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P連を改革する(まちの不思議 おもしろ探究日記 #17)

(本記事は雑誌『社会教育』2023年11月号に掲載された記事を転載しています)

今年私は、市のPTA連合会(P連)の副会長として、P連の改革に取り組んでいるのだが、これがなんとも骨の折れる日々である。

ここ数年、PTAを取り巻く環境は急速に変化している。入退会自由の任意団体であるという認識も広がり、コロナ禍の影響による効率化や改革に大きく舵を切るPTAも増えている。また、入退会のみではなく、活動自体も任意参加を基本とし、立候補のなかった委員は活動をお休みにするというやり方を取っているPTAも生まれている。
そんな中、連合体であるP連に対する認識も大きく変化しており、手続きが多く身軽さのない組織のあり方や、総会や研修会への動員、委員派遣への負担等から、脱退を検討する学校も増えている。私が所属しているP連も、ここ数年で脱退する学校が続出しており、早急な改革が求められている。

そもそもP連とは、同じ市内のPTAがつながり合うための組織であり、各校単位ではできない活動や情報共有などを行っている任意団体である。私の所属するP連では、毎年要望活動や教育活動やテーマを定めた懇談会を行っていて、特にここ数年は不登校支援の取り組みも熱心に行っている。しかし、こういった活動も、PTAの担い手不足の中でどうやって継続していくのか、といった課題に直面している。

P連に集まる様々なメンバー

P連に集まるメンバーの大半は、単年でPTAの代表や専門委員会の委員長といった役割を引き受けており、基本的には毎年メンバーは総入れ替えとなる。そのため、P連とは何か、そもそもPTAとは何か、代表という役割は何か、今年やらないといけないことは何か、といった事を一気に渡され、頭はパンク状態となり、ほとんどの人が「わけがわからない」となっているところからP連の活動は始まる。
また、そんなメンバー一人ひとりも、PTAの代表としてP連に参加することになった背景は、本当に様々である。自校のPTAの改革を行うために自ら積極的に代表となっている方。たまたまクジで当たってしまって否応なしに引き受けざるを得なくなってしまった方。PTAをきっかけに地域のつながりをつくりたいと思っている方。もう何年も会長をやっている方もいれば、今年やっておけば来年以降はやらなくていいからと引き受けている方もいる。また、各校のPTA自体も、改革が進んでいる学校、効率化を進めている学校、改革は行わず淡々と運営している学校など、その状況は様々である。PTAの状況も、個人個人がPTAに対して持つ意識や意欲も、本当に様々なのである。

この見事なまでにバラバラのメンバーが、「わけがわからない」というところからスタートし、自分たちなりに考えながらなんとかみんなで意思決定をしていく、というのが現在の「P連」である。もちろん組織としての規約やマニュアルは存在するが、それがP連という組織であるというよりは、そこに集まる一人ひとりが、PTAの問題を自分事として、それぞれの答えを出していく、その営みこそがP連なのだと考えた方が、今目の前にあるP連を捉えることができるように思う。

改革とは関係性の紡ぎ直し

今年に入り、改革の議論を進めていく中で、一つ分かったことがある。組織の改革というのは、つまり「関係性の紡ぎ直し」の作業であるという事である。それぞれがその組織とどのような関わり方を望むのか、これまで培ってきたつながりを断つのではなく、新しいつながり方に変遷させていく。自分はどんな人とどうやってつながりたいのか?そのためにどうすればいいのか?ということを、それぞれが考えて答えを出していくという事なのである。

P連の場合、ポイントとなる関係性は主に三つある。一つは、PTAの代表同士のつながり。二つ目は、保護者教職員同士のつながり。そして三つ目に、保護者の代表としての、市や教育委員会などの外部とのつながりである。
これらの要素を、どう形を変えながら残して新しく紡いでいくのか。その答えを、P連やPTAに関わる全ての人が、自分はつながりの当事者であるとして考えていくことから始まる。P連の理事、PTA会員、市や教育委員会、さらには地域の人々も、これまでP連やPTAが担っていた「つながり」を、これからも継続可能な形にしていくためにはどうしたらいいのかを考え、みんなで新しい答えを生み出していかないといけないのである。

そして、この新しい答えを生み出していく過程そのものこそが、「P連を改革する」ということなのである。新しい規約や組織というのは、その結果として生まれるものでしかない。だからこそ、改革を進める上で何よりも大切なのは、まずはP連に集まるメンバー一人ひとりが、P連について当事者としての意識を持ち、それぞれの意見を伝え合うことができる環境を、どう整えていくのかという事なのである。

対立を超えた先に

それでも、改革の議論を進めていると、意見の対立は避けられない。PTAに関する課題意識も違えば、そもそもの意欲も関心もバラバラなのである。さらに、他の人とのやり取りで思考を深める人もいれば、自分で時間をとってじっくりと考えたい人もいる。この些細な認識のズレが、真剣な議論をしている中で、大きな対立につながってしまうこともある。
しかし、この対立の先に、お互いがお互いの事を理解し、歩み寄って新しい答えを生み出していく未来があると私は信じている。そのためには、目指したい未来の姿は同じであることを確認し続けて、諦めずに粘り強くコミュニケーションを取り続けていくしかない。

形骸化が進んでいると言われるP連やPTAだが、それでもそこには日々生きる一人ひとりがいる。だからこそ、改革はそこから始めていく。なんとも骨の折れる日々だが、それでも一歩ずつ進んでいけたらいいなと思っている。


▼ 雑誌『社会教育』

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