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また、焚き火に戻る / 一週間日記#6

23/12/03. Sun.

朝、8時くらいに目を覚ました?かな。前日から進めていた佐藤究の「テスカトリポカ」を続きから読む。Kindleのスケールバーを見るともう92%まで進んでいた。昨日の夜。だらだら進めていつの間にか眠ってしまっていたらしい。とりあえず、ラストまで進める。目論見通り30分とかからずに読破。なんだか、鬱々とした気持ちになる。コーヒーを淹れるためにポッドに水を入れる。豆を挽く。何かをするための準備として何かをする。その何かのためにまた何かをする。そういう連鎖が無限に続いて結局一番上のレイヤーに辿り着く頃にはなんだかどうでも良くなっている。

「テスカトリポカ」というのはアステカの一番の神らしい。その名は「煙を吐く鏡」を意味し、おそらく日食のメタファー。

呪い、宗教、それらと共に生きる人。
難病、拷問、それらに侵されて死ぬ人。

扱うスケールの壮大さは開始数ページではわからないが、どんどんと展開するにつれて、どこまで広げるんだと不安になる。余すところなく丁寧に描く恐るべき視野の広さ。佐藤究の作品はこれと『幽玄F』しか読んでいないけど、両者に共通して「融合」のイメージがある。前者は「現代の犯罪ビジネス」と「古代アステカ」、後者は「真言宗」と「戦闘機」。そのままでは交わらない事物に対して、エッセンスを抜き出し、抽象化し、混ぜ合わせ、濾過する。この過程が成立するだけの圧倒的なリサーチと筆力。天才かよ〜。

お昼。千種の正文館書店で開かれていた"本の市"に行く。すんごい人だかり。人がいっぱい集まっている場所は苦手のはずなのに、こういう場所からは得られるエネルギーがある。共通点がない人だかりというものが苦手なんだろうか。うーーん。まだうまく一般化はできない。けれど、好きなものが同じという共通点で人間が一箇所に集まっている場所には、何かエネルギーがある、ということは確かだ。こういう場所を常に把握しておきたい。
正文館では「煙る鯨影」と「枯木灘」を購入。どちらも私の故郷に関与する。すごいすごい。この凄さ、伝えられないのがもどかしい。

23/12/04. Mon.

少し早起きして、ご飯を炊く。炊き込みご飯の素を入れて、水を少なめ早炊き30分。その間にシャワーを浴びて寝癖を整える。ドライヤーで髪を乾かしながら、手持ち無沙汰を慰めるためにお茶を入れる。友人にもらった中国の読めない名前のお茶っぱを、百均の茶袋に入れて、お茶へと錬成する。そうこうしている間にご飯が炊ける。炊きこみのご飯とお茶で完璧な朝食が出来上がる。
たまにはこうして無理矢理にでも「生活」をしないと、立ち行かなくなってしまう予感がある。そして私は一度倒れたらもう立ち上がれないことも知っている。
夜、家の近くの銭湯で温まる。この時期のサウナは、水風呂も外気浴もあまり気持ち良くないということを学ぶ。むしろサウナの中で身体を温めることが本懐になる。

23/12/05. Tue.

そういえば、「テスカトリポカ」の中で氷(イエロ)と呼ばれるドラッグが頻繁に出てきた。これは覚醒剤の一種メタンフェタミンを指す。最近、類縁体を合成したから、名前がどうも頭に残っていた。新規化合物が覚醒剤らしい効用を示した場合ってどうなるんだろう。
お昼ご飯を食べに外を自転車で走っていたら、どこからか焼き芋の香りがした。ただ焚き火をしているだけかもしれないけれど。
小さい頃は、秋の終わりによく焚き火をした。杉の葉を集めて庭に火を起こし、畑で採れた芋とか裏山に落ちている出来損ないの栗を放り込んで、おやつにしていた。そうだ、私は泥団子が好きだったな。硬い泥団子を作るには、粘土みたいな赤茶色い土塊が重要だった。それで、作った泥団子を、日陰で数日乾かしてから、最後は焚き火の中に入れて固めていた。そういう、何にもならないモノづくりが昔から好きだった。

23/12/06. Wed.

何もしてねーーーー。(PM 6時半)
飲みいこうかな。でも、D論書かないとな。どうしよどうしょ。
いこ。
いつの間にか、M1のワイルドカードが発表されていた。私の推しは、ダウとナユタとフランスピアノ。三組とも落ちた。落ちた人たちで当日別会場でライブしてくれないかな。。
"AI命名格付けチェック"を思いついた。高級なナニカの名前をword2vecを使って学習させて、ワインの格付けチェックをやらせたい。来年あたりで記事を書こうかな。

23/12/07. Thu.

午前、特殊健康診断の歯科検診があった。歯医者のお爺さんに「カリエス..あ、虫歯はないね」って言われて、昔の恋人が帝王切開のことをカイザーと呼んでいたことをふと思い出した。そして、私は、何か日常からズレたことがあるたびにあの人のことを思い出してしまうんだろうな、と改めて自覚する。
夜、週に一回のバドミントンに行く。本当に最近上手くなってきた気がする(自賛自賛)。楽しい。身体が動いているとき、自分のイメージした通りの動きができた時、反射で体が動く瞬間、どれもが本当に「生きてる!!」って感じがして、嬉しい。私は身体の動きをイメージすることとそれをトレースするのがかなり苦手な方だと思っているから、少しずつでもそれが改善されれば、かなり幸福に近づくような感覚がある。
バドミントンで少し話したマレーシアのインターン生と、喫煙所で出会う。お互いに意外だったみたいで、笑って自己紹介をし直した。ああ、私が求めていたのは、なんかこういうものだったのかもな。今、これを書きながら何かわからない涙が出てきてしまいそうになっている。この気持ちの正体を突き止めておくことはそれなりに大切な気がするけど、できそうもないから、そう思ったということだけログにとっておく。また明日です。

23/12/08. Fri.

「エバース町田の架空ツッコミbot」を見つけた。たんたんとそれらしいツッコミを1年前から呟き続けている。どういうメンタルでこれを運営してるんだろう。インターネットに溢れる狂気コンテンツの中では薄味だろうけど、私は好き。
辻村深月の『傲慢と善良』がKindleで半額セールだったので購入。さらさらっと水みたいに読めた。2部構成で、前半が主人公の男性、後半がその婚約者の女性。辻村深月の地の文は、語り手にあまりに近い。だから、登場人物の内面とか視点に容易に移入できるし、ボリュームに関わらずさらっと読める感覚に繋がるんだと思う。読み終わって、出てきた2人が30代でよかったと思った。これが、28歳とかだったらもっと別のダメージがあったような気がする。
傲慢と善良は自分を救う処世術として磨かれる技量なのかなという気がする。そして、他者を救うのはあくまで鈍感さなんだろう。そんなことを考えながら、お風呂に浸かっていたら、少し体が冷えてしまった。1時間くらいぬるま湯に浸かっていたようだ。風邪の素。

23/12/09. Sat.

U-NEXTで『クレイマークレイマー』を観た。1979年の作品だから、今の感覚だとポリコレ棒で叩かれそうな部分も所々ある。
"親子"というものを描くストーリーに私は弱すぎる。無償の愛が見えてしまうからだろうか。最終的には仲が戻ることを信じた上で喧嘩が成立している特殊性だろうか。打算のない愛。
なんとなく、自分が子供を持ちたいと考えていることの内実が見えてきた気がする。友人、恋人、配偶者…そういった付き合いの元には、いつか別れる可能性が念頭にある気がする。そうではない関係は、結局親子の間に縋るしかないのかもしれない。もちろん、それだって壊れる可能性はあるけれど、その可能性を念頭におかなくても信じられる。信じたいという形。それを心のどこかで求めているような気がする。気がするだけだけれど。

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