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【ドリームキャスト25周年】人の世はいつの時代も世紀末 『July』

割引あり
『July』,フォーティファイブ,1998

1998年11月27日はセガの家庭用ゲーム機・ドリームキャストの発売日。
リリースから25年を迎える今年、そのロンチタイトルについて書く。

「1999年7の月 空から恐怖の大王が来るだろう。」
このフレーズを耳にしたことがある方も多いのではないか。
ミシェル・ノストラダムスの『予言集』にある詩の一節で、日本では俗に「ノストラダムスの大予言」と呼ばれている。
1990年代後半、日本は「世紀末ブーム」の真っ只中にあった。

もともと、「世紀末」という言葉には文字通りある世紀の終わりという意味しかない。しかしこの言葉が「世界の終末」といった意味を持つようになる。その火付け役となったのが、1973年の五島勉氏による著書『ノストラダムスの大予言』だった。
以来、本書の内容はマスメディアに飛び火し、当時の人々やサブカルチャーに大きな影響を及ぼした。そして人々が抱く漠然とした社会情勢への不安感と高揚感はゆっくりと醸成されていった。いよいよもってその空気が最高潮に達していた1998年末、『July(ジュライ)』はリリースされた。

『July』は1998年11月27日にドリームキャスト用のロンチタイトルとしてフォーティファイブより発売された世紀末アドベンチャーゲーム。ストーリーや設定は前述したノストラダムスの予言に大きく影響を受けており、終末思想を持つ新興宗教の台頭や大企業の陰謀がその軸となっている。

本作はふたりの主人公が登場するザッピングシナリオとなっており、両者を切り替えてストーリーを進行させていく。
ひとり目の主人公が日本に住む大学生・高村誠(たかむらまこと)。
彼は6年前にイギリスでバス爆破テロに遭遇。この事件で妹を失い、母は意識が戻らず現在も病院に入院中の状態にある。事件以後、誠の父は仕事に没頭するようになり、家に寄り付かなくなってしまった。以後、父とは折り合いが悪く、彼は祖父と共に暮らしながら大学生活を送っている。

もうひとりの主人公・ヨシュアは、生殖能力を持たない「セックスレス体」という特異体質を持つメキシコ人男性。その体質ゆえ、彼は少年時代から研究機関の実験体として非人道的な扱いを受けてきたが、施設を脱走。以後、研究機関の関係者に対し復讐の旅を続け、現在は日本に潜伏している。

テロ、戦争、遺伝子工学、過激化する新興宗教、製薬企業の陰謀──ゲーム内にはこうした要素が散りばめられている。そこに重々しいUIとBGMが重なり、本作は全体として鬱屈とした雰囲気が漂っている。
物語のスケールは「ノストラダムスの大予言」よろしく世界の終末にかかわる壮大なものだが、実際にゲーム上で移動できる場所は東京・神奈川・千葉一帯のエリアに限られている。しかしそれは必ずしも悪いことではなく、あたかもテレビドラマや特撮に登場する、ロケ地を寄せ集めた結果できあがる架空の街や社会を感じさせるのにひと役買っている。
キャラクターデザインは梅津泰臣氏とトニーたけざき氏が務め、登場するキャラクターが非常に多いことも特徴だ。彼ら全員が直接物語に関係するわけではないものの、それぞれの人物が固有で印象深いイラストで描かれている。

2023年現在からすると、世紀末ブームの熱狂は馬鹿げたことのように思える。しかし本作を含め、多くの創作物が今となっては信じられないほどにその影響を受けていた。まだ起こっていないことだからこそ信じられる余地があったのだ。

1999年、7の月。私たちの住む世界に恐怖の大王が来ることはなかった。
少し間を置き、過去を顧みて「あの頃は何故あんなことを信じていたのだろう?」と多くの人々が呆れ混じりに苦笑したのではないだろうか。
とはいえ本作が設定の軸にした終末思想や陰謀論的な世界の見方は、新型コロナウイルス感染症の流行に関連した反発をはじめ、ここ数年日本でも再び一定数の人々の支持を得るようになった。

『JULY』の作中で起こる戦争や事件は、私たちの生きる世界で後に起きた出来事と重なる部分がある。たとえばゲーム冒頭でアメリカによるイラク侵攻が報じられるシーンがあるが、これは現実でも2003年に起こった。誠が遭遇したようなイギリスでのバス爆破テロ事件は2005年に発生している。
こうしたことを取り上げれば本作が現実を予言していた、と言うこともできるだろう。実際、10代半ばに本作をプレイしていた私自身も、当時は「予言が当たっている」と思っていた。

しかし本作はあくまで人間や社会が起こしうることを想定して描いたエンターテイメント作品だ。創作物と歴史を照合し、起こったことの符合から起こりそうなことを導き出す。それを現実に適用しようとする行為こそ、まさしく本作がテーマとした予言の正体だ。

発売から四半世紀経ったいま、改めて『July』をプレイしてみると、過ぎ去った鬱屈とした時代のノスタルジーに浸るにはうってつけなゲームだと感じる。ストーリーの進行に関係のない場所に赴き、その場で流れるテキストを読み、BGMを聴く。この雰囲気を感じること自体、私は好きだ。だから時々プレイしたくなる。
その一方で、本作を生み出す土壌となった現実の世紀末の熱狂を、現在の視点から冷静な目線で見つめ直すこともできる。一人ひとりの人間がどんな熱狂に飲まれてしまうのか、それを考え絶え間なく予想し続けることが、予言に依らずとも生きていく術なのかもしれない。

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(2023/11/26)

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