「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」賛否両論の格言に歴史を学ぶを考える
「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」
この言葉はドイツ帝国統一の立役者で、初代鉄血宰相として活躍したビスマルクの言葉として引用されることが多い。一方で出典が明確でなく疑わしいとする説もある。真偽は定かでない。
この言葉の意味は、自分の体験から物事を組み立てるのは愚かなことであり、広く沢山の人の体験を参考に組み立てる方が賢い。こんなところか。
自分が身をもって体験したことが将来役に立つ公算は高い。特に失敗体験は痛みを伴っているので、同じことを繰り返す確率は下がると思われる。反面確かに自分の体験ベースの思考ばかりだと選択肢は限られてくる。では成功者の歴史書を片っ端から読んだとしても、同じように成功を掴めるのか?
この格言には賛否両論がいつも付きまとう。
歴史など過去の事を学んだとしても意味がないと仰せの方もいらっしゃるが、是には賛成できかねる。
様々な人の一生を断片的ではあるが覗いて見ると、心を奪われることやはっとさせられることも沢山ある。人は生れ落ちて、この世から消えるまでいろんなことに出逢って生きていく。しかも長い時間をかけてそれを繰り返してきた。それらの物語の中に自分の選択肢を見つけることも確かにあるのだ。
しかし、環境の変化は否めない。車社会、パソコンにスマホ、高速通信網、AI、ドローン、宇宙ステーション、武器も含めて著しい科学の進化、昔と比べると病的にまで清潔な世の中、合理化の極みの現世に歴史から学ぶことなど活かすことができるのか。そもそも全く環境が異なる別世界になっているのだから。
いや、とんでもない。変化したのはツールであって、それを使う人間達をご覧んなさいな。利己的で、お調子者で、欲深く、すぐに図に乗る、ずる賢く噓つきの人間の本質は少しも変わっていないじゃないのさ。そりゃ社会契約は随分と熟してきたけど、やってることの本質は平安時代の物語とたいして変わらないと思うのだけど、ホントに。
歴史の中に良いお手本も悪い失敗例も山ほど埋まっている。それを自分の選択肢にできるか、できないか。結局は個人のアンテナの性能によるのかもしれない。
【REG's Diary たぶれ落窪草紙 1月10日(水)】
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