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【小説】すれ違い


sideA

マキちゃんがものすごいしかめっ面で寝ている。眉根が寄って完全に怒っているときの顔みたいだ。可愛くなさすぎる。今日も寝顔がいちばん可愛くない、世界で一番かわいいマキちゃん。
起こさないように毛布を掛け直すと、眠りが浅かったのか起きてしまった。
「…あれ、今日もしごと?」
寝起きのちょっと舌足らずな声で聞かれて、少し嬉しくなる。安心してくれてるような気がして。
「や、今日はデモかな」
答えるとマキちゃんは向こうを向いてしまった。気に入らないとすぐそっぽ向く、可愛いマキちゃん。
「マキちゃんも一緒に行く?」
と聞くと向こうを向いたまま黙って首を振る。何が気に入らないんだ。
「…私のことほっといて行くの?」
布団の奥から不機嫌な声。いつからだろう。もうマキちゃんの不機嫌な顔と声ばかりが目に浮かぶ。
「だぁって、マキちゃんと結婚したいじゃん。マキちゃんはあたしと結婚したくないわけ?」
と布団の中のいもむしを揺さぶると小さな声で「一緒にいれればそれでいいもん…」と言う。欲のない彼女。本当は欲だらけのくせに。昔は結婚したいって飲みながら叫んでたじゃん。

マキちゃんが鬱で休職しはじめたのが2ヶ月前。あんまりちゃんと話してくれたことがないからわからないけど、たぶんマキちゃんは会社でいじめられていた。私には可愛くて仕方ないこの不機嫌な女の子は、他人との間で自分を調節するすべをいまだ知らない。まぁ、一言で言ってしまえば彼女は結構な自由人で、感情表現が正直すぎるところがある。
なにかをきっかけに性格の悪い先輩に目をつけられて、なんとなく彼女をいじめて良い空気ができあがって、どこかでたぶん高校生か大学生の頃の彼女の恋愛の話が漏れた。あいつレズらしいよとどこを歩いてても噂をされたし、されてないときもされてるような気がして、マキちゃんは会社に行けなくなった。
暇かよ。仕事しろ。人いじめてる暇があったら会社に貢献しろよ。ばかがよ。

いじめられてるとき、あたしはあんまり時間がなくて話を聞けなかった。マキちゃんはちょっとプライドが高いから、こういう話したがらないのわかってたし、なんとなく元気なくて覇気がどんどんなくなっていくのもわかっていたのに、あたしは話を聞こうとしなかった。
明日聞こう、もっと元気があるときに…を繰り返していた。ううん、逃げていただけかも。逃げていただけだと思う。山積みの問題の中で、いちばん大事な問題から逃げたあたしは意気地なしだ。
だからいま、私にとっていちばん大事なのはマキちゃんで、マキちゃんをからだ全部で守りたい。制度で守りたい。金で守りたい。結婚して、マキちゃんが働いても、働かなくても、どちらにせよ生活ができるように。マキちゃんが手首を切ったときに、薬をのみすぎたときに、妻として入院生活を手伝うために。あたしは制度でもマキちゃんを守らなきゃいけないのに、制度が追いついてない。

なんでそんなに必死になるの?とよく聞かれる。デモでシュプレヒコールを上げるたびに。あるいはSNSで投稿をするたびに言われる。バカヤロー、愛する人を守れなかったんだから必死にもなるだろ。
うるさいともよく言われる。うるさくて上等だ。

とはいえ、目の前のこの子の心がいちばん大事なのだから、別に今日は行かなくたっていい。
「じゃあ今日は一緒にいるね」
と抱き締めたら
「うるさい、早く行きなよ」
と家を追い出されてしまった。すぐ帰ってくるから!とドアの前で問答をしていたら泣きそうな顔で早く1人にして、と言われて思わずドアを閉めてしまった。

1人になりたくない弱い人間は、あたしの方なのかもしれない。
マキちゃんの好きなクロッカンシューを買って帰ろうと思いながら、そういえばあたしって好きなものなんだっけ、と不安になる。あぁそうか、あたしの好きなものはマキちゃん。マキちゃんの好きなものがあたしの好きなもの。大丈夫。それがいい。

sideB


1人の部屋。がらんとした部屋は寂しいけど、安心もする。
いつも通り、何が悲しいのかわからないけどじわじわと涙が生まれて、流れてはどこかに消えていく。生きているの自体が、本当につらい。
鬱で休職して2ヶ月。布団からほとんど出られていない。ハルがいない間に、時々こっそり外に出る。外は気持ちいいけれど、外は怖い。ハルは声が大きいから、外で一緒にいたくない。
ハルには職場でアウティングされたことを話した。でも、鬱の原因は多分それだけじゃなくて、なんとなく、私の周りにまとわりつく空気それ自体だったんだと思う。
誰かとずっと一緒にいたい。そのために結婚したい自分。結婚しなくてもずっと一緒にいられるよと言えない自分。同時に、好きな相手と結婚することすらできない制度。信用して話したはずの相手にアウティングされた悲しみ。カミングアウトした時にちょっとだけ詮索された過去の恋人について、気がついたら全フロアの人が知っていた衝撃。恋人のことをずっと話せずにいた自分。咄嗟に「バレた」と思った自分。ちょっと職場の人と距離を取り気味だったから、「バレて」から余計に私が通るたびに変な空気になったフロア。コミュ力の低い自分。同性愛者だというだけで急におどおどする自分。きっと他の人なら辞めるほどのことではなかったかもしれないのに、自分が思っていたよりも傷ついていた自分。なんとなく壊れていくのを自覚しながら、ハルにはうまく話せなかった自分。私が壊れていくのに気づかなかったハル。壊れてから私を大事にしようとするハル。そのハルをどこかで鬱陶しいと思う自分。結局、この身体に収まる「自分」が嫌なのだ。抜け出したい。どこか遠くに行きたい。

1人にしてほしくないけど、1人にしてほしい。矛盾した感情の中で踊り続ける私。寂しい。いますぐ出てって。一緒にいて。もうほっといて。
私が鬱になって、ハルは会社を転職した。明るくてコミュ力があるから、大きいコンサルティング会社でバリバリやっていたし、実際それが合っていたはずなのに、ホワイト企業として有名な事業会社に転職した。代わりに毎週色々なデモに行くようになり、同性婚実現のための集会に行くようになった。元気だった頃私がやっていたことを、ハルは綺麗になぞっている。
たしかに、元気だった頃、私は同性婚の実現に消極的なハルにやきもきしていた。わざわざうちらが声あげなくても、同性婚が実現しないのってめっちゃ変だからいつか実現するよ、と語るハルは、ちょっと思慮が足りないように見えたけど可愛かった。めっちゃ変だよね、そうだよね、だからめっちゃ変だよって色んなところで言ったほうが早く同性婚も実現するかなと思って、と言ったら、ほうほうとわかったようなわからないような顔をしているハルが好きだった。
前職の評価面談で、「うーん…でも立川さん、モテるし結婚するでしょ?子供とか生まれちゃったらさぁ…出世は別の社員に譲ってよ」と言われ「じゃああたしがレズビアンだって言ったら、出世できるんですか?」と啖呵を切って翌日会社のヒーローになったハルが好きだった。ハルは別に、私みたいなやり方でなくても世界を変えられ人なのに。

私はハルに、私になってほしいわけじゃない。私達は違うからいいんじゃないのか。完璧に同じ人間になってしまったら一緒にいる意味がないんじゃないのか。ハルが消えていく。私が布団にいる間に。

…まぁ、でも、まずは私のマネすんなきしょいよっていうか。別に話せなくなったわけじゃないし。ハルが昔よく買ってきてた、近所のケーキ屋のエクレアと、久しぶりに茶葉から淹れる紅茶でお迎えしてみようか。驚く姿を想像してちょっとだけ笑ったら、別にいくらでもやり直せる気がした。私たちはまだやり直せるし、まだやり直せるうちに、ずっと一緒にいることを誓えあえたらと思う。こんなささやかな願いを、欲深いと誰が笑えるだろうか。

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