見出し画像

作業療法士になったきっかけ①

おはようございます!作業療法士のてんです。
今回は、私が作業療法士を志したきっかけとなった高校時代の首の怪我について書いていきたいと思います。
少々長くなりますが、お付き合いください。


ラグビーでの全国大会

 私は高校時代にラグビー部に所属し、キャプテンに選ばれる等、そこそこ成績を残していました。しかし、私が通っていた高校は、ラグビー部の人数が15人に満たない弱小高校で、大会には合同チームを組んで出場する様な状況でした。そんな高校でも全国大会に行くチャンスがありました。それは、15人に満たない高校から選手を選抜し、北海道で行われる全国大会に出場するというものでした。元から、ガタイの割には足が早く、1年生からレギュラーだったため、無事セレクションは通過、全国大会へ行けることになりました。
 全国大会は土曜日〜月曜日の全3日の日程で行われ、最終日が終わったらチームでジンギスカンを食べて、帰路に着くという日程でした。試合へはナンバーエイトのレギュラーで出場し、トライは取れなかったのですが、チームに貢献しようと頑張っていました。初日、二日目が無事に終わり、後1日頑張ればジンギスカンを食べて帰れるとのことで頭がいっぱいでした。

運命の3日目

 3日目は雲ひとつない快晴。そして朝一番の試合にスタメンとして出場。スコアは忘れたのですが、前半を終え、後半が始まってすぐでした。味方がタックルで倒されたので、パスをもらい、ラックの外側から抜けようと走ったところ、相手からのタックルで倒されました。そこからは正直曖昧ですが、「ゴキッ」という鈍い音を感じたあと、気づいたらうつ伏せに倒れ、首から下が痺れて、全く動けなくなっていました。すぐにレフェリーが試合を止め、グラウンドにいた医師を呼び、私の状態を診察。おそらく、すぐに脊髄をやっていることが分かり、グラウンドにいる何人もの大人が協力して、首にストレスをかけない様に体を仰向けにし、頭部・頚部を固定しました。私は正直何が起こっているかは分からず、ただただなされるがままでした。同時に鎖骨を怪我した人がいた様でしたが、こっちの方が優先だという声がしたのは覚えています。

初めてのドクターヘリ〜緊急手術

 思い返すと、私はこの時幸運だったと思っています。なぜなら、快晴でドクターヘリが飛べたこと、そして隣町に脊髄損傷の専門病院があったためです。そこの病院へ救急搬送となり、救急車に乗せられ、ドクターヘリの発着場所へ搬送されました。駆けつけてくれたのは、女性の救急救命士の方で、「すごく綺麗な人だな」と思っていました。(笑)
 でも正直、救急車で運ばれた時も、その後ドクターヘリに乗った時も、「寝たら死んでしまうんじゃないか」と思い、自らを覚醒させていました。そして、だいたい40分〜1時間ぐらいかけて病院に到着。処置室にて、ユニフォームが切られ、診察が始まりました。そして医師から衝撃の一言。

「今からお尻の穴に指を入れますね。」

「え!?」

今では完全損傷かどうかを評価するためだと分かりますが、高校生だった当時は衝撃と羞恥心が入り乱れた気持ちになりました。
次に看護師さんから、
「おしっこの管を入れますね」の言葉と共に、激痛が走りました。

今思うと、どちらも感覚があり、肛門の随意収縮ができたため、ここまで良くなったなんだなと思います。

そこから、MRI等の検査を行い、緊急手術が必要と判断されました。遠征先での事故であったため、両親は学校の先生からの電話でこのことを知りました。両親から先生へ「お任せします」と伝えたとのことで、学校の先生同意の下、手術ということになりました。全身麻酔の手術は、幼稚園の頃にそけいヘルニア で経験があったので、妙に落ち着いていました。

麻酔で完全に意識がなくなり、目が覚めると急いで駆けつけた両親の姿がありました。

続く

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?