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コロナ渦の2020年、私流NYでの過ごし方・メディテーションについて:1

2020年はなかなか波乱万丈で、私が過ごしたこの14~5年のニューヨーク生活の中でもかなり変わった年となりました。
コロナの大流行に始まって、同居人のコロナ感染、何か月ものロックダウン、Black Lives Matter運動の激化、暴動、そして現在は大統領選の真っただ中で国は真っ二つに分断していて、日本人の私から見るとこの国の人々がなぜこんなにドラマティックな性質なのかという事がよくわかります。
何においても(いい意味でも悪い意味でもなく)激しい国、それがアメリカ。

私はこの日記で政治的な個人的意見を書く気はありません。
これは、まず私がグリーンカード保持者で市民権を取っていないので、アメリカの選挙権はないという事。
敢えて市民権を取らないという事も自分の選択なので、米国民が選択した方向性にうまく自分をアジャストして生活し、できる限り「行動」の一つ一つを投票の代わりと捉えて生活することが自分の責任だと思っています。
またもう一つの大きな理由は、政治的課題に対してどの政党や政治家に賛成するかが変わってくるので、どちらにも傾向していないという事。
私はもともと、子供のころから日本で常に窮屈さを感じており、自分の人生を自分で自由にするという目的でアメリカに移住したという事もあり、個人の自由は可能な限り尊重すべきだと思っているので、その点ではリバタリアンの思想の一部にも共鳴する部分があります。
”外国人”という立場はもちろん、たとえ同じ日本人でも人の数だけ違った経験とバックグラウンドがあり、個々の経験から物事を考えるのはごく自然で、それぞれが違って当たり前。
何でもできるだけ多角的に見て自分の独自の考えを持っていたいので、 自分が信じる情報は自分で選択するようにしているし、途中で意見を変える事にも抵抗を持たないようにしています。

話を戻すと、私は自分の人生に責任を持った上で可能な限り自由に生きるという事を自分の中で最優先しているので、基本的にやりたくないことをできる限りやらないといういうスタンスで生きています。
限度はありますが、特に生活の多くの割合を占める仕事に関しても、金銭面やキャリアよりもむしろ、自分のクリエイティビティや知識を生かせる、情熱を持てるかどうかという点をストイックに優先した上で選んでいます。
情熱が感じられなくなった時点で自分のパフォーマンスが思うように発揮できなくなるので、積み重ねたキャリアや経験を捨てるという事は私にとってあまり抵抗がありません。
やりたくないことを押し付けられる、または自分の気持ちを無視してやり続けるという事がどんなに自分の心を壊していくかという事を割と若い頃に経験したという事、これは自国以外に長く住んでいる多くの人が体験する事ですが、外国で暮らしながら鬱になる(その上医療費が高いのでセラピーにも行けず)という時期も経験した為、少なくとも自分にとっては感覚や感情を無視して生きることがいかに危険かという事を嫌というほど経験してきたからです。

感情を抑えると、抑圧された感情は怒りに代わり、自分の持っているものが見えなくなり、心だけではなく体も蝕んでいきます。
そして心が壊れた時、最終的にそれを治せるのもその間の生活を支えるのも、自分だという事を深く理解しているからです。

自粛期間を徹底的に活用

という事で、私はこの半年、ロックダウンの時期を利用して、金銭的・時間的に許す限り、好きなことしかしない生活に集中しました。
去年の夏から仕事を少しづつフリーランスに変え、冬にはほぼ完全に家で仕事をするという生活スタイルに変えていたので、衝撃的な変化はなかったものの、ロックダウンが始まってすぐの2か月ほどは、やりかけていた仕事がほぼ全てストップし、今まで感じたことのないこの先への不安で押しつぶされそうになりました。
支出は最小限に抑え、なんとかやり繰りし仕事も徐々に戻ったものの、ふとした時に襲われるワースト・ケース・シナリオ(最悪のケース)への不安。
外では暴動が起き、テレビをつければ映画のような恐ろしい映像が毎日続き、ソーシャルメディアを開けば他人の怒りの感情、終わりのない意見の衝突ばかりなので、NOTEを書くことも一旦やめ、とにかく自分の軸を戻すことに集中しました。
自分の内側に集中する時期は人と無駄に会わない方が捗るので、自粛期間は持って来いでした。

メディテーションと海水浴を取り入れる

ちょうど1年前にビーチのそばに引っ越したのを良い事に、夏は毎朝海で過ごしました。
私は2年ほど前からメディテーション(瞑想)を取り入れた生活をしており、誰もいない朝の海で一日を始めるのは長い間自分の夢の一つでもありました。
朝の8時、9時頃に行けば、平日はほとんど人がいません。
また、波や水平線を見ていたり、波音を聞いたり、日差しや砂の感覚を楽しんだり、海水に体を浸すだけで、とにかく体も心もすっきりしました。
こんな生活ができるのも、自分で勤務時間を決められる自宅勤務のフリーランスならでは。
とにかく人が来る時間帯を避けて毎日、一人で浜辺で本を読んだり泳いだりしてから一日を始めるので、心身ともに非常に元気になり、その調子の良さは夏が終わった今でも続いています。

私は数年前まで、「メディテーション」という言葉に懐疑的で、多少の嫌悪感すら感じていました。何がきっかけかは忘れましたが、メディテーションを始め、それを習慣にするのにも1年近くかかりましたが、特に今年のロックダウンの時期はメディテーションによっての利点をかなり得られたと感じています。

メディテーションには何種類かあり、私は以前にマインドフルネスという方法を試しました。
これは五感に集中するやり方で、例えば食事中はスマホやテレビを見たり、考え事をするのをやめ、食事の感覚に集中するというようなメソッドで、瞑想以外にも普段から実践できます。
私はもともとの性格上、思考よりも感覚を大事にして生活しているので、この瞑想方法は逆にあまり合いませんでした。
五感が過敏になりすぎて些細なことが気になりすぎ、集中できなくなってしまうからです。
なので、マインドフルネスは、メディテーション以外の方法で実践しています。

特に瞑想方法について詳しく学んだこともないので、しばらくは独自の方法で瞑想していたのですが、2回ほど非常に深い幸福感に達して涙が出るという体験をしました。
ドラッグやアルコールという何か別の力で強制的に多幸感が出るという感覚とは全く違い、例えば人が亡くなったり等、何かショックな出来事が起こった時に、価値観が変わるという経験をしたことはないでしょうか。
なんでこんな単純なことに気付かなかったのだろうという驚きと、様々な感情が押し寄せる中で体感として起こる気付きの感情、どちらかといえばそのような感覚に非常に近いものでした。
これは自分にとって非常にセンセーショナルな体験だったのですが、これを人に話しても大体変人扱いされるか共感してもらえない事が多かった為、私はあまりメディテーションについて人に話すという事自体をしなくなりました。
私の瞑想方法は間違っているんだろうかという疑問を持ちながらも、独自の瞑想方法でメディテーションを続けていましたが、その状態に達しないほとんどの日は瞑想は失敗に終わったのだという空虚感がメディテーションへの興味ややる気を少しずつ削り取っていきました。

波があり、続かないという側面

私の以前の方法では、特にメディテーションの前に視界に入った情報量が多かったり、考えることが多いとなかなか集中することができず、メディテーションの途中で意識が散漫になりどうも気が乗らずやめてしまったり、メディテーションの時間自体を作らない日が徐々に増えていきました。
しかしこの2年ほどで、メディテーションが自分の精神状態に確実にプラスに働いているという事を体感していた為、もっと気軽で効率的な方法はないものかと思っていた時に、Transcendental Meditation という方法に出会いました。

Transcendental Meditation は特許認定されており、また個人の必要性に合わせて指導が行われる為、認定されたインストラクターに4日間、コンサルティングを受けながら習得しなければいけません。
しかし歴史が非常に深く、医学的にも効果をあらゆる学会で認められているという事、4日間のトレーニング後はその方法を一生涯使え、宗教やライフスタイルへのコントロールも一切ないという事、また私の敬愛するアーティストやクリエイターがかなり多くこの瞑想法を実践していることを知った事が私を完全に説得し、習得までに至りました。

下記の日記に続く

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