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さすらいもしないで。

今回は「旅行」。


先日壊れてしまった我が家の給湯器は無事復活したけれど、コロナ絡みで変わってしまった日常の復活は、まだまだ先なんだろうなと感じている今日この頃。発生が確認されてから一年というニュースを見て思ったのは、「旅行に行かなくなって一年かー」だった。昨年の2月にあった遠出の予定を、大事を取ってキャンセルした。今思えばあの時行っておけばよかったとも思うけど、もはや何の意味もない仮定の話はやめておいて、2019年末に行ったのが最後だったから、丸一年以上、どこにも旅行に行けずにいる。

うちのような作型の農家の場合、繁忙期である「春」と「秋」は土日祝日関係なく仕事せなあかんのよーということは子供の頃から知っているので、その時期に旅行に行こうなどとは微塵も思わない。ただ、その代わりに、仕事が落ち着く「夏」「冬」は、大胆な日数な休みにして、旅行でもなんでもわりと好き勝手出来るということに、就農してから気付いた。

だから繁忙期は黙って働き、終わったらどこかへ行ってパーッとやるというのがここ数年のルーティンになっていたし、忙しい繁忙期を乗り越えるモチベーションになっていた。さぁ終わったらお出かけだ!観光だ!温泉だ!ホテルだ!ご馳走だ!みたいに。

…それなのに!

まさかの状況だった2020年は、田植えやら梨の摘果やらの春の繁忙期が終わっても、さらに稲刈りやら梨売りやらの秋の繁忙期が終わっても、どこにも行けず…このコロナ禍では、やはりハードルが高かった。ややおさまりかけた瞬間やGOTOだ何だとかいうタイミングが、あったことにはあったたけど(それも今となってはいかがなものかとも思うし)、一人でささっとならまだしも、家族連れとなると、なかなか厳しいという判断をせざるを得なかった。
だから繁忙期が終わっても、どう?いやまだダメでしょ?そろそろ?いやまだ…と、うだうだ言ってるうちに次の繁忙期に突入…という、ご褒美のない世知辛い2020年を過ごしてきて、その「行けなかった」「」ご褒美が無かった」というツケがじわじわ効いてきている気もしている。

何も「旅行」だけがストレス発散ではないし、どこにも行かなかったのかと言われれば、行ける範囲で外出も外食もしてきたけど、農家になってからの僕にとっての「旅行」は、かけがえのないものの一つになっていたように思える。

というのも、自分の家とか地元近くにいると、実際のところ、いつでも仕事ができる。畑や田んぼはすぐそこ。やることなんて、草刈だの片付けだの無限にある。だけど休まないと疲れちゃうし、今日やらなくたって計画的にやればいいからと自分で決めて休むわけだけど、雨とか雪とか悪天候ならまだしも、晴れてたりなんかするとこれが良くない。「こんなに天気いいのに休んでいいのか…」という強迫観念が生まれてくる。これは、農家とか自宅で仕事をしてる人のあるあるだと思うけど、仕事とプライベートの切り替えが難しい場面が多々あり、「暇だから畑に行ってくるわー」という本末転倒な現象が発生してしまう。

これには「遠くにいる」ことが効く。帰らないと仕事はできない。はるばる出かけてきて、すぐには帰れないんだから、しょうがない。こうなると、過ごしやすい天気や残してきた仕事に対しての大義名分ができる。こうしてやっと解放されて、休むことができる気がする。だから、僕にとっては研修旅行や奥さんの実家への帰省ですら、そういう意味での「オフ」だったりもする。

そういう、かけがえのない「オフ」が、実際のところ一年以上も無いままだ。これはつらい。給湯器が壊れてお湯が出ないことよりもある意味ではつらいかもしれない。そして、この先もまだ見通しは暗い。気の持ちよう次第ではあるのだけど、どこか遠いところに行って、仕事から解放されたいという願望をどうにかしたい。

そのせいか、最近よく旅番組ばかり見てしまう。こんなご時世なので、最近のものは何かと制限もあるようだけど、コロナ禍前に収録したものの再放送なんかにはついつい見入ってしまう。マスクもせずにワイワイと。密になったり濃厚接触だったりな出演者たちを見るのは、今となっては不思議な感覚にもなるけども、行ったことのない風景や街並み、美味しそうな食べ物なんかを見てると、とても楽しい。「世界ふれあい街歩き」とか「せっかくグルメ」が特にお気に入り。そして決まって思う。「いつかここに行こう」。果たしていつになるか全く分からないし、そういう場所がどんどん増えて収拾つかなくなってはきてるけど、行ったことのあるなし関係なしに想像はどんどん広がる。
ほぼ毎年行ってたディズニー。未踏の地、四国。「せごどん」で見た鹿児島の桜島。今読んでる本の舞台で一度しか行ったことのない京都。箱根にあるというブックホテル。ドラクエができる淡路島。ジブリやレゴのある愛知。横浜のガンダム。お勧めしてもらった都内のカレー屋。最近局地的に熱い富良野。岩手の冷麺・じゃじゃ麺・わんこそば。第二のふるさと、僕のアナザースカイ、久々の鶴岡。奥さんの実家の近くにあるパン屋、蕎麦屋、居酒屋。弟の引っ越したマンション。さらにはマチュピチュやウユニ塩湖、ナスカの地上絵、ニューヨークやヨーロッパの街並み…海外も言い出すとほんとにきりがない。

全部行けるのはいつになるだろうか。コロナとか関係なく、時間とか料金とか体力とか、別な問題もあるわけだけど、とにかく早いとこ収まってくれることを祈るばかり。そしてそのあかつきには、電動バイクを充電してもらいながらとか、ディレクターと甘いもの早食い対決しながらとか、もやもやするお店に立ち寄ったりしながらとかやってあちこち巡りたい。ただ、ぶらぶら歩くんでもいい。野良猫に挨拶しながらくらいの感じで。いろんな旅番組を見過ぎて、最近では「ヒマラヤを登る!」「400kmウルトラマラソン」みたいなのや、「駅ピアノ」「空港ピアノ」みたいのも見ちゃってて、こうなったらもう山登り装備一式揃えないといけないし、ピアノも1曲弾けるようにならないといけない。旅行に行くまでに、やらなきゃいけいないことは山積みだ。

以前、竹原ピストルさんが、「旅をすると曲が生まれる」みたいなことを言っていた。最近の僕が曲を全然書けていないのは、旅をしていないからだ…と言い訳にするつもりはなく、それ以前の問題なのだけど、「旅」みたいな、そういうことが今は圧倒的に足りてない。かけがえのない「あのオフ」を、他の方法で見つけていかなければ。「旅」だって、出来ないわけじゃない。近場でもいいしね。まだまだ生きる気ではあるけど、せめてもう少しさすらってから死にたいし。このままではまだちょっと物足りない。そのためには頑張らねば。うがい、手洗い、ヤクルト!せっかく買ったミニギターも携えて、思う存分さすらうまでは!

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…と、書いてるうちに、予想以上に前向きこと書いてしまったけれど、まぁこれはこれでいい傾向ということにして、ひとまず今回はこの辺で。またそのうちに。

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