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書かない作文と言う宿題(まちの不思議 おもしろ探究日記 #19)

(本記事は雑誌『社会教育』2024年1月号に掲載された記事を転載しています)

我が家の次男には独自の世界がある。
頭の中に常に複数のキャラクターが住んでいて、現実に起きる出来事と頭の中のキャラクターが混じり合いながら、物事の大半を理解していく。
そんな次男の話は、突拍子もないような話も多いが、その独自の世界にグイグイと引き込まれるような時もある。本人もこの自分の世界を人に伝えることが好きで、いろんな物語を聞かせてくれる。
世間一般の普通とは異なる発達をする次男だが、この独自の世界の表現を通して、社会とつながっているように思う。

次男のクラスでは、毎日作文の宿題が出る。
日々起こる事や頭の中にあるものを言葉で表現し人に伝えていく方法として、作文はとても有効であり、次男も喜んで取り組んでいた。
しかし、次男は身体の使い方がとにかく不器用で、文字を書くという動作が圧倒的に不得意だという特性がある。そのため、次男が書いた作文は読み慣れた人でないと読めず、人に伝えるという視点からは大きな課題があった。
また、頭の中に浮かぶ言葉はあっても、書く負担の少ない簡単な表現にしてしまったり、ひらがなを多用した文章になってしまうこともあり、せっかくの次男の世界のおもしろさが、うまく伝わらなくなってしまうという課題もあった。

ちょうどその頃、発達支援センターの方と、次男の学校生活でどのようなサポートが有効なのかを相談する機会があった。その中で、次男のように書くことへの不得意さが強くある場合は、デジタルデバイスなどの代用手段を積極的に活用していった方がいいというアドバイスをいただいた。
今の学校教育では「書く」ことがとても重視されているが、書くことそのものがストレスとなり学びを阻害してしまうこともあり、ノートの代わりとしてデジタルデバイスを活用していくことで、学びが進んでいくといった事例も多いという話であった。
たしかに、次男もゲームなどで文字入力はしており、文字を書くことよりも文字を入力する方が、考えていることを表現したり、負担なく学ぶ事ができるのかもしれない。

そこで、今やっている作文の宿題をデジタルデバイスでできないか、担任の先生に相談することにした。
すると、やはり担任の先生も授業の中で同様の課題を感じていて、どうサポートできるか悩んでいたことがわかった。それならぜひやってみようとなり、具体的にどのようなやり方でできるだろうかと先生と相談を進めている中、中学校で技術研究部に所属している長男がサポートしてくれることになった。

デジタルデバイスで作文をする上で、大きな課題となったのは、文字の入力方法だ。ローマ字はまだわからず、法則性のないひらがな配列を覚えるのにも時間がかかり、スムーズな入力とはならない。

すると、長男が五十音表での入力方法を提案してくれた。たしかに、ゲーム機やiPadでは五十音表で入力ができる。しかし、学校で配布されているPCでは、五十音表での入力はできなかった。

すると今度は、「自宅のiPadに学校のアカウントを接続するのはどうか」と長男が提案してくれた。
実際に、自分のスマホに学校のアカウントを連携している様子を見せながら、スマホから入力したものが先生のPCの方にも反映され、同時に編集もできるといったやり方を教えてくれた。

そのやり方に担任の先生は「これ、すごいね!ぜひやりたい!」と目を輝かせた。すぐに設定をして、その日の内に、我が家のiPadで入力したものが直接先生のPCから確認できるようになった。長男のサポートのおかげでスムーズに導入ができた。

それ以降、次男は寝る前になるとiPadを開き、今日あったことや最近あった楽しかったことを思い出しながら、文章を入力している。そして、句読点などの文法をチェックし、最後に挿絵を描いて閉じる。
「書かない作文」という宿題を、とても楽しそうに取り組んでいる。

実際にやってみたら、思っていた以上に語彙を使いこなし、漢字の使い分けも正しく使えていることがわかった。
一方、句読点の使い方などの細かい文法で確認が必要な部分もあぶり出され、くりかえし確認していく中で、正しい文法での作文ができるようになっていった。また、ある程度慣れてきて、今度はどうやったら相手に伝わるか、少しずつ文章表現で工夫をするようにもなってきている。
文字で書く作文では伸びなかった次男の作文の力が、ぐんぐんと伸びていくようになったのである。

次男のように、「書く」ということに困難を抱えていて、それによって学びが進まない子は実はたくさんいると言われている。
LDや書字障害と言われ、最近では合理的配慮が進められるようになってきたが、まだまだそのサポート体制は万全ではない。次男についても、通常の授業の中でのデジタルデバイスの活用までは、まだたどり着けていない。ICTの導入や活用については、先生方一人ひとりのスキルに大きく依存しているのが現状である。

しかし、これからの時代、正しく書けるという事以上に、正しく入力できるという事の方が重要ではないだろうか。もちろん書けなくていいという意味ではないが、相手に正しく伝えられるという経験を積み重ねていける事は、社会の中で前向きに生きていく自信にもつながる。

ICTはそれ単体で何かをできるわけではない。
一人ひとりが持つ課題をどう解決し、自己表現の方法やコミュニケーション手段をいかに増やしていくのか、という視点で活用していくことが重要なのではないだろうか。

そんなサポートをしてくれるICT支援員の配置が全国の学校で進むことを願いながら、もうすでに使いこなしている子どもたちの力も活かしていけるといいのかもしれないと思う。
そして、ICTを使って、次男の頭の中にあるようなおもしろい世界の表現が、まちの中にあふれてきたらいいなと思う。


▼ 雑誌『社会教育』

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