鈴子/REIKO

鈴子/REIKO

最近の記事

毎朝、テーマ決め

わたしは毎朝、ノートを開く。 頭の中で迷子になっている思考を出してから 今日をどのようにクリエイトしたいか  どんな1日を過ごして どんな気分を味わいたいか書き出す 毎朝、その1日のテーマを決める感じで。 その方法は 『今日の予定に感謝する』 その予定をクリアすることで どんな気分を味わいたいか書く。 ''どんな気分を味わいたいか'' わたしとしては、ここがミソで。 例えば、 と書くとする。 あ、わたしは、お客様の施術をすることによって スッキリする気

    • 無気力は安全装置

      この間まで鬱状態に入っていたのだけれど 無気力無関心がキツい。 どんどん悲しくなってくる 楽しかったはずなのに、面白かったはずなのに 嬉しかったはずなのに、おいしかったはずなのに… 自分にとって心地よかった物事や食事も そうでなくなってくる。 様々なことが『無味』って感じ。 だけど、 いつか読んだ本の読書ノートを読み返して 『無気力は感情ではなく、安全装置なのだ。』 ということを思い出させてくれた。 そういえば、以前、お客様との会話で 『疲れるは感情では

      • 鬱期への自覚。それが大事。

        神様はいたずらに。 鬱期に入るまでにカウントダウンを始める。 鬱状態になるまでの要因を兼ね揃えてくる。 3月は看病続きで それから終いにはインフルにかかり ようやく体力回復したのに 頭痛が治らない。 花粉なのか自律神経なのか。 身体の不調はどんどん気分を下げてくる。 そして 無気力になり、接客や人に会う事が億劫になり 外に出る気もなくなり、電気をつけず暗いままにしていたかったり… ぁあ、そろそろ人生やめたいなぁ、って 一瞬でもふわっとでも思うことがある。

        • なにして生きていたいか

          なにして生きていたいか 毎日、毎朝、それを明確にして 淡々と従えばいい。 それだけなはずなのに。 まず 『やりたいこと』 のスイッチをオンにして 身体を動かせばいい。 それだけのはずなのに。 ルーティンにのまれて バタバタと過ごして。 バタバタと子供を送って バタバタと出勤して バタバタと休憩して バタバタとスマホをいじって バタバタと帰っていく そうするとバタバタな毎日になる。 単純な法則だよなぁ。 タスクが多いからこそのまれやすいってのに。

        毎朝、テーマ決め

          『元気のない自分』ということにしてしまったら。

          インフルも落ち着いて、 ようやく日常を取り戻そうとしている。 3月はめっきり引きこもりのような生活で すっかり太陽の光を浴びなくなった。 だからなのか… 幸せホルモンが低下しているような気がする。 無気力というか、 脱力感というか… わたしは双極性障害という 診断結果を受けた事があるくらいなので、 多幸感の感覚が凄く分かる。 だからこそ、 今この感じは とっても苦手。 まるで『幸せじゃない』ような 無気力感。 まーたこうゆう時期に入ったんだ、 まあ、波

          『元気のない自分』ということにしてしまったら。

          フィナーレに、ママがダウン

          先日、こちらの記事で 看病 看病 看病 と言って疲弊してましたが… ついにわたしがノックダウン。 今日まで自宅待機の夫の代わりと わたしも花粉症がひどかったので 午前中耳鼻科に行きました。 耳鼻科でも熱はなく、 花粉症以外には至って元気。 と思っていたのも束の間 耳鼻科から帰ってきてすぐ 『おや?体調がおかしいぞ?』と、なり 体温測ったら微熱 悪寒がどんどん進行して 横になるも、 寒くて震えて辛い。 時間を開けて体温を測ってみると どんどん熱が上がり

          フィナーレに、ママがダウン

          3月は看病月間

          2月下旬から3月頭で、 祖父→次男→長男→夫 と、 胃腸炎が我が家で蔓延した。 わたしはその感染を免れて 次男が感染してからは怒涛の看病が始まり… 夜泣きは増え 下痢、嘔吐の処理、ぐずぐずの不機嫌と永遠と洗濯 長男は夜通し、水を飲んでは吐き、 喉が渇いたと泣かれ… 飲ませ、吐かれ… まともに寝れない日々が続いてました。 夫が感染した時には トイレで恐ろしいほど大きな音で吐いていて 感染の恐怖に怯えるばかり😥 本当に免れてよかった!!!!!! 3日の東京マ

          3月は看病月間

          久しぶりに読書ノートを書いて

          どうぞご自愛ください ユン・ホンギュン著 という本を読み終えて、 久しぶりに読書ノートを書きました。 気付きがあった部分や 『なるほど〜』って思えた部分 その他書き落としておきたいところを ノートに写経し、 隙間に自分の言葉も綴っていく。 一冊読み終えて、付箋を貼ったページの 前後を読み返し、ノートに落とす… 書き終えた後にはかなりの達成感と充実感で 心が満たされます これが心の栄養なのでしょうか サクサク読んでエンタメ的な軽さのある読書も もちろん必要♡ け

          久しぶりに読書ノートを書いて

          インフルエンザ自宅隔離生活3日目

          看病をしていない夫がなぜかインフル感染… 先週もそう…おそらく胃腸炎が我が家で蔓延し なぜかわたしだけ感染せず…夫は感染… 看病weekからの看病weekは なかなか心と身体がやられる…(涙) 21時頃に次男を寝かしつけ… 一方長男は寝ない気満々で わたしの後を追っかけてきたり 2人が寝ている寝室を行ったりきたり あっちの扉もこっちの扉も バタンバタン… 次男が起きてしまうかヒヤヒヤしながら 残りの家事を進める。 寝ない気満々の長男を寝室に追いやり YouT

          インフルエンザ自宅隔離生活3日目

          息子が病気をする度に。

          現在、 3歳を目前に控えている長男くんと 1歳になったばかりの次男くんがいる。 先週、我が家では胃腸炎を移し合っていた。 わたしを除いて(笑) おそらく同居している義父から 次男→長男→夫 で感染したのだけれど 当然その時には仕事や友人との約束を キャンセルせざるを得ない。 しょうがない。その一言。 そして今週、 おとといから長男がインフルになった。 幸い、高熱と倦怠感だけで 食欲はあるし、排泄もしっかり。 勝手に1人で横になってYouTubeを 見てくれてい

          息子が病気をする度に。

          ふと、noteを思い出す時

          そんな時が、ある。 今がまさにそう。 SNSのアプリで毎日開くものは 決まって、インスタグラム それ以外はほとんど開かない その中でもnoteはなんとなく、 『書きたいなぁ』って欲を掻き立ててくれる。 その法則がわかった。 子供に呼ばれて iPhoneは触れるけれども アナログの方のノートが開けない… そんな時 さらにはちょうどアウトプットして 一息つきたいって思ってる時こそ 子供からの呼び出し わたしがソファに座るだけで、 息子達の気持ちが安定するようで、

          ふと、noteを思い出す時

          『満たされている』ということ

            『満たされている』状態になると どんなことが起きるか 最近ひとつ気づいたことがあります。 それは いつのまにかやめていることがある やめようやめようと思って やめられなかったこと やめようと思ってもいないし どっちでもいいこと、だったり わたしには、それ、がありました。 それ、とは ブログを書くこと 以前のわたしは ブログを書くことで承認欲求を 満たしたかったのではないかなぁと やめよう なんて思っていたわけでも なかったのだけれど 続けていたら

          『満たされている』ということ

          『悲しい=不幸』をやめてみる

          今まで私自身が 悲しい=不幸 ということにしていた。 それって実はとても漠然としているし 『悲しみ』にキャプチャしすぎている 事象に対して 悲しいを感じるのであって 事象→悲しい=不幸 って くっつけすぎて重い 感情や言葉に背負わせすぎなんだって 今は思う さらには 人をそうゆう目で見ていたことにも気付いた それって余計なお世話だし 勝手に人を不幸扱いするなんて 何様なのだろう だから今のわたしは 大前提が変わったことによって 不安でいっぱいな人や

          『悲しい=不幸』をやめてみる

          モヤモヤするならまず整えよう

          わたしだけでなく 誰もがモヤモヤする時って かなり抽象的な表現をすると 『思い通りにいかなかった』時だと思う そんな時、 いかに『今』に戻れるかの 瞬発力が大事だなって。 起きた→なにをするか 瞬発力には体力も気力も必要 だから 眠るんだ。 だから 巡りをよくして体調を整えるんだ。 脳って身体の一部だからさ 人が思ってるよりずっと単純でバカ バカってゆうより素直だから 嘘だと思って まずは肉体を整えよう PMS×生理週間だったら尚更 そんなことをさ

          モヤモヤするならまず整えよう

          これから発信することは、自分探しの為じゃなく

          いつからか、 すっかりブログというものを 書かなくなった 理由は 『書かなくてもいいんだ』…と 心から思うことができたから 以前のわたしは 何者かになりたくて 何者かにならなくては という訳の分からない使命感に 襲われていた 五体満足ならば命を全うしなければ、と この使命感はおそらく思春期辺りから あったと思う… 『何者かってなに?』 『使命感ってなにから?』 ひとつひとつ自分に問いを立てていった そしたら 『あぁ、わたしはわたしのことを 知ってあげたかった

          これから発信することは、自分探しの為じゃなく

          美しい人とは

          『美しい』とは、受け取るもの 『美しい』になる、には 『美しい』を放つ、こと ↑ を受け取れている、人のこと ↑ 『美しい』と受け取る器を 育てるということ なんだろうなぁ。  

          美しい人とは