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友人と会うことの成功

「友人と会うことの失敗」の後、その足でもうひとりの友人と会った。彼をちょうどその日に捕まえることができたのは幸運だった。
 彼は小さな映像プロダクションで下積みを得てからフリーランスになり、クリエイティブな生き方を全うしている。私は今フリーランス1年生なので生き方の先駆者、先輩でもある。

 話したいことがたくさんあった。受け身ながらも連休中に観た、彼に勧められた何本かの映画の感想戦。おもむろに始まる彼が最近観た映画の話。こちらもお返しに感銘を受け、今イラストや文章を再開する原動力になったアニメの話。彼の仕事の状況の話への共感、アドバイス。自分でも忘れていた昔話。

 話を聞くのがうまくなった、一段レベルが上がったと自分で思えた。想像、思い込みであることは前提で構造としての面白さに対する合いの手を入れて、こちらが話に乗り気であることを、また相手とベクトルが合っているか?ギャップを把握させて、次に繰り出される話の精度を高める。こういったことを偶発的ながらできた。再現性を高められればこれは自分の今後のコミュニケーションの核になるかもしれない。ただその技術による「関心の度合い」の演じ方は、嘘があってはならないと思う。不用意に方向性を高めてしまうと話の内容の次元が完全に追いつかないものになったり、あるいは均一的なリアクションをしてしまえば相手は機械と会話しているような憔悴を覚えるだろう。技術は半透明の仮面であるべきだ。お互いに充実したコミュニケーションになるよう。

 反して自分で話をするのはうまくないなと思う。とりあえず熱量でまくしたてることしかできない。その要領で今日一番に話したかったこと、
 「恋は雨上がりのように」のアニメ版11話、九条ちひろが「文学ってのは毒でなければならないんだ!」と大見得を切るシーンのこと、それに受けた感銘、クリエィティブに再び火が付きそうになっていることを話した。
 自分ではあまりうまく話せた自信が無いが、彼は気に入ってくれすぐにそれ観るよ、と言ってくれた。会うたびに話しているレビュースタァライトは後回しだそうだ。

 私が昔、学生時代の終わりか、もう13年かそこら前に同人誌を書こうと誘ったことを彼が思い出して話してくれた。結局自分は全く漫画だとか、本に束ねるようなものを描けておらず忸怩たる思い。

 彼はよく今でも、一緒に映像作品をなにか作らないかと誘ってくれる。お話を書いてくれと頼んでくれる。これまではとくと自分にクリエイティビティは無い、他人と共同作業したら足を引っ張ると言って無下に断ってきた。
 色々と変遷は経たが、ここに来て何か自分も一つ、作り出せたらなと思う。待ってろ!

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