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映画と音楽のサブスクリプションモデル:善か悪か?


ハリウッドのストライキが意味するもの

7月13日、全米映画俳優組合は映画やテレビ出演に対して43年ぶりにストライキに入りましたね。その余波でミッション・インポッシブル新作プロモーションのために来日予定であったトム・クルーズが日本に来られなくなってしまいました。

今回のこのストライキの背景には大きく二つの論点があると言われています。ひとつは、動画配信の報酬改善、もうひとつはAIが職務を代替しないことです。どちらも議論のしがいのあるテーマですが、ここでは前者について私の考えを整理しておきたいと思います。

私たちが音楽や映画にアクセスする方法は、この数年間で大きく変化しました。かつてはCDやDVDを買うか、ラジオやテレビでの放送を待つしかありませんでしたが、現在ではSpotify、Netflix、Apple Musicといったサブスクリプションモデルが主流になりつつあります。この変化は、業界と消費者の双方にとって利点をもたらしましたが、それと同時に新たな問題も生じています。ここでは、音楽や映画がサブスクリプションモデルに移行したことは本当に良いことだったのか、という視点で考えてみます。

サブスクリプションモデルの利点

まず、サブスクリプションモデルの最大の利点は、ユーザーにとっては無限に近い量のコンテンツへのアクセスを低価格で享受することができる点です。月額料金を支払うだけで、数百万曲の音楽や何千もの映画とテレビ番組をいつでもどこでもストリーミングで視聴できます。これにより、私たちは新たなアーティストや映画を発見しやすくなり、さまざまなジャンルを試してみる機会が増えました。例えば、Spotifyは2022年に全世界で4億8900万人のもアクティブユーザーを抱え、その大部分がサブスクリプションを利用しています。同様に、Netflixは2023年3月末時点で全世界で3億3250万の有料会員を有しています。

次に、コンテンツを提供するクリエイターにとってはどうでしょう。サブスクリプションモデルは安定した収入源となり得ます。コンテンツが人気があるほど、クリエイターはより多くの収益を得ることができます。これは、新たな作品を生み出すための資金を確保するのに役立ちます。また、あまり実績のないクリエイターでも実力さえあれば、大きな収益を上げる可能性があることを意味します。

サブスクリプションモデルの問題点

しかし、サブスクリプションモデルには問題点もあります。例えば、アーティストや映画製作者は、ストリーミングから得られる収入がCDやDVDの販売から得られる収入よりもはるかに少ないと指摘しています。特に小規模なアーティストやインディー映画製作者にとっては、この低収入は生計を立てる上で大きな問題となります。例えば、Spotifyは1再生あたり平均で約0.003~0.005ドルしかアーティストに還元していないと報告されています(Appleからアーティストへのニューズレターによると、Apple Musicは0.01 ドル)。

さらに、サブスクリプションモデルはコンテンツの過剰消費を助長する可能性があります。ある調査によると、Netflixユーザーの約8割が「ビンジ視聴(Binge-watching)」を経験しており、それが健康や生活品質にネガティブな影響を与える可能性が指摘されています。

「ビンジ視聴」とは、連続して複数のエピソードやシーズンを一気に見ることを指す言葉です。一度に長時間テレビ番組や映画を視聴することで、物語の展開やキャラクターの変化をより密接に追うことができます。一方で、長時間の連続視聴は、睡眠不足や社会的な関係の疎外感などの健康上の問題を引き起こす可能性があると言われているのです。

SaaSビジネスとの違い

これらのサブスクリプションモデルは、音楽や映画の業界だけでなく、ソフトウェア業界でも同様で、Salesforceなどのソフトウェア・アズ・ア・サービス(SaaS)企業が成長を続けています。これらのサービスはすべて月額料金を通じてアクセスを提供しますが、それぞれには明確な違いがあります。

コンテンツストリーミングサービスとSaaSの主な違いの一つは、それぞれが投資するR&Dとインフラのコストです。たとえば、SalesforceのようなSaaS企業は、2022年にR&Dに約44億6000万ドルを投資しました。それに対し、SpotifyのR&D投資は約15億ドルで、Netflixは27億ドルでした。

これらの数字から見ると、SaaS企業はコンテンツストリーミングサービスよりもはるかに高いR&D投資を行っています。これは、SaaS企業が技術革新に重点を置き、そのソフトウェアの機能と性能を向上させるために大きな投資を必要としているからです。一方、コンテンツストリーミングサービスは、ユーザーエクスペリエンスの向上やプラットフォームの維持に資金を使う傾向がありますが、SaaSほど大規模な開発は必要としないことが多いです。

こうしてみると、SaaSは継続的にプラットフォームの堅牢性や機能の強化に投資する必要があって、それがそのままユーザの利便性や満足度に直結しますので、ビリングモデルとしてサブスクリプションモデルが適していると言えます。ユーザ側からは支払う分、常にそのメリットを享受することが可能だからです。

一方で、コンテンツストリーミングサービスの場合、ユーザ側が受け取るメリットや満足は主としてコンテンツから来るものです。プラットフォームや機能にSaaSほど投資する必要の無いコンテンツストリーミングサービスは、やはりサブスクリプションモデルを過大に適用していると言っても過言ではないと思います。

これは通信会社から、コンテンツストリーミングサービス企業は「ただ乗り」していると批判されていることとも繋がります。ストリーミングサービス、特に音楽やビデオストリーミングは、データ転送に大量の帯域幅を必要とします。Spotify、Netflix、YouTubeなどのサービスが人気を博している現在、これらのサービスが通信ネットワーク上で占めるデータの割合はかなり大きいです。

通信会社の言い分では、彼らはインフラを維持・強化し、この急速に増え続けるデータ需要に対応するために巨額の費用を負担しています。一方で、SpotifyやNetflixなどのコンテンツプロバイダーは、この高速かつ広範なインフラを使って自分たちのサービスを提供し、利益を上げていますが、そのインフラの維持・強化に直接費用を負担することはありません。

一部の通信会社は、通信ネットワークの負荷を減らすため、または彼らが投資したインフラの維持・強化費用を回収するために、NetflixやSpotifyなどの大手コンテンツプロバイダーに対して「通信料」を請求することを提案しています。しかし、これには反対の声も多く、特にコンテンツプロバイダーと消費者から必ずしも支持を受けている考え方ではありません。コンテンツプロバイダーにとっては、これが追加の費用負担となり、消費者にとっては、これが最終的にはサービスの価格上昇につながる可能性があるからです。

将来の展望

私の基本的な考え方は、本来、音楽や映画はSaaSとは違って、サブスクリプションモデルを採るべきではなかったということです。人類の歴史は文化の民主化の歴史と言っても良いと思います。中世の時代には音楽などの文化は一部の貴族だけのものでした。これが資本主義と産業革命によって貴族が没落し民衆が経済力と政治力を獲得するのに伴い、文化も広く民衆のものへとなっていきました。

それ自体は悪いことではないのですが、今世紀に入ってからの文化の使い捨て化と言っても良い状況は、決して人類にとって良いものとは言えないと感じています。文化は、作るもの、育てるもの、観るもの、の三つが揃わないと廃れてしまいます。コンテンツストリーミングサービスにおけるサブスクリプションモデルの適用は、いまのところこの三つの要素に対してネガティヴに働いている面が強いように思います。

とは言え、時計の針を逆に回すことはもうできません。私の提言は、コンテンツストリーミングサービス企業は、ユーザから得た収益をきちんとクリエイターに還元すること、クリエイターたちが作品を創る環境を支援すること、そしてユーザには適切な価格でサービスを提供すること、の三つを徹底すべきということです。

現在、コンテンツストリーミングサービス企業は、自社オリジナルの作品を制作することにやっきになっていますが、私はその費用をクリエイターたちが作品を創る環境を支援することに使うべきだと考えています。良い作品を創るためには、企業が制作プロセスやリソースを独占してはいけません。大小様々なプロダクションや制作会社があり、才能のある若いクリエイターたちがその力を借りて作品を創っていく、そういった多様性のある創作環境を、新しいエコシステムを構築すべきです。そうすることによって、文化そのものの衰退を止め、育み、次世代に向けて遺していけるようになるのではないでしょうか。


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