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【短編】再会はあの居酒屋で

友の背中

「絶対、また飲みに行こうな」そう約束を交わし、謙太郎と隆太はそれぞれの帰路についた。

 互いに別々の仕事に就きながらも定期的に居酒屋で会い、愚痴を交わし、仕事の話で盛り上がり、将来の事を語りあったり、何気ない他愛ない世間話もした。

 そんな二人が居酒屋で楽しめる習慣は、隆太が三十歳を迎えたある日、突然終わりを迎えた。

 謙太郎の実家の母親が他界した。そして足腰の弱った父の面倒を見なければならない理由で会社を辞め、引っ越しを余儀なくされたのだった。
 二人で飲める最後の日、会話の序盤は辛気臭い雰囲気が漂う内容であった。しかし無理やり明るい話に変えると、次第にいつものくだらない話になっていった。

 別れ際、隆太は帰っていく謙太郎の背を見て、どことなく疲弊している様子を感じ取った。

 もしかしたら、田舎に帰りたくないのかもしれない。
 もしかしたら、笑って語っていた妻子との喧嘩は、隆太の想像以上に激しいのかもしれない。
 もしかしたら、父親との同居はかなり苦労するのかもしれない。

 考えると色々浮かぶが謙太郎には訊けなかった。いや、訊いたところで隆太には何もできない。想像できる謙太郎の苦労を隆太には何一つ手助けできない。悩みを聞くぐらいが限界で支えにもならない。

 隆太はもどかしく思いつつも、謙太郎の背を眺めて見送った。

“絶対、また飲みに行こうな”

 せめてこの言葉が謙太郎の負担を軽減すると信じて。

仲間

 謙太郎と会う事が無くなって早半年が過ぎた。
 隆太は一人で飲む機会が増え、身近な人たちが次々に結婚していき寿退社する者も現れると、独身の見えない焦りが生まれた。
 皆遠くに行ってしまうような、よく分からない不安を抱きながらも、隆太は自身の心情を露にせず、黙々と仕事に取り組んだ。

 隆太は思った。寿退社する女性は仕方ないとして、後輩や先輩が結婚したところで同じ会社にいるのだから、当然いつも身近にいる。それなのに『離れていく感じ』という心情もおかしく思える。しかしその言葉が自身の心情に適しているから不思議であると。

 仕事の捗りもあまり変動はなく、少し良い事があって、大変な事が起こり、嫌な事が降りかかる、その繰り返しだ。そのどれもが常習化していて、もう当たり前枠に収まっていて、隆太のストレスを変動させる要因ではあっても均衡を保ち続けれている。
 人間の馴れは大したものだと、隆太は時々、ふと思ってしまう。

 約十か月が過ぎたある日、隆太は趣味の一つとして行っている温泉とサウナで、気の合う話し仲間が二人出来た。
 テレビで放送されるスーパー銭湯よりもインパクトは弱い所だが、風呂に入って、サウナに入って、夕食次いでにビールを飲める。場所はどうあれ風呂仲間と一緒に笑って話して過ごせる時間が出来た。

 この楽しい一時は毎日じゃない。それぞれの都合により週に二回、多くて三回。週一回という時もある。だけど、それだけでも隆太には満足であり、何時しか孤独を感じる気持ちも薄れていった。

 銭湯に行く習慣が続いて二か月後。謙太郎と最後の飲み会を終えて丁度一年になるある日の事。

「え? 隆さん、電話とかしないの?」仲間の一人、恵一が訊いた。
 恵一は隆太の二つ下で、三人の中では最年少。隆太の事を『隆さん』と呼ぶ。
 話は、隆太が謙太郎の事を思い出し、彼の話していた。

「あ、でも俺分かるかも、連絡しない気持ち」
 隆太の気持ちに同感するのは、隆太の一つ上の裕翔。しかし隆太と五か月しか年齢差が無いので、同い年のように隆太は接している。
 恵一は裕翔の事を『裕翔さん』と呼ぶ。”裕さん”と呼ばないのは、すでにそう呼ぶ人がいるかららしい。

「何で裕翔さん分かるんっすか?」恵一ビールを一口飲み、ジョッキを置いた。
「ん? だって俺のスマホに登録してる奴、殆ど連絡してないから」
「それ答えになってないっすよ。どうして連絡とかしないんすか?」
「連絡っつっても、何話していいか分かんねぇし、登録してるから友達って理由で連絡し続けたら俺の身がもたねぇよ。ってか、恵一は登録してる奴らに定期的な連絡とか取ってんのか?」
「俺はちゃーんと取ってますよ」ほろ酔いで返した。
「すごいな恵一君。友達想いなんだな」隆太は恵一を君付けで呼ぶ。
「ったり前っすよそれぐらい。二人しかいない高校の友達だから」

 たいそうに言っていたが、その数の少なさに裕翔は、にやける恵一の頭を撫でる程の弱い加減で叩いた。

「馬鹿野郎、俺らの事なんとも言えねぇだろ」
 恵一は酔った笑顔で返した。
「けど恵一君の言う通りだな。一人の友達にも連絡取れないってもの」
「けど隆太、そういうのって結構当たり前じゃないか? 俺らがしないものあるけど、登録してる奴らも連絡とかしてこないだろ。仕事も家庭も、あーあと、性格だったり?」
 言われてみたらそうなのだが。

 悩む隆太に向かって、恵一が訊いた。
「じゃあ隆さん、俺と中々会わなくなったら心配してくれないんっすか?」
「何言ってんの。するに決まってるだろ」
 恵一は嬉しく、笑顔で返した。当然、酔っているからこういう反応をするのだが、こういった愛嬌を滲ませる所は、隆太も裕翔も気に入っている。

「じゃあ、一度、何でもいいから連絡してみたらいいんじゃない?」
 裕翔が言うと、恵一が加えた。
「もし、一緒にサウナでも行けたら、四人でこうやって飲もうよ」
 酒が入っているせいもあるのだろうが、裕翔の後押し、恵一の誘いが、謙太郎に連絡を取る気持ちと勢いを与えてくれた。

 四人で一緒に酒が飲めたらどれだけ楽しいだろう。
 謙太郎は酔うと恵一に似ている所があるから、きっと二人に受け入れられやすい筈だ。

 そんな楽しい未来を考えると、隆太は早速謙太郎と話したい気持ちになった。
 家に帰って、LINEで謙太郎の名前を表示すると、父親の面倒を見る事になった事情と、あの疲れ切った背中が脳裏に浮かんだ。

 途端、手が止まった。

 隆太は裕翔と恵一と出会い、週に数回だが風呂に入ってビールを飲んで会話する楽しい時間を過ごしている。だけど謙太郎は老いた父親の世話で大変な思いをしている。仕事をやっているなら自分の時間を削って仕事と介護を両立しているだろう。それに嫁と喧嘩していたら、生き地獄でしかない。

 そんな現実的な推測が頭に浮かぶと、ドキュメンタリー番組で老いた親を介護する人や家族の映像が浮かんだ。その苦労と苦悩が思い出される。
 仲間内で浮かれて現実を知らない奴が、苦労している謙太郎にどんな文章を送れるだろうか。

(もし、一緒にサウナでも行けたら、四人でこうやって飲もうよ)

 恵一の未来ある言葉が思い出される。それに賛同する裕翔の言葉も続く。四人仲良く浴衣姿でビール入りジョッキを合わせて乾杯する場面を想像してしまう。

 明るい前向きな言葉、未来。それらはすべて謙太郎の現状を無視しての事だ。

 隆太は迷った。謙太郎に何を言えばいいのかと。

 そして連絡を入れなかった。

案外、なるようになるもの

「え、じゃあ結局連絡できずじまい?」裕翔が訊いた。
 隆太と裕翔は露天風呂に備えている長椅子に腰かけ、熱を冷ましている。夕方の心地よい風が風呂に浸かって熱くなった身体をゆっくりと冷ました。

 謙太郎に連絡をとろうと言った日から三日後。本日、恵一は貴重な友人と飲み会でいない。

「まあ、あの日は無理だった。何かこっちだけ浮かれて、謙太郎の状況無視してるなぁって」
「そりゃそうだけど、んな事言ってたら何一つ進展しないぞ」
 隆太は右掌を裕翔に向けるように手を肩の高さまで上げた。その動作が“大丈夫”と示していると裕翔は理解した。
「え、なんかあった?」
「その話を女性の同僚にしたんだよ。ああ、連絡したくてもしづらいって話に端折ってな」

 事細かに説明すると、ついつい余計な事まで手助けされることを防ぐための方便である。隆太はこういった端折った説明を女性にすることをよくする。女性の話好きな所が肌に合わない事が理由だ。

「で? 進展はあったのか?」
「『悩んでもしゃないから、とりあえず一言送って、後はなるようにしかならんでしょ』って。それでそいつの目の前でLINEで『元気?』って送った感じ」
「まあ同僚の言う通りだわな、なるようにしかならん。で? どう進展した?」

 隆太は謙太郎の返事が夕方に返ってきた事を話し、それからやり取りが続いたけどLINEが面倒になってきて電話で話すことになった。久しぶりだと話が弾み、一時間話した事を伝えた。

「まさになるようになったな」
「うん。考えすぎてたなぁって。悪い方に考えてたけど結構普通に暮らしてるって」
「会えるようには?」
「結構先」隆太は寂しそうな雰囲気を滲ませた。「……親父さんが先週亡くなったみたいで、葬儀の後で色々大変だってさ。来月の初めぐらいならって」
「あんま寂しそうにするもんじゃねぇだろ。親の葬儀は俺も経験したから結構つらいって分かるし、片付けやらなんやらが面倒なんだよ。そんな時に仲良かった奴から連絡来たらかなり嬉しいし助けられた気持ちになるわ。向こうもお前に会えるのすごく楽しみにしてるだろ。でなきゃ一時間も話しねぇから」

 裕翔の言葉は真っ当だった。考えすぎる隆太の救いのように。
 隆太は安心して、再び四人で会える未来の話を交わした。

あの居酒屋で

 翌月の五日。

 その日、隆太の足は軽快に目的地へ向かった。
 謙太郎との待ち合わせ場所は今まで通っていた居酒屋。時間は夜七時。会うのは一年と約一か月ぶり。 

 前もって仕事は別日に殆ど済ませ、今日は気持ちよく定時に帰宅でき、翌日は休日だから気兼ねなく酒も飲める。
 これほど心にゆとりのある日はいつ以来だろうか。裕翔と恵一に会って酒を飲める日も気分は高揚しているが、今日はそれ以上の高揚感がある。
 不思議と隆太は鼻歌を歌いながら居酒屋へ向かっている。

 以前電話で話をしたけどどんな話をしようか。
 約一年間、どんな生活を送っていたか話すだろうな。
 苦労話も笑って話せるだろう。そういえば部下が素っ頓狂なことをして苦労したなぁ。それも話のネタに出来る。
 謙太郎は風呂やサウナが好きであってほしい。そしたら四人で乾杯出来る。月一回でも、年に一回でもいい。その話は絶対しよう。

 上機嫌で話したい事が頭に浮かぶ隆太は、いよいよ居酒屋へ着いた。先客が乾杯している姿を見ると、自分達もまた乾杯できる姿が思い浮かんだ。
 スマホを確認すると、謙太郎が今駅に着いたとLINEが届いた。近くの駅から居酒屋までは歩いて十分もいらないほどの距離だ。
 隆太は、『先に居酒屋の中で待っている。ビールも頼んどく』と返信して店へ入った。

「いらっしゃいませ!」
 今日は店員の声がいつも以上に元気よく聞こえる。

 店員に案内された席へ腰かけた隆太は、生中を二つとつまみを三品頼んだ。
 五分ほどでつまみとビールが運ばれた。同時に別の店員が元気よく「いらっしゃいませ!」と言った。
 それが誰に向けられた言葉かを隆太は確信していた。

 隆太は入店した、約一年前と変わらない姿の謙太郎に向かって手をふった。

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