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終わりから逆算して生きる

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たまたまつけたNHKで、川の図書館という、人と人が交流する事を目的とした図書館を開設した中学生の特集をしていた。

中学生のサラさんは図書館に来た様々な年齢の人々と初対面にも関わらずまるで久しぶりに会った友達かのような雰囲気で打ち解けていく。

このフレンドリーさはサラさんの母親の教育にあったらしい。
幼い時から「はじめての人と会う時はその人の特技や趣味などのプロフィールを事前に伝える」ということをやっていたとのこと。

また

テレビ、インターネット、SNSは親がコントロールすべき

というファミリールールがあり、例えばSNSは週一回日曜日のみ、しかも15分だけ。これをサンデースペシャルと呼んでいるらしい。

そのファミリールールについてサラさんは、「中学生だからSNSを見たい時もある。でも無駄時間がなくなったことで自分が本当に興味がある事が明確に分かった」と言う。素晴らしいと思う。

そして弟の大輔くんは空き家を利用して図書館にするという計画を市の空き家担当者を巻き込んで計画中。

自分で計画をしてそれを大人相手に伝えるという事を子供のうちからやっているなんて、32歳の私よりはるかに優秀すぎて自分の存在意義を見失うレベル。

それは恐らく姉のサラさんがやっている活動を見てきて、その影響を大いに受け継いでいるからだと思う。

令和の子供たちって素敵

近頃つくづくそう思う。
10代で起業するなんてことはもはや珍しくない。

先日もとあるママさんのインスタより、幼稚園の息子が自分でデザインして編んだマフラーを売ったお金で大好きなレゴを買った、という投稿を見たばかりだし(しかもマフラーのクオリティがめちゃくちゃ高くてお洒落)

私がずっとフォローしている、今年スタンフォード大学に進学したばかりの松本杏奈さんは、

「海洋プラ問題を解決するのは君だ!〜高校生×研究×社会問題解決プログラム〜」というものを学生時代、他の高校生を巻き込んだ研究プログラムとして立ち上げている。

令和になって早4年になろうとしている。

平成の終わりから令和にかけていよいよ「好きなもの、ずっと続けているものが本人の強みに直結する」という時代になっているのをものすごく感じる。

令和は令和で色々あるけれど、今まで問題にすら取り上げられなかったような事がインターネットのおかげで明るみになったり、

それまで口を塞がれていた人々が自由に発信できる、閉鎖的で右にならえの昔からは考えられない程自由度が高い。

男は男らしく、女は女らしくというようなボーダーを引く事自体、もはや時代遅れでカッコ悪い。男の子がメイクしても良いし、女性が管理職になる事も当たり前。そんな自由な時代に生きる息子が羨ましい。

でも全ての子供たちがそうして輝けるわけではない。
とても素晴らしい反面、そうはなれない人間からしたら逆に生きづらいのかもしれない。

自分を表現したり何かを成し遂げたりする事は当たり前という時代をプレッシャーに感じるのは人間ならば当たり前で、そこから自分が漏れてしまう事を恐怖にすら感じるのではないか。そしてそのまま卑屈になって、輝いて努力している者たちを妬み、足を引っ張り、挑戦する若い世代にクソリプを送りその芽を摘もうとする……Twitterにはそんなどうしようもない大人が溢れている。きっとこの構図は今後も一定数変わらないのであろう。

他人の足を引っ張るのは論外だとしても、別にみんながみんな輝く必要は全くない。
だけど、「輝いてもいいし、輝かなくてもいい」そのどちらも自分で選択できるような人生なら素敵ではないか。

息子も今後もし好きなものが見つかれば、それをとことん突き詰めて、またそれを誰かに知ってもらえるような、そんな自己実現の場があれば自信に繋がるんだろうなと思う。
じゃあ今度はアレに挑戦してみよう、その次はコレ、といったように、没頭できるものがあるほどに人生は面白い。という事をもう、私達大人は知ってしまっている。

それらは本来親が用意するようなものではないのかもしれない。あくまで息子自身が自分の意思で切り開く事が理想だけど、幼少期のポジティブマインドと環境、何より素敵な実体験があるかどうかは、日々の親の語りかけや行動によって大きく変化する。

息子がこの先何を好きになるのか、何に興味を持つのか。それは息子にしかわからないけれど、私はそれを応援する為なら時間もお金も全部捧げるつもりだ。

そうして私の持ってる知識、物質、金、全てを息子の生きる術として捧げて、空っぽになってから、死にたい。



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