でわかっていることと、

行動が伴っていないと言う事は、

そしてそれに気づいていなかったと言う愚かさは、

なんとも恥ずかしくみっともないことである。


そういう今までの自分は、

死んだ方がいい。



更年期の世代にもなるのに、

今までうまく切り抜けてこれる愚かな賢さを持っていたのだなぁと、

そしてそれが周りにわかっていたとしても

愚かな私に付き合ってくれて、

助けてくれようとしたり、



応援しようとしてくれたりする人がいると言うのは

優しい人達に囲まれ、恵まれている。 



ただ、その中にいると気づくことができないのも事実。


小さな小さな小山の頂点で、

心地よく過ごせる居場所を作ったに過ぎない。



そこで承認欲求を満たしていたのだろうし、

そこでは私がルールでいられると言う、

安心の場所を作りたかったのだろう。



私は、本当の自分を欺いてきた。

それが嫌で、逃げたり頑張ったりを繰り返して来たが、

開けていなかった扉を無かったことにしていたと思う。


少し自分を擁護してあげるとするならば、

人の話を聞かず恐怖政治を貫く母と

(今思えば彼女も更年期だったのだろう。
 自分もなってみてわかる)、

嫌気がさして出ていった父、


その母と残されたわたし、

過干渉と外面を守る母、

家は汚部屋、風呂も何も使えなくなる家で育ち、

本当のことを言うことができない環境の中で

周りに誰もわたしの味方がいなかった。

誰にも話せず、子どもでいることができなかったんだな、と、

そして傷ついていたんだ、ということ。


自分を護る術が、

だったのだろう。


自分の気持ちへの嘘、行動の嘘。

母を悪者にしたくない

父も悪者にしたくない

家族のピリピリした空気が痛くて悲しくて

悲しいも辛いも寂しいもいうことができなくなり

嫌だということができなくなり

受け入れていくしかなかったから

そこが自分が生きることができる場所だったから

そうするしかなかったんだもの。



という気持ちがあったことに、

この歳まで気づくことができなかった。


なぜなら、

父も母も、悪者にしたくなかったから、

彼らの人生が大変だったから、

可哀想な人達だから、という

憐れみを持っていたからなのかもしれない。

わたしだけはそこを理解してあげたいと

未熟なくせに思っていたのかもしれない。


結局は、

幼い自分がそんなことを選択したもんだから、


そこから、本当の自分を出すことができなくなり、

自分を欺き、

人を欺いてきた。


そうやって、欺くことを通して、

幼少期の私は、何を求めていたのだろうか。



わたしは、何を欲しかったのだろうか。

何が満たされずに、

その手段を取る必要があったのだろうか。


言い訳ではなく、

ちゃんと見つめて、

ここからの人生を生まれなおそうと思う。



身体も心も動かなくなる時期があったからこそ、

見ることができた、自分。


生まれ直すことができると信じて、

自分を信じられる人生を、

ひとつひとつ修正しながら進んでみよう。


きっと、してあげられるのは、自分だけだ。



痛く苦しいが、

これがなければ、わからなかったと思う。


ありがとう、更年期症状。

ありがとう、ホルモン異常。笑。


ということで、

今までの自分(本来の自分ではない自分)を

感謝とともに葬り、

自己修正。

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