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「アメリカ式民主主義の行き着く先」の巻

■ニュー・オーリンズの思い出
 昭和58(1983)年8月12日、サンフランシスコ発アルバカーキ行のコンチネンタル航空機は、私が、ルイ・アームストロングの名前を冠されたニュー・オーリンズ空港で途中降機するにも関わらず、私の鞄を降ろしてくれなかった。バゲージ・クレームで途方に暮れていると、係員の大柄な黒人男性が、航空会社の窓口がある方向を、気だるそうに、黙って指差した。
 アメリカの国内線ではよくある話だとは聞いていたが、まさか自分がそんな目に遭うとは思わなかった(その後、何度も同じ目に遭うことになる)。金目のものと、命の次に大切なカメラは持っていたので助かった。些かの不安はあったが、安宿を探し、夕刻にはフレンチ・クォーターの一角にある、バーボン・ストリートに繰り出して、ミシシッピ川に浮かぶ船を眺めながら、名物の大ぶりな生牡蠣に舌鼓を打った。若かった。暢気なものだった。
 通りから聞こえるディキシーランド・ジャズ。映画『欲望という名の電車』で、ヴィヴィアン・リーがステップから降りるシーンが印象的だった、厳めしい面構えの路面電車。深夜まで続く喧騒と猥雑さが、この街に残るコロニアルな雰囲気をさらに色濃くしていた。

■ホームレスをヘリで救出する国
 2005年8月29日、この街を直撃したハリケーン「カトリーナ」は、そんな思い出も嘘であったかのような光景を、テレビに映し出した。多くのアメリカ人は9・11の同時多発テロで破壊された貿易センタービルの姿と、水没したこの街を重ね合わせた。堤防の危険性についての警告はあったが、政府には響かなかった。そして、ハリケーンの警報、避難勧告は出たが、多くの人は耳を貸さなかった。その結果、あのような大被害になったという。休暇中だったブッシュ大統領は、予定を早めてワシントンDCに戻ったが、お世辞にも初動の救助活動が適切だったとは言えない。自然災害は、アルカイーダやフセインのせいにはできないぞ、との陰口が聞こえた。
 そんな最中、今度は9月下旬に「リタ」と名づけられたハリケーンが、再度メキシコ湾岸を襲った。今度は、連邦政府も州政府も、とりあえず対応は早かった。避難命令に従わない者は「見殺しにする」との声明があり、流石に殆どの人は従った。テキサス州ヒューストンからは約100万人が避難し、9月22日、北上する車で高速道路は最大で160㎞以上の大渋滞となった。10数時間にわたって、車中に閉じ込められた人のうち、2人が排気ガスによる中毒で死亡した。
 一方で政府は、移動の手段を持たないホームレスなどを、軍のヘリコプターで、いち早く安全な場所へ避難させた。まじめに日々の生活を営んでいる中産市民は10数時間の渋滞に巻き込まれ、その中産市民が支払った税金で整備されたペリコプターで、彼らよりも先に、そして安全に、ホームレスが救出されたという話を聞いて矛盾を感じない人はいないだろう。

■ローマ帝国との違い
 アメリカはもちろん、中産階級が支えている国であるが、その中産階級が、最も割を食らっている国でもある。
 アメリカは国民皆保険ではない。驚くべきことに、中産階級の多くは、民間の健康保険にも加入していない。その健康保険にしても、保険料そのものは、日本の社会保険と変わらないが、支払う医療費は、日本で無保険の医療を受けた場合の費用よりも遥かに高い(私も身をもって経験している)。だから、入らないほうがマシだと思う人が多いのだ。十分な医療費が支給される保険の掛金は、中産階級の梃子には合わない。その一方で、収入のない人々には、勿論無料の医療が整備されている。
 自動車保険も然り。カリフォルニア州では、加入が義務付けられてはいるが、入るかどうかは本人の自由という変な制度である(ちなみに高校の義務教育もそうで、入学は義務だが中退は自由だ)。無保険の車に事故を起こされたらどうなるか。加害運転者に支払能力がなければ、裁判に勝っても請求することはできない。泣き寝入りである。だから、中途半端に金がある中産階級は、掛金の高い自動車保険に入らざるを得ない。
 ホームレスとして登録すれば、何もしないでも日当(!)がもらえる。さらには、宗教団体や福祉団体が無料で食料を提供してくれる。家がない分家賃を払う必要もない。中産階級より、よっぽど気楽である。この国では、金持ちでなかったら、とことん貧乏になる方が得なのである。
 そんなアメリカはローマ帝国に例えられるが、しかし、かの国が堕落と退廃の中で滅びていった道を、この国がそのまま辿っているというのは皮相的な見方だと思う。この国のすごいところは、そういった階層性に埋没したくない、という意志のある人が、そこから抜け出すことができるチャンスを、平等に(不法移民にさえ)与えてくれるところにある。
 それが良いかどうかは別として、民主主義が行き着く先の一つのモデルを、この国が示していることは確かである。

『歴史と教育』2005年10月号掲載の「羅府スケッチ」に加筆修正した。

【カバー写真】ミシシッピ川に浮かぶ観光船。古風なスタイルが、ニューオーリンズが持つコロニアルな雰囲気を引き立てていた。(撮影筆者)

【追記】
 原文を読み返していて、バイデン不正政権の誕生により、この時から更にアメリカン・デモクラシーの腐敗が進んでいることを実感する。いろいろ書きたいことはあるが、きりがないのでやめておく。

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