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僕の文章には意味はない

「僕が話すことには意味がないので」
これは僕のメンターがよく話していた言葉です。どんな時に話すのかというと、セミナーの時です。セミナーの冒頭でよく口にされていました。そうです、そのメンターはセミナー講師なんです。

セミナー講師が、セミナーの冒頭で「僕が話すことには意味がない」って言うんです。「何それ?どういうこと!?」って思いません?

こんなことをお伝えします。こんなことが学べます。身につきます。なのでよかったら来てください。一般的にはセミナーってこんな感じじゃないですか。セミナーというのは、講師が伝える内容が価値のはずです。

なのに、その価値を真っ向から否定するわけです。もちろん、そのメンターは話に興味を持ってもらうためとか、テクニック的にそう言っているわけではありません。本気でそう思っているんです。

ではどこにセミナーの価値があるのかというと、受講生が受け取るものなんです。メンターは言います。「みなさんが今日のセミナーを受けてどうなっていたいでしょうか、どんな悩みを解決したり、目標達成につながることを受け取りたいのでしょうか?みなさんが受け取るものにセミナーの価値はあります」

そのメンターはどこまでも相手の幸せを願う人でした。

セミナーも一方的に話すのではなくて、受講生が受け取りたいこと事前に確認し、それを受け取れるように話しをしていました。自分は受講生がより幸せになるためのただのリソースなんだというわけです。なので、自分の話すことには意味がなくて、受講生が受け取ったものに意味があるということなんですね。

素敵なことを教えてもらったと思います。僕が毎日書いているnoteも、きっと同じように意味はないんですね。僕のnoteの価値は、読んでくださっている読者の方が感じたことにあるんです。

この考え方って、情報発信するうえで大事だと思います。毎日noteを書いていると、今日は我ながらよく書けたなぁって思う文章が全然読まれなかったり、逆になんかうまくまとまらないなぁって思いながら投稿した文章が意外にもコメントがついたりします。

自分はこれを伝えたい。自分の伝えることには意味がある。そういう思いはもちろん大切ですが、その一方で自分の文章には意味がなく、僕の文章の価値は読者が受け取ったものだという考え方も大切だと思います。

自分の文章を発信するって、時に勇気がいります。わかりにくいとか何を言っているのかわからないとか、そんなことを思われたらどうしようって、変に自意識過剰になったりします。そんな時でも、そもそも自分の文章には意味はないって思っていれば、少しは楽になるような気がします。

過去にもメンターのことを書いてますので、よかったら読んでみてください。まあ僕の書いた文章に意味はないけど(笑)

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