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男が護りたかったものとは?映画『PERFECT DAYS』を観て。

決して綺麗とは言えないアパート。
裕福とは言い難い質素な暮らし。
あまり好まれないトイレ清掃の仕事。
それでも、男は自らの生き様を愛していた――。

先日、映画『PERFECT DAYS』を観に行きました。

主演の役所広司さんは『素晴らしき世界』での演技に魅了されて以来、彼の演じる世界観に浸ることは単に映画を観るに収まらない没入感を私に与えてくれます。

そして、今回のPERFECT DAYSもどっぷりとその世界観の余韻が抜けない昨今。役所広司さん演じる男「ヒラヤマ」が見せてくれた彼の日常と生き様の魅力について、描いていければと思います。(ネタバレを大いに含みます。もし観るご予定のある方は御注意願います)

■主人公「ヒラヤマ」の日常

トイレの清掃員として日々働く男、ヒラヤマ。彼の1日は決まって2階の寝室から、外をほうきで掃く音かで目覚める所から始まる。

彼のお気に入りの植物に霧吹きで水を与える。ツナギを着て、軽バンに乗り込む前に1本のコーヒーを購入する。そして仕事へと向かう。ここまでする?と恐らく誰もが思う匙加減で、彼は念入りにトイレ清掃を行う。時には自作した掃除道具を駆使する程に。

昼時になると、サンドイッチを購入して神社のベンチで食す。その時の空模様をカメラに収める。いわゆる“今どき”のものではなく、フィルムカメラ。車には年代物のカセットがある。仕事を終えると、駅構内の飲み屋で酒とつまみを嗜む。そうして寝床の電気を灯して少しだけ本を読み、彼は眠る。

休みの日になるとフィルムカメラで撮影した写真を現像するために、店に行く。前回預けた写真の現像と引き換えに、フィルムを渡す。缶に溜めているのはこれまで撮影した彼のコレクションだ。夜になると、スナックへ通う。スナックのママに微かな好意を抱くヒラヤマにとっては休日の愉しみなのだろう。こうして彼は彼だけのルーティンに沿った日常を過ごす。

必要以上のセリフなく、淡々と日常が流れる映像に“物足りなさ”をもしかすると感じる人もいるだろう。実際、同じ映画を観た知り合いがそういった感想を抱いていたし、どれほど「良かった」と思う私でも万人ウケする映画だとは思わない。

ただ、私はこの日常が。彼の生き様が。そして彼の仕事に対する眼差しが堪らなく好きだった。

■「ヒラヤマ」の仕事に対する眼差し

映画中にこんな場面があった。

トイレの個室で幼児が泣いていた。清掃をしようと近くにいたヒラヤマは個室から聞こえた泣き声で迷子を察知し、彼の手を握って母親の元へと届ける。母親はヒラヤマをトイレの清掃員と認識し、男児の手を除菌シートで拭いた。

自宅であれば許容範囲のトイレ清掃を街の、それも多くの人が行き交う渋谷でしてください、なんてお願いされても私はすぐに首を縦に振ることが出来ない。“汚そう”というイメージがどうしたってあるトイレの清掃員の仕事を、自らの意志でしたいと思う人は果たしてどのくらいいるのだろう。けれど、そんな私の懸念とは裏腹にヒラヤマの仕事に対する姿勢はあまりにも真っ直ぐだった。

彼は一度も映画中で「仕事が好きだ」なんてことを口にはしていない。けれど、彼が彼のトイレ清掃の仕事を心から愛していることは傍から見ても明らかだった。

自作した清掃道具の数々。清掃中に人が入ってきたときに、一度外に出て、空を見上げた時に目の端に寄る皴は彼が微笑む様子を表していた。彼にとって、トイレ清掃の仕事は彼が彼である為に必要な要素であって、誰に何を言われてもどう思われても揺るぎなく彼たらしめるものなのだ、と感じた。

■思い出した「レンガ積みの職人」の話

映画を観て真っ先に思い出した話がある。「3人のレンガ職人の話」だ。もしかすると、学校で聞いたことがあるなんて方も中にはいらっしゃるのではないだろうか。

話を簡単にまとめるとこのようになる。

中世のとあるヨーロッパの街を歩いていた旅人は3人のレンガ職人に出会う。旅人は3人それぞれに「何をしているのか」と尋ねた。

1人目はこう答えた。「見ての通り、“レンガ”を積んでいるんだよ。暑くて大変だからもういい加減こりごりだよ」と。

続く2人目はこう答える。「レンガを積んで“壁”を作っているんだ。この仕事は大変だけど、金(カネ)になるからやっている」と。

そして3人目はこう答える。「レンガを積んで、後世に残る“大聖堂”を造っている。こんな仕事に就けてとても光栄だ」と。

https://www.central-engineering.jp/recruit/blog/laseek_20190418

言われて仕事をする1人目のレンガ職人。

自らの意志で仕事をしているが目的はお金である2人目のレンガ職人。

自らの意志で仕事をし、更に目的を自分事と仕事をする3人目のレンガ職人。

この話の教訓は私なりの解釈でいうと、きっとこうだ。仕事をする時は、目的意識を持ち、それを自分事として捉えるのが良い。同じ仕事でも明確な目的意識と志を持って仕事をすると働く意味を見出せる、と言ったところだろう。

何故かふと思い出したこの3人のレンガ職人の話。

そして、映画の内容と照らし合わせて考えてみた。ヒラヤマの仕事に対する意識はどのレンガ職人だろう、と。

どのレンガ職人でもなかった。

確かに彼は誰かに言わされて仕事をしているわけではなかった。その路線でいえば2人目か3人目かと思いきや、どうやらお金が目的でもなさそうだ。それならば、明確な目的意識を抱いた3人目?と思ったが彼に「日本中のトイレを美しくしたい!」という強い意識は感じない。

しかし、幾つもの場面から分かる彼がトイレ清掃の仕事をこよなく愛しているという事実。そう、彼は彼自身の意志で。彼の日常を護る為に仕事をしているのである。

実際、同じ清掃の仕事をする青年が帰りの車に乗せて欲しいと頼んだ時。ヒラヤマの大切なカセットを中古で売ろうとした時、彼はそれを拒んだ。言葉では表現しなくても、彼の表情は日常を崩されることをに対する嫌悪感を表していた。

彼にとってトイレの清掃は、大きな何かを成し遂げるものでも、彼を偉くするのもでもなかった。朝、植物に霧吹きで水をやるのと同じように、夜居酒屋で酒とつまみを嗜むように日常の一部であり、そのほかの日常を護るためものでもあるのだ。

◾️「何か大きなことを成し遂げる」が仕事だと思っていた

これまで、私は仕事は“何か大きなことを成し遂げてこそ仕事だ”と考えていた。イソップ寓話で言う3人目のレンガ職人である。

目的意識を持って、自分が歯車の中心となる意識を持つ。それこそが仕事に対するスタンスだ。その考えは揺るぎないと思っていた。

しかし、最近は少し違う。私は私の護りたい暮らしがある。それは時間に追われず「食材」にこだわって料理を楽しむ時間。食材を味わい、食事をする時間。自分にしか描けない楽しい文章を描く時間。

“れいちゃんのぼっち飯”という私が護りたい日常、そしてその延長におむすびやライターの活動は存在する。れいちゃんはれいちゃんの日常を護る為に、働く。自分ごとであって、目的は大切な日常を護ること。

ヒラヤマが毎晩行く居酒屋は私にとって心が落ち着くカフェであり、たまに行くスナックは大好きなお姉さんがいるお豆腐屋さんである。

自分の日常を護る。ヒラヤマが。男が護りたかったのはきっと自分だけの。誰にも邪魔されないヒラヤマだけの暮らしだと思った。

「こんなふうにいきていけたなら」

そんなサブタイトルの付けられたこの映画。自分と照らし合わせて思う。あぁ、私も。れいちゃんのぼっち飯という日常と生き様をを愛し、その延長にある仕事をこのまま愛する生き方をこの先もしていたいと心底思う。

本日もお読みいただきありがとうございました。


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