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独り暮らしという恩師

 先日久しぶりに上京し、若い頃うろうろしていた街へ短い時間であったが出かけてみると色々と当時の情景が浮かんできた。街自体に当時の面影はないのだが。

 初めて独り暮らしをした。母親である友人たちは初めて子供を一人暮らしに送り出すと、号泣するという。子を思う母心とは海よりも深しである。ありがたいことだ。

 当の本人たちは、そんな親心を理解できるはずもなく、小躍りしたくなるくらい独り暮らしにウキウキするのだが、そんな妄想はすぐに現実にぶち壊される。

 まずはお金の価値を思い知らされる。若くても賢い御子息御令嬢の皆さんは計画経済に乗っ取り、痛い思いなどすることなく、身の丈に合った一人暮らしを謳歌したのだろうが、ウキウキのローカル息子はそうはいかない。今考えると、この頃は大きな闇と不安を抱えていた私は、それとは絶対向き合いたくなくて、やけ気味になっていたのかもしれない。詳細はそのうち・・・とにかく言い訳だ。
 お金がないとどうなるかを骨の髄まで知ることになる。

 一人で暮らすということはとても自由であり、誰からも色々言われることなく、自分ですべてを決められるから楽しいのだが、そもそも自分自身を自分が制御しないと暮らしが成り立たない。この部分が独り暮らしを始める前に、小さくても自分の中に育っていないと必ず壁にぶち当たる。

 体調を崩すと一人であるという物理的な状況はとどめを刺してくる。対処を自分一人で行わなくてはならない。誰も面倒を見てくれるわけではない。熱を下げる、病院に行く、薬を買う、栄養を取るなど発熱時に自分で対応するのは結構大変なことだった。

 人には事前に痛い思いを察知して避けて通れるタイプの人がいる。こういう人は慎重に思考するので、あまり大きな失敗はしない。痛い思いをして初めて状況の把握や対処を覚える人もいる。この場合、最初の痛い思いが大きいと後々に爪跡を残すことになる。もっとも痛い思いをしても変わらない人もいるので、それはそれで・・・。

 一人暮らしは容赦なく、暮らしの骨格をたたき込んでくれる。金銭感覚、事前の備え、家族や友人のありがたさ、モチベーションの維持、どれもあの頃学んだことは今も活きている。

【REG's Diary  たぶれ落窪草紙  3月10日(日)】

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