見出し画像

歴旅京都2日目 龍安寺、仁和寺、鹿苑寺

 京都の野菜は美味しい。私はサツマイモとカボチャは自分から進んでは食べないが(決して食べられない訳ではない)甘さと水分のバランスが良いのでパクパクいってしまう。ほうれん草、ナス、レンコン、たけのこなど美味しい天ぷらやお番菜で頂くと、京都にいることを実感する。歴史の表舞台に立ってきた強者たちも美味しい野菜食べたのでしょう。


龍安寺 石庭
龍安寺 石庭

 今日は龍安寺から。この辺りは円融天皇(NHK大河で吉田羊さんに辛くあたった一条天皇の父)の創建した円融寺があったが、平安末には藤原北家の徳大寺氏の山荘になっていた。
 これを細川勝元が手に入れて1450年に龍安寺を創建する。
 細川勝元といえば山名宗全と応仁の乱をおっ始めたお方、真っ先に龍安寺は攻撃される。
 1499年に再建され、石庭はその時からあったようだ。
 枯山水、泉水型庭園を造れないくらい、応仁の乱で京都は疲弊したのでしょう。

仁和寺
仁和寺


この寺の何とも言えない気品はどこから来るのだろう。
886年光孝天皇の御願寺が着工されるが、翌年天皇は崩御、次の宇多天皇が888年に仁和寺を完成させる。897年に宇多天皇は譲位し、後に出家して仁和寺第一世宇多法王となる。
 これより皇室出身者が、代々仁和寺の住職(門跡という)を務め、平安から鎌倉まで門跡寺院として、最高の格式を得る。なるほど、高貴なお寺である。
 しかし応仁の乱で消失、本尊など重要なものは避難したようだが。
 江戸時代徳川家光の承認により再興される。しかも御所の建て替えと重なり、金堂など多くの建造物が下賜された。その後御殿の火災もあったり、宮門跡も廃止されたが、仁和寺の格式の高さは歴史が証明している。

鹿苑寺 金閣寺
金閣寺

金閣寺と清水寺の混み方はちょっと違うレベルだ。この圧倒的な金の寺院は外国人観光客も黙らせる。いや大はしゃぎで撮影大会もしてた。
 正式名称は鹿苑寺、金閣は舎利殿なのだが、あまりにも有名なので金閣寺とも言われている。第3代足利将軍義満の北山殿、山荘であった。
 応仁の乱でも消失しなかった金閣寺が昭和の戦後に放火事件が起こってしまう。
 私は金閣寺を見ると三島由紀夫の金閣寺を思い出してしまう。
 これも歴史なのだ。

 大徳寺、今宮神社、北野天満宮にも行ってきた。京都は凄い。
【REGs Diary.       たぶれ落窪草紙 4月16日(火)】

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?