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20210917学習ノート『福祉国家亡国論』社会保険の運用について

20210917『福祉国家亡国論』
社会保険の運用は、統一的な一つの組織が行うのが経済的だという。
しかしそれは短期的な場合においてであり、長期にわたるものは時間の経過と共に改善されていかなければ、経済的とはならない。
一つの組織だけでは、世の中の様々な変化に対応して上手に改善していくことは、難しくなる。
改善するかしないかを決めるのは、その組織の人間だから。

保険という、長期にわたるようなものを運営していくのは、法の下での自由な競争においてできた組織でなければ、非能率になる。

社会保険が政府の統一組織で行うこととされた理由は、経済的だと考えられたことばかりではない。

民間の保険会社と違って、政府の機関であれば、対個人の契約ではなく政府の判断で個人に対して「持つべきだ」「なすべきだ」と思うものを与えることができる。
そして、民間の保険会社にできず政府にできることは「所得の再分配」である。

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ということですが、これは、政府は「所得の再分配ができる」ことを、良いことだと言っているわけではもちろんありません。

真面目に働いて受けたお給料からたくさんの税金が持っていかれて、それがどこにどんなふうにどのくらいの割合でバラバラにされて、私の手元にやってくるはずだった大切なお金がもしかしたら大切に使われていない、と考えると悲しくなりますね。

所得の再分配で公正な分配を実現しようとする、という方法が広い支持を得たのは、所得の再分配が、困窮者救済のための有効な手段だと装っていたから。

「自由社会における最低生活の保障」
➡︎法の下に、自由と責任において生活を形成する自由な社会。

「福祉国家、社会主義における所得の公正な分配」
➡︎政府の判断によって各人の所得、地位を決定する社会。

この二つは全く別のものであり、本質を分けておかなければならない。

それなのに、国民に生活のミニマムを保障する制度が、所得の平等を目指す再分配の道具になったことで、自由社会を維持していくことはできなくなってしまった。

◆◆◆

ここの最後の方に、
「今日のわが国においても、福祉国家をめざす社会保障が、社会主義の手段に転化したことに気づかず、たんに国民に生活の最低限度を保障する制度にすぎないと誤解して、福祉国家を謳歌している人がなおいかに多いことであろうか。」
と書かれている。

当時で「なおいかに多いことであろうか」ということなので、今はもっともっと増えているのかもしれない。
私だってこの本を読むまで気づかなかった。
「保険料」として、ずいぶんたくさんの「保険税」を徴収されてきた…


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