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失敗の本質

平成の30年間は一言で云えば「アジア経済の主役」が日本から中国へと取って代わられた時代という感覚が体感的にもある。

町工場の集合体であるような我が町は家族経営の工場が多く、夜遅くまで機械を動かしている音が鳴り響き、値段交渉が厳しいながらも皆さん工場を運営していた。

職人上がりの社長さんも多く製造業ならではの真面目さをもった人が多かったように思う。

2008年北京オリンピック前後から体感的に中国製造業にコスト的に太刀打ち出来ないという声が多く聞かれ、工場を海外に移転した人が出だした。

長年勤めているような職人さんでもリストラされ出し、中国本土や台湾で工場を再開という経営者もいた。

しかし令和4年の今でも中国に工場を移転して順調に業績を伸ばせたという会社も殆ど聞かず、資材や自宅も銀行にとられたという社長さんも少なくない。

生真面目だけでは世界のグローバリズムの大きな流れの中では

「日本人的な考えや振舞い方は尊敬はされど、生きては行けない」

という現実を多く目にしてきた。


戦時中の日本軍の愚かな失敗の作戦を例に日本人を深く考察した「失敗の本質」というあまりにも有名な本があるが、戦前から日本人は殆ど変わっていないのではないかと考えてしまう。

我が家も例にもれず、村社会の狭い世間しか知らないにも関わらず、時代の勢いと共にデフレ不況の始まった平成4年に9000万円もの借金をしてしまい、悶絶した苦しみを味わった。

借金した本人達(私の親二人)は真っ先に安全なポジションに逃げ去った。

それも太平洋戦争時の官僚たちとダブって見えてしまう。


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