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メディテーションについて:4

メディテーションがいかに素晴らしいかという事をなんと3回分もの日記にしてまで綴ってきましたが、最後に忘れずに付け加えたいのは、私が習ったTMにしても、マインドフルネスにしても呼吸法にしても座禅にしても、メディテーションにそこまで全てを期待してはいけないという事です。

何年も、何十年も毎日続けていればディヴィッド・リンチのように自らの内側に全宇宙を見出すような恍惚感に到達するかもしれませんが、メディテーションを行っているからと言って毎日その状態になるというわけではありません。
私はTMを始めてからも、以前に体験した深い幸福感の状態を完全には再体験できていないし、ましてやその体験がTMで言う“Transcending”の状態だったのかも、よくわかりません。

この日記や、直接私がその話をして私がメディテーションを習いに行った事を知った友人の中には

「もう完全にアッチ側に行っちゃったね」

という印象を持たれている事は容易に想像できるし、数年前の私が仮に逆の立場だったら確実にそう思うと思います。下手したら若干の距離を取るかもしれませんし、実際すでに取られているかもしれません(笑)。

結論として言いたいことは、メディテーションを行っているからと言って私がマザーテレサのような聖人になったわけでもなく、相変わらず蛭子さん並みに不謹慎だし、グロい物やダークな物が好きだし、ハードコアを聴くのも好きな私は変わらないという事です。

メディテーションは、毎日自分が白紙になれる時間を作る事で、お風呂でお湯に浸かってリラックスする時間のような、人によってはとても些細な事なのだと思います。
私は昔からお風呂が大好きで家族に迷惑がられるほど長風呂だったのですが、アメリカに住み始めてから初めて、毎日バスタブにお湯を張って入浴ができるという些細な習慣がいかに贅沢な事であるという事を知りました。
メディテーションはそんな感覚に近いです。

メディテーションをしていても、嫌なことが起こる時は起こるし、出かける日に限ってニキビはできるし、相変わらず嫌いな人はいるし、政治のニュースに感情を揺さぶられるし、突然才能が大爆発して絵画の賞を取れるわけでもありません。
ただ、嫌な事をなるべく引きずらずに済むようになるし、嫌いな人の事をわざわざ考える時間もなくなり、フラットな状態を長く保てるようになります。
自分の不安を客観視でき、別の視点から解決法が見つかったり、なんとなく続く気分の悪さに気付かないふりをしながら一日中生活するという日が極端に少なくなったりするだけでも、私はメディテーションを取り入れて本当に良かったなと思っています。

以上が私のメディテーションについての考察です。
ちなみに私は最近、季節が変わり海に行かなくなったので、引き続きグラフィック、ウェブサイトの仕事や絵の依頼の仕事をしつつ、週一でドローイングクラスの講師のバイトをし、猫のヒゲを保管するケースを作ったり、紅茶キノコを自家栽培したりと、やっぱり変な人全開で自由に楽しく生きています。

皮肉にも、アメリカに住んで14年、この激動の2020年が個人的に一番幸せを感じる年になってしまいました。

完全に「アッチ側」にいるのに本人だけ気づいていないだけなのかもしれませんが、それはそれでもういいかなと思っています。

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”SECRET”
8.5”x8.5” (21.6cm x 21.6cm) 
点描画


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