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私が机と友達になりたかったホントの理由(ワケ)

【前書き】

これは私が高校生の頃の実話である。

高校生の頃、私はよく授業で寝ている「感じ」の子だった。
机の上にはとりあえず適当に開いた教科書と参考書、そして一応真面目に書いていたノートとプリントを開いていたが、その表面から5センチほどの距離のところに、私の顔はほぼ常にあったのだった。

これだけを聞くと、ただ不真面目で勉強嫌いをオープンに主張している、ちょっと頭が足りないお茶目学生だと思われるかもしれない。

実際、そういう側面もあったことは否定しない。だが、私にはもっと深い理由があってそんな態度を取らざるを得なかったのだ。その真実について、今日はお話させていただきたい。

■年中楽しみたくない白くて薄い雪

例えばTwitterで「一年中ずっと雪が楽しめちゃう、しかも自家生成できるんです!」と言ったら、年中ロマンチックで羨ましい状況じゃないか、と思ってイイネ!したりリツイートしてくださる方は、広い日本ですから一定数いらっしゃると思う。でもこの雪は『すぐに溶けてなくなる』こともないし、そもそも『冷たい』こともないと言ったらどうだろう。「なんじゃそりゃ?それはもはや雪ではないだろう!」とリプしたくなるのではないか。

ここで言いたい雪の正体について先に暴いておくと、肌の新陳代謝がうまくいっていないことで起こる「落屑(らくせつ)」というものである。「落屑」とは、肌から剥がれ落ちた皮膚の表面である。皮膚の表面は半透明の白い色をしている。これは、顔だろうと、腕だろうと、頭皮だろうと、すべて同じ色をしている。

なので、ロマンチックな表現をせずに、とても正確に言い直すと「一年中ずっと剥がれて落ち行く皮膚が楽しめちゃう、しかも自分の皮膚から作れちゃうんですよ!」っていうことになる。

さぁ、皆さんのイメージがだいぶ変わったのではないだろうか。ハッキリ言って「ゾッとする」し「気持ち悪い」し「気色悪い」からそんな状況いらないと思われた方、多いのではないだろうか。(「そんなことない!」と強がらないで、思った人は正直にその場で挙手してみよ(笑)。)

この「落屑」が起きる病気はいくつかあるのだが、私の場合は『アトピー性皮膚炎(以下アトピー)』によって、この症状が年中起きている状態なのだ。しかも、高校生の頃は、思春期的な強がりもあって(後述あり)この症状が一番ひどく出ていたころであった。

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■薬と光と顔

私が華の女子高生を謳歌していた時、「落屑」が顕著に出ていたのは『顔』だった。厳格な女子教育をしている私立校に通っていた私は学則でお化粧などはできない環境で常にすっぴんで生活していたので、症状が出てカサカサで真っ赤になっている顔をファンデーションなどで隠す術がなかった。

とはいえ、『アトピー』の塗り薬はベットリとした軟膏だったり、白い色の付いたクリームだったので、顔に付けて歩くのも癪だったのだ。塗るとなんだか、汗ばんだみたいにテカテカで、、、それはツヤ玉どころか、顔全体で太陽の光を反射できてしまいそうなくらいの、醤油・砂糖・みりん・酒のタレに片栗粉を混ぜてテリテリになった照り焼きソースみたいな、そんなピカピカ度合いだったのだ。しかも、デンプン糊くらいの粘度がある薬が付いた顔に髪の毛がべちゃっとくっついた日には、髪の毛は、リンスを洗い流すのを忘れた日みたいに、緩すぎる針金みたいに、変に固まって結構惨めな気分になるのだ。また強風の日には、とっても小さいコバエがくっついたりして、「私は窓際のコバエホイホイか!あるいは雨の日でも万能な軒下の蜘蛛の巣か!」と思いつつ顔を洗うこともあり、とりあえず病気が沈静化される以外には生活への弊害しか思い浮かばない塗り薬だったから癪だったのだ。

「そんな顔になるくらいならまだカサカサしてた方が、誰が見たって病人だってわかるし、薬は塗らなくなったらまた症状がぶり返すんだから、もういっそ塗らなくていいや。校則で化粧もできないし。」と開き直り、薬が手元にあったにも関わらず、塗らずに学校生活を送っていた。

しかし、薬を塗らなければ「落屑」は止まらない。歩いていても、座っていても、ずり落ちためがねを引き上げる動作をするだけでも、容赦なく「白い雪」は私の顔からぽろぽろと舞い落ちていく。

■めがねとの葛藤

そして(やっと)机の話に戻るのだが、授業で席について、黒板とノートの目線を行き来させる動作を1時間もしたら、机の上、いやノートや教科書の上にはハラハラと雪が降り積もっている状況が容易にご想像いただけるかと思う。しかも当時はめがねをかけていたので、レンズの内側にも外側にも視界を遮らんと雪が張り付いてくるので、ご想像のさらに上を行く状況になってしまっていた点を補足したい。

初めのうち(主に中学生の頃)は、レンズをこまめにクロスやハンカチで拭いていたものの、永遠に終わらないイタチごっこを繰り返しているうちに授業の内容が進んでしまうので、そのうち、めがねを常にかけていることをあきらめるようになった。

ちなみに「コンタクトレンズという選択肢は考えなかったのか?」というツッコミを想定して予めご説明させていただくと、「落屑」は屑ではあるものの大きいものからとても微細なものまで幅広いサイズがあり、微細なものが目に入ったときは当然、眼球丸洗いなのだが、コンタクトレンズにしてしまったら、屑が入り込むごとにゴロゴロして授業が終わるごとに丸洗いだし、そもそも「落屑」に伴うかゆみと「落屑」に対応するイライラに加えて、眼球のゴロゴロのストレスが加わったらもう発狂してしまいそうになるから、当時選択肢からは外したのだった。

めがねをかけるのをあきらめると、当たり前だが黒板は見えにくい。だから私は基本的に教室の最前列に座っていた。最前列だと、先生の声も間近に聞こえるので授業の進行もよくわかり、黒板を見る回数を減らすことに成功した。つまり、結構長い時間ずっと下を向いている状態で授業を受けていたのだ。冒頭で説明した「机(ノート)から5センチくらいの距離感」を保って。

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■そして私は机と友達になった

さて、ここまで読まれた貴方には「机(ノート)上空5センチ」の体制で眠くならないのか、という素朴な疑問が浮かんでくるのではなかろうか。

実際、眠くなってしまうことは多かったし、眠気に負けて机(ノート)とゼロ距離になることはあった。それで先生に起こされることも茶飯事だったが、5センチを保てている時には、必ずやっている作業が実はあったので、いつもそうだったわけではないのだ。

その作業とは「落屑剥がし」という。

「落屑はがし」とは、今後落つる運命にある顔の表皮たちを自らの爪で剥がし、早めにその生を全うさせてやるという自傷作業である。

5センチにこだわるのは、その距離であればうまい具合に「ハラハラせずに」ノートの上に落ちてくれるからなのだが、、、そうやってきれいにノート表面へ着地してくれた「落屑」たちをノートからそっと、机と教科書の間に落として隠して「よしっ」と思ったら、突然目覚めた学生のようにバッと勢いよく顔を上げて、板書を他の子の2倍ぐらいの速さで書き写していた…そんな裏事情を抱えながら授業を受けていたのだ。(だから、手元を見ずに字をまっすぐ書くことが人より無駄に上手かったりする。)

ちょいと無理やり感があるかもしれないが、毎日毎日、何時間も5センチの距離感で向かい合ってくれている机は、ほかの誰よりも私を受け止めてくれる、紛れもなく「友達」だったのだ。

■「机と友達」で意図せず回避されていた生きにくさ

実は社会人になってからわかったことなのだが、私は中度の『ADHD』だったのだ。そして今もその症状とうまく付き合えるように、自分の性質に適応した生活上の工夫を日々編み出して、トライ&エラーを繰り返している状況である。

ネットで調べた範疇での話だが、幼いころから『アトピー』と付き合ってきた人が大人になっても『ADHD』の症状を抱えていることは割とあるようなのだ。その相関関係については、国内外の専門機関(主に大学など)で研究されている分野であるが、私が自己経験から紐解くには恐らく、「かゆい」という意識と、「体を引っ掻く」「落屑を剥く」といった自傷行動が24時間毎分毎秒付きまとう生活を幼いころから永く続けていることで、今目の前にある「やらなければならないこと」への思考・意識と並行して常に『アトピー』に対する意識が走っている状態が生まれてしまうから、『ADHD』特有の「多動性」「衝動性」「集中力欠如」などといった脳性質になってしまうのでは?と考えられる(あくまで個人的見解)。

『ADHD』の症状の出方は人によってさまざまだが、私の場合は①視覚情報優位②衝動優位③集中力欠如④整理力欠如、である。視覚情報優位とは、目から入ってくる情報が耳やほかの感覚から入ってくる情報よりも反応しやすいということで、具体的に言えば、物事を覚えたり理解したりするときには、画像・映像・文字で見た方が、耳で聞いたり身体的痛みを伴うよりも圧倒的に向いているということである。

逆に、いろんなものが『見えてしまう』状況下にいると、情報過多になってしまい、頭が処理しきれなくなってしまうのだ。とかく、高校生の教室授業ともなると、前方に座っているクラスメイトのちょっとしたしぐさやじゃれ合い、「あの子、この授業で何回あくびしたわー」など、どうでもいいことまでに意識が取られてしまい、集中力が散漫なまま、先生の話は全く耳に入って来ずに、授業についていけなくなる事態になるのだ。

だから、最前列に机を置き、机と常に向き合っている体制と、ときどき目にするものは黒板(と先生の足元)という環境は、授業から集中力を奪うあらゆる視覚情報から結果的にガードされることとなり、寝てしまうかもしれないデメリットはあったものの、それでもなお、自分の性格に圧倒的に適合しまくっていた環境だったのだ。

しかも「落屑を剥がす」という作業が、『ADHD』のもう一つの性質である「過集中」の対象になっており、『ADHD』は何かに「過集中」できていると多動が抑えられるので、授業中にぐちゃぐちゃ動いたり、別のことを考えたりといった『体と頭の多動』の防止になって、二重の意味で私的に最高の授業環境だったのだ。

高校生で机と友達になっていた私は、知らず知らずのうちに、『ADHD』で生きにくさを感じる日々から回避していたのだった。

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■終わりに

今回は私の『アトピー』と『ADHD』という持病との付き合い方を、高校時代に遡ってお話させていただいたが、いかがだっただろうか。

世間的に『アトピー』や『ADHD』の症状は、特徴的な一端しか知られていないことが多く、当事者は世の中とのイメージの相違に未だ悩まされがちである。『アトピー』の痒みも『ADHD』の思い通りにいかないもどかしさも、当事者でなければわからないことではあるから、これらを全て理解しようとなんてしていただかなくて結構(だって無理な話だから)なのだが、「『アトピー』ってただかゆいだけでしょ?」や「『ADHD』なんて努力が足りないだけの怠け病でしょ?」と偏った情報だけで決めつけて、簡単に片づけないでほしいのだ。クイックルワイパーでスイッスイ―と片付けられるほど、病状は甘くないし根深いのだから。また、今回はあまり触れなかったが、これらの病気を持っていない人とは明らかに生活で気にする部分が多いため、ストレスもその分多くかかるし、そのストレスから起因するメンタル面の二次被害も結構馬鹿にできなかったりするので、それも忘れないでいて欲しい。

冒頭に「机と友達」というワードを出して、ただの陰キャのボヤキかと思われた方には、期待を大幅に裏切る形となり誠に申し訳ないと思っている。ただ、ここまで辛抱強く読み進めていただけたことに、心から称賛と感謝の意を送らせていただきたい。

最後になるが、現在の私の友達は机ではなく「コロコロ」である。筒に粘着テープが巻き付いていて、コロコロと転がしてゴミやチリをキャッチしてくれる超優秀アイテムだ。20代後半になった今でも悩まされている雪の「落屑」(塗り薬をつけてもいるし、飲み薬も飲んでいるにも関わらず改善されないのだが汗)は、彼を導入したことで、コロコロッと楽しく回収できるようになったので毎日が非常に快適である。

快適だが、できれば、彼にも頼らないで生きられる体質に生まれ変わりたいものだ。

※挿入している画像は表題写真を除き、筆者自身が撮影したものから何となく選んだものであるため、文章との関連があまり感じられないものもあるが、アクセントとしてみていただければ幸甚である。なお、表題写真の撮影された方には、素晴らしい写真をnote内にシェアいただき、ただただ感謝!である。


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