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受け入れることは出来たとしても、理解することは『本当の意味』で難しいと思う。

バグダッドの靴磨き

このタイトル、ご存知の方いらっしゃいますか。

※戦争描写が含まれるため、自衛してください。
ご了承願います。

わたしは高2の現代文で『バグダッドの靴磨き』を習いました。
この『バグダッドの靴磨き』の内容に入る前に授業で“丸読み”をしました。

習ってから4年程経とうとしている今でも鮮明に覚えているのですが、
丸読みを終えてからその日1日ずっと喉に何か引っ掛っているような感覚があり、課題として出された『バグダッドの靴磨き』の感想が全くと言ってもいいほど書けませんでした。文章にしようと思っても上手く書けなくて、書いては消して書いては消して...を何回も繰り返していたことを今でも覚えています。そして結局全く書けなかったことも。

授業中はグループになって時系列に並べたり登場人物についてまとめていました。授業中凄く感情移入していたのかずっと泣きそうでした。そんなことを誰にも言えなくて苦しくて夜泣いていたことを覚えています。今思うと、知りたくなくて現実逃避していたのかもしれません。一種の防衛本能なのかもしれません。一言で表すなら、『変にしんどかった』です。次の授業は殆ど無気力でした。そして、その時系列に並べたものや登場人物がまとめ終わり、先生の解説が全て終わって残った1時間は現代文の授業に社会の先生が来てイラク戦争について当時の映像(小泉元首相)・米(プッシュ元大統領)をニュースの映像を流したり、解説していました。でも、イラクの映像はひとつもなくて...ここでも『感情移入』がやってきて脳内がぐしゃぐしゃで今でもあまり覚えていないので分からなかった、というより混乱していたのかもしれません。

わたしは“寛容なひとでありたい”、と結構な頻度でよく思います。
わたしは好きなものや好きな人をあまり声にして言いません。
何でも否定されて育ったから、だと思います。
わたしは友人に『好きな芸能人とか、いないの?』とたまに言われます。相手を信頼しているので『~~だよ』とは言えますが、必ず最後に

『絶対誰にも言わないでね』

と言ってしまうというか口癖のように言ってしまう自分がいます。
無意識に否定されることが怖いのか、どんな理由でこの言葉を言ってしまうのか___。正解はわたしには分かりません。これからもずっと向き合っていくしかないのかな、と思います。

わたしは大好きな世界史をもっと極めたいなと思っています。教科書を買って読んで分からないところを調べてみたり、そんなことをしたいです。そして実際に現地に行ってみたいです。勿論今の状況では難しいですが。
世界史はきっとわたしにとって“ある種の武器”なんだと思います。