月ノ美兎なら、宇宙138億光年の果てから、俺らの頭をAK-47で狙ってるよ


この記事は書こうかどうか迷った。でも、力一さんの筋肉少女帯枠の曲が7割わかってしまった人間だから、英才教育のようにテレビブロスをいつも読まされていた人間だから書かざるを得ないんだろう。ここで書く解釈は、虹色🌈に輝く、今のキラキラのVtuber世界からは遠いものであるのは承知いただきたい。また、私の文章の性質でもあるが、私はあまりVtuberというカテゴリにこだわりすぎない。あと、月ノ美兎に読んでほしくない文章かもしれない。うん、読んでほしくないね。うんほんまに。伊集院光さんみたいな人を「分析」するのって野暮でしかないんだ・・・

その昔、1980年代末頃にナゴムというレコード会社があった。

ナゴムレコードからは、電気グルーヴ、たま、筋肉少女帯といった、正直言って「病んだ」カルト的な人気を集めたバンドが多く輩出された。

電気グルーヴ(人生)は、突然ピエロ🤡みたいな顔でステージに現れて、ひたすら綿あめを作り続けたり、筋肉少女帯は高木ブーをちゃかす歌「高木ブー伝説」を売り出して、自主回収費が取れずに倒産なんてことをした。しかも、映像では「おい、ヒット曲飛ばしたのに、金一銭ももらってねえぞとか、目を見開きながら大槻ケンヂがにっこにこしている。タモさんも、レーベル主がお金がなくて、自分の手でレコードを包装してしながらの苦労話を聞いて、めっちゃにっこにこしている。正気ではない

これが、月ノ美兎さんと力一さんが好きな集団である。そりゃにじさんじあんなことになるよ。ちなみにこのアングラ性を引き継いでいる人々に、博多で活動するヨコチンレーベルと、そのバンドnontroppoがある。

音楽史的に、ナゴムレコードが分析された史料はあまり見たことがない。ただ、30年経った今だから言えることがある。それは彼らの音楽は、頭がよいからこそ、「俺たちはいつか死ぬ(memento mori)」というまぎれもない事実に向けられていた。しかも、「きっぱり死ぬこともできないし、でも生き残ってしまった僕たちは、ダメ人間で、あれもだめこれもだめ言いながらなんとか生きてくしかないよ」ということもわかっていた。



そのうまく決めきれない感じは、特に筋肉少女帯において激しいセルフツッコミと、ネコやらサボテンやら、曲中に登場する怪しい動物に自分の悩みを仮託することで、解決された。ある種の乖離だ。



(イギリスでいえば、自分のキャラクターのバンドZiggy Stardustを憑依させたDavid Bowie初期全盛期の頃の一曲。和題は「月世界の白昼夢」)

委員長の「殺意」 ーStand up, Hold On, Tukino Mito Death.


大槻ケンヂと木村カエレさんの曲、『豚のごはん』。この曲、恥ずかしながら初めて聞いたのだが、一発であの曲のオマージュだと気づいた。INUの『メシ喰うな』である。INUのボーカルは、現在は主に小説家として活動している町田康(当時町田町蔵)さん。日本のパンク史上一番の名盤ともされているこの曲を出してINUは解散した。


INUがこの曲を出した1980年代半ば、三島由紀夫が死に、全共闘も不発に終わり、人々は戦う相手を見失っていた。その時代に、町田町蔵は「そもそも自分自身という空間」をそもそも消し飛ばすことを考え続けていた。そもそも自分という存在が場所を取ってしまっているのがいけないのだ。自分の存在を抹消することそれ自体が、麗しき社会に向けた目標なのだ。

その言葉に対して、大槻ケンヂは「虚像であっても愛さなくてはいけない」と答えた。

この歌詞を、大槻ケンヂの曲を聞いて育ち、Virtual YouTuberの名のもとに活動している人たちが歌っているその意味は、言うまでもない。大槻ケンヂの答えは、自分がどんな人間かわからなかろうと、そこにすでに虚像があるのならば、その虚像を愛するしかない。そういえば、委員長はアイドルになろうとしてにじさんじに入ったのではなかった。最初はただのウケ狙いだった。

ところで、委員長は銃が大好きだ。そしていつも殺意満々である。

まずは自分の第一のファンである所のリゼ様を+1し

名取さなさんをなかなかサイコな感じで『にじさんじへようこそ』した。

ネタバレになるとよくないので触りだけいうと、ある実況で思いっきり感動した時に「まって、夢みたい!夢だったら死ぬが」とか結構平気で死ぬとか使う。しかし、大事なのはこの人が強い言葉を使う時、それが「相手が嫌い」というベクトルを指した覚えがないのだ。ひたすら、目の前の出来事に的確に「反応」して「分析」しているだけなのだ。ホラゲが好きというのも、頭を空っぽにして罵声を飛ばすのが好きだからかもしれない。

そして時に、その銃口は自らに向くことがある。


これが何を意味しているかは、90年代最も売れたバンドのこの曲と、00年代にカルトな人気を博したこのゲームに現れているだろう。

彼女は自らの虚像を更新するべく、文字通り、頭をぶち抜き続けている。  (たぶん、いい意味で失敗し続けているけど。)

わたくしで隠さなきゃ その空虚を


ある種の破壊的な部分がちょこちょこ見えるその一方で委員長は、すごくきれいな「虚構」(あるいは企画、ごっこ遊び)を作り上げるのが上手だ。この「乖離」はなんだろう?

心理学では、人間は「それなりに」人格を分裂させながら生きているという。会社ではこういうキャラ、家族の前ではこういうキャラという風に使い分ける。

しかし、これはあくまで私見でしかないが委員長の場合、その乖離が「下ネタとリョナとスプラッタにまみれたおもしれーやつ」と「にじさんじをまとめる清楚な委員長」に極端に二つに割れているように見えるのだ(後者が本格的に出てきたのは、ここ1年だけど)。小さい女の子になろうが、ゾンビになろうがその姿は後に破棄されてしまった。

リンク先の、ウイスパーボイスの動画では珍しく自分の好きな歌の話をされていた。委員長さんの場合、例えばとにかく歌いまくるタイプの緑仙と違って、歌配信自体もそんなに多いタイプではない。そしてあれだけアイマスが好きとなると、放送自体をひとつのライブとしてしっかり構築したんじゃないかな?と感じる。



実は、美兎さんは時々「ノートを取ること」に関する逸話が出てくる。やりたいことがあればノートを取っていたし、雑談のネタになりそうなものも覚えようとしていた。そしてそのノートは文字通りこのnoteというサイトにも載っている。そしてそこには細やかな一放送一放送へのこだわりを見ることができる。

本題に戻って、ウイスパ―ボイス放送で選ばれた曲たちには、彼女のもう一つの側面が見えるような気がする。委員長が歌った歌には、夏の描写とふっとんだ女の子の話(「気になるあの娘」「あの娘はあぶないよ」「やられちゃった女の子」)がやたら多い。

そして、『気になるあの娘』なら時空を超えて突然車を走らせるし、『あの娘はあぶないよ』なら、思いつきで好きな人にお別れしようとしたり、分かってもらうために行動する。『やられちゃった女の子』なら、やられちゃった女の子が、やりにいくものがたり(あくまで個人の解釈)が、ふわふわとした言葉で語られている。

これらの曲に共通しているのは、言葉の使い方が『心象風景』をキレイになぞるように作られているということだ。しかし、心象風景は心の中の光景(なんでもあり)なので、言葉にしてしまえば、隠喩(わざとらしい言葉)になりやすい。もろくて崩れやすく、そしていわゆるメンヘラっぽい表現に結びつくこともある。グロとかエロが飛び交う世界にもなりえるのだ。

その一方で、卓越した力で研ぎ澄まされた「妄想」は、人々をつなぐ「原風景」になる。


そういえば、実は人間は目からではなく耳からでも音を「見る」ことが出来るという話がある。次の記事のダニエルさんは、視覚障碍者ながらも舌打ち音(クリック音)を使い、その反響を耳で聞くことによって、周りの状況を把握し、なんと自転車にまで乗ることができた。

委員長がウイスパーボイス生放送で歌うのを選んだのは曲の歌手たちは、その声のやわらかさや反響の良さから、決して高い音程ではなくても倍音が多く含めやすい音域の曲たちだった。鳥の詩に代表されるように、倍音の多い曲は、まるで飛行機✈のなかでゴォーと音が鳴るようなあの独特の安らぐ音に近づく(時がある)。彼女の大事にした心象風景の中には、積乱雲のかかった青い空のした、海の近くの家で、コオロギやセミが鳴き、みんなで花火をして、一緒にスイカを食べるような世界が広がっているかもしれない。


(この放送の背景にもよく注目してほしい)

以前黛灰君の考察の記事とも関わるが、インターネットは確かにありとあらゆる情報を伝達できる(WIRED)。でも、それを体験する身体的な情報は、まだ目と耳までしか発達できていない。ニコニコ動画やFLASHの人々が、この時代の遺産について強くこだわるのは、理性や言葉の段階を超えて、共通体験や心象風景の共有をしたいという、人間性の現れかもしれない。

ちょっと出典を忘れてしまったのだが、委員長は自分の存在が「インターネットのミームのようなものになればいい」と言ったことがあった。それは、彼女の曲や配信を見れば、ある共通の情動が生まれるような、そんなアイコンになりたいと言っているのだ。

多様性の時代になって、人々は人と人の違いで争い続け、人同士を縛りつけるために相互に監視をしあった(黛君の『単眼』)。そんな時代に、一つのシンボルとして振舞うことは、周りのありとあらゆる環境にもまれて、自己をすり減らす所業だ。そんな中でも、彼女はずっとそこに居続けた、のである。


委員長、三周年おめでとうございます。無理しないで…とか言ってもあなたは突っ走っていくと思います。けど、周りの方は多分助けてくれると思うので、ぞんぶんにぶっ壊れて走っていってください。


...ところで、その右手に持っている黒光りするものはなに?




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学者の方向け捕捉

この文章は精神分析の知見を頭にいれて書いています。念頭にあるのは東浩紀氏、ピエール・ジャネです。今の時代、こんな人文学的な方法ではなくて、データを用いた方が委員長のためになるのかなあと思いつつも、彼女の行ったことを記す意味で、書きました。もしも違和感のあるところ、コメント等ありましたら、お願いいたします。


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