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人との関係性を断ち切る”ひとりぼっち”モデル


親密になろうとすると自分でぶっ壊す

ザ・メンタルモデルの「ひとりぼっち」モデルは由佐美加子さん曰く、子供の頃に信頼しているものから断ち切られる、つながりが断たれた経験を持つ
がゆえに一番痛み(分離)を感じているモデル
その痛みを感じたくない故に生きてきたので自分軸が強すぎて自由を好み、ひとりぼっちになるので他者との関係も痛みを感じると思うと(エセ感情・・・不安からつくったストーリーによって感じる感情)自分からその関係を切ってしまう、なかったことにするのが得意なのだ

望みなどないんだ、望みを持っても断たれてしまうんだから望みなぞ持たない方がいい、ひとりでいたほうが痛みを回避できる、、、という信念を持つ
だから自分から人との関係を傷つく前に切ってしまう(無意識にも意識的にも)

私も心当たりがある

父と母と家族で車でかけたときにいつも私は眠ってしまう子だった
目を覚ますと車の中に誰も居なくて泣いていた

親は起こすのが可哀想だから寝かしておこうといつも私を車内へ置いて家や用事を済ませるために居なくなっていた
私は置いてきぼりにされた、私はもう要らないんだ、親の邪魔者なんだ、、、
という信念ができてしまったので想い返せば長年自己否定、存在価値が低く生きてきたのだ
誰しもそんな風に簡単に強い信念をつくってしまうがこの信念は人生に影響を及ぼすわりに氣づかれない場合が多い
私もザ・メンタルモデルに出会うまで(ワークであぶり出されるまで)氣づかなかったものがわんさか出てきた
今までたくさんやってきたのに、いや、やってきたからこそ、だろうけど

「愛されるわけがない」

だから自己価値がなく、存在価値を埋めようと親のために生きてきた
親が悲しい顔をするのが嫌で「私がなんとかしなくちゃ」とがんばって生きてきた
親の役に立つことが私の生きる術、生きる価値のようにそうしなければいけないと思い込んでいた

これはパートナーシップで受け継がれる
親しい友人にも

それは自分が悲しい顔を観たくないから
悲しい顔は「痛い」のだ

誰かが悲しい顔をしていると自分が苦しいからこういう信念を持っている人(結構いる)なんとかしようとする

そのため、ありのままを受け入れられない

それって、自分が自分に対してやっていることなんだけどね
すぐに消そうとしちゃう、どうにかしてこの不快な感情や悪いものを消失させようと
(これはひとりぼっちモデルに限ったものではないけど)

そして親密な関係こそ、自分の鏡となるので観たくない、感じたくないからなんとかしようとする

もしくは相手にその痛みを味わわせてしまう
被害者になって相手のせいにする
そのくらい痛みが怖いからもう当然のごとく反応して行動する

広くは「人様の痛みを消す」「人の役に立つ」「世界平和」などに関する仕事に就いたりする(これが悪いということじゃないの。みんな誰しもが何かしらの痛みがあって色々な役目をする。もう一つの欠陥欠損は社長さんに多い、というように、、、欠けているという信念があるからこそ結果を出そうとがんばって頂点に立つ人が多い)

これは本来の愛ではない
もちろん、誰しも「誰かの役に立ちたい」はある
でも、ひとりぼっちの「不快を取る」は愛ではなく回避行動らしい


本当の愛は無条件の愛

その痛みや苦しみを見守られてる、その状態を慈しめること、、、
いま起きていることを良い悪いではなく、すべてホールドできること

寄り添う、という私のケアの本質はここにあった

私はそれを感じるためにこの親に産まれてこの経験をしてきた

大切な友達を何人も失った
大切なパートナーを「きっと愛されない」という無意識の信念によって何人も関係を切った

怖いのは無意識に、だ

だから何度も二度としない、と想いながらここまで深い領域まで来た

外側だけ変えてもしょうがない
本当に「痛み」を感じることができるようになったときにこの信念が変わっていく

変えようとすると変わらない

成長の過程の通過儀礼だと過去のことはあきらめる

すぐに断ち切る関係をやめる

まずは嫌いな人から離れる前にどんなことに反応しているのか、自分に起きていることを観てあげる

すぐに「切らない」
って決めて相手とコミュニケーション取る

ひとりぼっちにはこれが痛い〜〜〜〜のだけど

今までと違う世界を観せてもらっていることは確かだわ笑


ザ・メンタルモデル/由佐美加子著
おすすめです

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