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計画的貧乏【連載小説#2】

残りの全財産が約70万円となった僕は、
早くも計画的貧乏生活2週目を迎えた。

金額的に、まだ“完全なる貧乏”と呼ぶまでには日数がかかりそうだ。しかし、1週目の終わりに感じた、一気に貯金額が減ることへの強烈なまでの不安。あの気持ちを2週連続で味わうほどに、まだ僕の心は強くはなかった。

それならば、と思った。
週の初めにそのダメージを味わっておこう。そう考えた僕は、週の初めに思い切って一気に使うことにした。先行投資先は、7万円のカメラ。

弁解しておくが、僕は別にプロのカメラマンでも何でもない。というか、プロならこんな機会がなくてもとっくに購入しているだろう。

高校時代に写真部だったのだ。

部活動への加入が必須、という絶望的事実を知らされた高校入学初日。その瞬間、僕は頭をフル回転させた。そして、3年間を出来得る限り穏便に生き抜けぬく最大の条件を見出した。それは“幽霊部員が最も多い部活であること”だった。そんな条件に対して、最適解と判断したのが写真部だったのだ。

幸いにも、1番緩そうというイメージは入部後もギャップを感じることなかった。さらに、自前のカメラを持っていなくとも学校のカメラを使ってもいいことも入部を後押しした。

勿論。僕は代々の先輩達にあやかり、入部当初は完全なる幽霊部員になる気満々でいた。しかし、学校のカメラを借りて何枚か撮るうち、“案外写真、面白いかも”不覚にもそう思ってしまった。

動画で切り抜けない一瞬の表情。
きっと二度と同じ形をすることのない雲。
空色にも群青にも変わる空。

今も当時も変わらず、話すことがあまり得意でない僕にとって。写真は僕の目線から世界を表現する唯一無二の手段となってくれた。

ただ、どうしても自前のカメラを購入にはそれなりの値段がかかる。もちろん手頃な値段のものはいくつかあるけれど。本格的でないと買う意味がない、謎のプライドが高校卒業以降、僕から写真を遠ざけた。

しかし、最初の週に「かなめ」の鯖の味噌煮定食を食べながら“この先何にお金を使おうか”と頭を悩ませているうち。高校時代をふと思い出した僕は“計画的貧乏生活は、カメラを購入する理由としてはうってつけだ”そんな考えが浮かんだ。

前週使いきれなかった2万円。そして、今週分の5万円を合わせて7万円。決して超高級とは言い難いが、高校時代のプライドを傷つけない程度の一眼レフを購入することができた。

会社帰りに立ち寄ったビッグカメラからの帰り道。右手にはどん兵衛の入ったビニール袋。左手にはカメラの入った紙袋。

嬉しい重さを抱えて帰宅した僕は、大切に持ち帰ったカメラの袋を開封した。そして、170円のどん兵衛にありつきながら7万円のカメラを眺め、久しぶりに触れる写真に何を撮ろうかと考えた。

翌日。

僕は昼食に「かなめ」でしば漬け入りのタルタルがたっぷりかかったチキン南蛮定食を食べていた。
いつもなら存分に味わう大将の味付け。しかし、この日は少し緊張していたため、圧倒的に美味しいはずのチキン南蛮を味わいきれぬまま食べ終えた。

そうして、頃合いを見てて大将と奥さんに声をかけた。

「大将、奥さん」

「僕、実はカメラが趣味なんです。それで、その....。昨日買ったカメラで大将と奥さんを撮りたいなと思って。久しぶりなので上手くは撮れる自信ないんですけど、もしご迷惑でなければ....いいですか」

「まあ!嬉しいわ」

そう返してくれた奥さんの言葉に僕は安堵した。

少し照れくさそうに顔を見合わせた2人は、やはり照れくさそうに笑いながら厨房の脇で並んで立ってくれた。何枚か撮るうちに緊張の解けた大将が、奥さんの方に手をかけた。それを機に、さらに笑顔を増した2人はまさに「かなめ」の温かい雰囲気そのものだった。

すごくいい写真だ。
自分でも思った。

「ありがとうございました。これ、今度来る時現像してお渡しします」
「ありがとうね。焦らんでいいよ」

1枚目の写真は「かなめ」の大将と奥さんを撮ろう。どん兵衛を啜りながら思いついた考え。カメラを前に照れくさそうに微笑む2人の様子は、間違いなく“そうして良かった”と思える光景となった。

会社の帰りにコンビニに寄り、1枚30円の写真を厳選し4枚印刷した。大将と奥さんの分の2枚と、自分用の2枚。久しぶりの自分なりの表現方法を大切に取っておきたかった。

翌日の出社を楽しみにソワソワするなんて会社員人生で初めてだった。

早く昼休みにならないかと思いながら、二人に渡す用の写真をデスクの小脇に置いていた。その写真に気づいた同期の1人がチラッと横目に見て。

「あれ、これ。『かなめ』の大将と奥さん?」
「すげえいい写真じゃん」

そう話しかけてくれた。

「あ、うん。何ていうかその。高校の時少し写真をやってて。昨日久しぶりにカメラ買ったから撮らせて貰ったんだ」

「へえ、いいじゃん!職人気質の大将のこんな笑顔初めて見た。カメラの素質あるんだね」

業務内容以外の会話をこんなにも会社の仲間とするのは初めてで、すごく新鮮というか。くすぐったい気持ちだった。

たった2枚の写真。

それが僕を殻の中生活から少し引っ張り出して、誰かと繋がるきっかけになる。その感覚は不思議と嫌ではなかった。

「そうだ、今度広報部で会社の宣伝用の写真撮りたいって部署の人達が言っていたな。せっかくいい写真撮るし、どうかな?協力してくれたら嬉しいんだけど」

「え、あ。うん、もちろん。うん、もちろん大丈夫もちろん」

思いがけない展開に気が動転してしまって、“うん”と“もちろん”を繰り返した僕の返事はすごく変だった。ただ、良い意味でささっと鳥肌が立って。

嬉しさが脳にまで広がった。
カメラ、買って良かった。

「かなめ」に向かいながら、きっと今の自分は会社員人生史上一番にやけているかも知れない。僕らしくないことを思いながら、暖簾をくぐった。

「あら〜、昨日は嬉しかったよ。ありがとうね」

天ぷら定食を注文するついでに、お冷を持ってきてくれた奥さんに昨日の写真を渡した。

「こんなに素敵に撮れているのね、嬉しいわ」
そう言った奥さんはすぐに厨房の方へと向かい。

「あなた、ほら昨日の。こ〜んなに皺が増えちゃって恥ずかしいわ」

恥ずかしそうに、だけど間違いなく嬉しそう大将に写真を見せて喜んでいた。大将も料理の盛り付けをしながらチラッと写真を見た瞬間、顔を綻ばせた。

「かなめに送ろうかねえ」

そう笑顔で話す奥さんの言葉から
店名が2人が愛娘の名にちなんで付けられた事を知った。

どの定食を食べても想像の1.5倍は優に超える美味しさを味わえる「かなめ」定食だけれど。今日の定食は、一段と美味しかった。

同期との会話。
奥さんと大将の笑顔。
お店の名前の由来を知れたこと。

計画的貧乏生活がなければ、こうしたことが起きなかった。そう思うと、残高が減ることへの不安は消えずとも、心が満たされていく感覚になった。

それも、カメラを買って、ただ自分のために写真を撮るだけではきっと感じられなかった気持ちに出会えたことが何よりも嬉しかった。

計画的貧乏生活2週目。

残高63万円。

僕が僕を表現する手段を見出せたこと。そして、それによって誰かと繋がる嬉しさを知れた。

(続く)

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