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震災のこと、そして群馬の森朝鮮人追悼碑を守る意味

 元旦に、能登半島地震が起こりました。家屋は倒壊し、道路は寸断され、津波や火事などの甚大な被害が引き起こされました。石川県内で232人の方が亡くなられ、3週間たった今でも22人の方の安否が不明のままです。重軽傷者は1170人にもなり、3万5千棟もの家屋が被害を受け、1万5千人もの方が避難所での生活を余儀なくされています。
 犠牲になられた方のご冥福をお祈りし、被災された方々に心からお見舞い申し上げます。そして復旧支援にご尽力されている方々に、心からの賛辞を送ります。
 阪神淡路大震災を経験した私たちにとって、他人ごとではありません。
 
 人づてに聞いた話ですけれど、29年前に起きた阪神淡路大震災時で避難生活された友人たちが今回の能登地震の避難生活をテレビで見て口々に「29年前と全く同じだ」と言っていたそうです。地震大国日本で阪神淡路震災以降も熊本地震など多発しているのに、自民党・公明党の権力者は「何にも用意していないではないか!」ということです。
 辺野古新基地建設には即座に代執行を行い、年明け早々に埋め立てを再開しました。志賀原発が稼働していたら今回の地震でどんな被害が起こっていたかわからないというのに、原発推進の姿勢は絶対に変えようとしない。
 人の命を軽視する国家に、私たちは暮らしています。

1,阪神淡路大震災のときの水曜デモ

 水曜デモの話をしたいと思います。
 1992年1月8日水曜日、宮沢喜一首相(当時)訪韓にあわせ、ソウルの日本大使館前で日本軍「慰安婦」被害者ハルモニたちが日本政府に謝罪と賠償を求めて集い、声をあげました。いまから32年前のことです。それは被害者たちの全く自発的な行動でした。被害者自らがマイクを手に取って訴え、シュプレヒコールをあげたのです。最初は人前に出ることも不慣れだったハルモニたちも、回を重ねるごとに堂々と力強く語るようになり、人々の心をつかむようになりました。私たちはそんなハルモニたちに、尊敬の念を抱かずにはおれません。
 その日以来、雨の日も雪の日もあられが降ろうとも、毎週水曜日正午になるとソウルの日本大使館前で水曜デモは続けられています。水曜デモは世界最長のデモンストレーションとして、ギネスにも認定されています。
 今日の正午にも、ソウルでは水曜デモが行われました。なんと1632回目の水曜デモです。今日のソウルはどんな様子だったでしょうか。先週1月17日の水曜デモは極寒の雪の中で行われたようです。その日の写真を見ると、フードや肩の上にも雪が積もり、けれど元気そうなたくさんの少女たちの姿が写っていました。
 さすがに高齢となったハルモニたちの姿はありません。けれど日本大使館の前では今でもたくさんの女性たちが集い、抗議活動を継続しています。それに李容洙ハルモニはいまでも時々、元気なお姿を見せてくれるようです。

 ソウル日本大使館前で毎週水曜日、32年間で1632回も水曜デモは開催されてきました。しかしたった一度だけ、開催されなかった時があります。
 1995年1月17日、阪神淡路大震災が起こった次の水曜日のことでした。テレビに映し出された神戸の街を観て心を痛め、ハルモニたちは相談して水曜デモを中止にしたそうです。戦争の惨禍を誰よりもよく知り、人の痛みをよく知っているハルモニたちだからこその判断でした。
 2011年3月11日の東日本大震災のときには、中止にこそなりませんでしたが、震災被害者への募金活動を行ったのだそうです。
 ハルモニたちが日本に対してどのようなまなざしを向けているのか、よくわかる出来事だと私は思っています。

2,日本軍「慰安婦」被害者ハルモニたちが望んだ世界、望んだ日本

 みなさん、日本軍「慰安婦」被害者は私たちに敵意を向けていると思っていませんか? それは大きな間違いです。
 私たちもほんの少しではありますが、ハルモニたちと交流がありました。一言で言い表すのは難しいけれど、私たちが知るハルモニは、とても人間味あふれる人たちでした。いいところも悪いところも、強さも弱さもあって、けれど不正義に対しては毅然として立ち向かう人たちでした。
 彼女たちが日本政府を批判し、謝罪と補償を求めるのは、日本政府が彼女たちの存在を否定したからです。
 彼女たちが水曜デモを始めたころ、日本政府は「連れていたのは民間業者であって日本軍は関係ない」と主張していました。
 そして安倍政権は「強制連行はなかった」「性奴隷ではない」「20万人といった事実はない」と主張し、それは外務省のHPで公開され、もちろん岸田政権にも引き継がれています。これらの主張は、被害当事者であるハルモニたちには到底受け入れがたいことです。自らの存在を否定するものに対して怒り、告発し、謝罪や補償を求め、あるいは裁きを求めて、なにか不都合があるでしょうか。それは当然のことなのです。
 戦争の悲惨さをもっともよく知る彼女たちだからこそ、阪神淡路大震災の被災者である私たちに思いを馳せ、東日本大震災の被災者支援にも乗り出したのです。
 ハルモニたちが憎むのは戦争したがる国家であり、歴史を認めようとしない国家であって、私たちに敵意を向けているわけではありません。
 だからそこ、日本軍「慰安婦」被害者に起こった事実をきちんと認めること、それが私たちに求められています。

3,群馬の森朝鮮人追悼碑を撤去させるな!

 私たちはこれまで群馬の森朝鮮人追悼碑撤去に対して危機感を示し、この水曜デモでも反対してきました。
 この碑は、一昨年神戸で開催された「表現の不自由展KOBE」でも展示された白川昌夫さんの手による芸術作品であり、「表現の不自由展KOBE」に関わってきた私たちにとっても大切な碑です。群馬での朝鮮人強制連行で亡くなった人たちを追悼する、日本の良心ともいえる碑なのです。
 いま、群馬の森朝鮮人追悼碑は、群馬県政によって撤去されようとしています。その経過について今日は詳細を述べる時間はありませんが、発端はこの碑の前で行われた慰霊祭で「強制連行」という言葉を用いたことでした。「強制連行」という言葉を用いたことが「『政治的行事を行わない』との設置条件に反したから」という理由で撤去が決定されたのです。
 群馬県はいったい何を言っているのでしょうか?
 朝鮮人強制連行があったことは歴史の事実です。群馬県内の朝鮮人労働者は群馬鉄山や、日本発送電岩本発電所工事、中島飛行機後閑地下工場工事などの各現場で働かされ、県内で6000人以上が労務動員されました。動員された朝鮮人の数が約1000人に達したという岩本発電所の工事現場は、請け負った間組の社史によれば、慢性的な飢餓と過酷な作業で死者が続出、逃亡者も相次いだのだそうです。
 労務動員は合法的に行われたから「強制連行」ではないというのが歴史を否定したがる人たちの理屈のようですが、合法的に連れてこられたからなおさら悪いのです。そしてそれが強制であったということは、連れて行かれた多くの被害者の証言によっても明らかです。そして逃げることもかなわない現場です。そんな奴隷労働による被害者を追悼するのは、加害国として、いや人として当然のことです。
 歴史的事実を口にしたら「政治的」? そんな不正義が許されていいのでしょうか。
 山本一太知事は行政代執行によって撤去すると明言しています。現在群馬では様々な抗議活動が繰り広げられていますが、この29日にも撤去される見通しです。重機を搬入するための樹木もすでに伐採されました。

 これこそが、日本軍「慰安婦」被害者ハルモニたちが立ち向かった、不正義そのものです。あったことをなかったことにしようとするたくらみであり、強制連行によって亡くなった朝鮮人たちの存在の否定です。
 このようなことが許されてよいわけがありません。みなさん、群馬県に抗議してください。
 なんとしてでも、追悼碑撤去をやめさせましょう。
 群馬の森朝鮮人追悼碑は、私たち日本人の良心の証しなのですから。 
 
〈抗議メール宛先〉
k-senryaku@pref.gunma.lg.jp
situmom@pref.gunma.lg.jp

 【群馬の森朝鮮人追悼碑の碑文】
「記憶、反省 そして友好」の追悼碑を建てる会
2004年4月24日
追悼碑建立にあたって
20世紀の一時期、わが国は朝鮮を植民地として支配した。また、先の大戦の最中、政府の労務動員計画により、多くの朝鮮人が全国の鉱山や軍需工場などに動員され、この群馬の地においても、事故や過労などで尊い命を失った人も少なくなかった。
21世紀を迎えたいま、私たちは、かつてわが国が朝鮮人に対し、多大の損害と苦痛を与えた歴史の事実を深く記憶にとどめ、心から反省し、二度と過ちを繰返さない決意を表明する。過去を忘れることなく、未来を見つめ、新しい相互の理解と友好を深めていきたいと考え、ここに労務動員による朝鮮人犠牲者を心から追悼するためにこの碑を建立する。この碑に込められた私たちのおもいを次の世代に引き継ぎ、さらなるアジアの平和と友好の発展を願うものである。

[2024年1月24日 第180回神戸水曜デモアピール原稿]

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