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小学校教科書が歪めた国史③ 奈良時代~天皇の祈りを貧農史観で汚した罪

 奈良時代に取り上げられるべき人物として学習指導要領が指示しているのは、聖武天皇、行基、鑑真の3人です。この3人が暗示しているのは明らかに天平文化です。
 平城京に国際性豊かな文化が花開いたことを教えるのは、確かに意義があることだと思います。特に鎮護国家の思想に基づいて、国家仏教政策を推進した聖武天皇の働きは特筆されるべきでしょう。
 しかし教科書は、あまりにも聖武天皇をはじめとする皇室の役割を過小評価しています。天平文化のクライマックスとして、いずれの教科書も大仏開眼を取り上げていますが、その主役は「渡来人の子孫」である行基になっています。大化改新で「天皇中心の国家体制」を築いた、としながら、天皇の業績に触れないのは、まったくおかしな話です。
 教科書は「(引用者注・聖武天皇が大仏をつくるために)各地の国司に命じて必要な物資や農民を都に送らせました」(東京書籍)と書く一方、「朝廷は行基の行動(引用者注・社会事業)を取り締まりましたが、後には、行基を位の高い僧に任命して、大仏づくりに協力させました」(教育出版)と書いています。これではまるで、大仏をつくることで国民を苦しめ、それを貫徹するために行基を利用したかのようです。執筆者が呪縛されているマルクス史観、つまり「権力対民衆」の疑似構造が顔をのぞかせています。このように歴史を単純化してミスリードすることで、苦しむ農民と、その上に君臨する天皇というテレオタイプな図式が子供に刷り込まれていくわけです。
奈良時代の農民の生活を示す史料として、日本文教出版を除くすべての教科書が、山上値良の「貧窮問答歌」を提示しています。
 「米がないので、かまどはけむりも立てず、米をむすこしきにはくもの巣がかかり、ご飯をたくことも忘れてしまっている。それでも里長は、むちを持って、税を出せと戸口で叫んでいる』(教育出版)という内容ですが、    
 「貧窮問答歌」が古代中国の詩をまねてつくったフィクションだということは明らかで、これは架空の物語なのです。それを無理やり一般化させるのは、歴史教育では非常に危険な手法です。
 もちろん、今日と建って、自然の脅威にさらされていた当時の農民が、凶作に苦しんだことも多かったことでしょう。しかしながら、戸籍を整備し、農民に土地を供給し、生活の基盤をつくった律令制度の意義にまったく触れないで、マイナス面だけを教えるのはあまりにもひどすぎます。当時すでに、災害や凶作時には備蓄米の供出や、税の減免などもあったのです。
 冷静に考えてみましょう。
 奈良時代の日本全国の農民が『貧窮問答歌」のような状態であれば、その税で暮らしている貴族(つまり公務員)も飢えているはずではないですか。この貧農史観は江戸時代まで、否、近代まで引きずられ、子供たちの目をくらませているのです。最新の研究がそれを否定しても、教科書だけはマルクス史観を捨てられないのはなぜでしょうか。疑問を禁じ得ません。
 奈良時代の政治史は複雑で、高校生でも頭を抱えることがあります。皇室と藤原氏の権力闘争などに小学校教科書がふれる必要はありませんが、各社とも判で押したような記述で、まったく工夫が足りないように思われます。
 たとえば、奈良時代6代の天皇のうち、4代(重祚を含む)が男系ですが女性の天皇です。平城京遷都を行った元明天皇も女帝です。一般に女帝は「ワンポイント・リリーフ」だといわれていますが、奈良時代が「男系女帝の時代」だった、というような大胆な提示の仕方も可能ではないでしょうか。そうすると、皇位継承問題を考えるヒントにもなります。
 いずれにしても、皇室を無視して、あるいは悪役にして古代史を語ろうとするところに、教科書の根本的な誤りがあるのは間違いありません。皇室が奈良時代以前から連綿と続くのは、天皇が国民を愛し、国民のために祈り、それゆえに国民に愛されていたからであることは間違いないからです。

※各社教科書の記述は、平成12(2000)年度版によります。
連載第95回/平成12年3月29日掲載

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