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俺はロックなんか聞かない

(村上龍「コインロッカーベイビーズ」の感想文を装ってただの自分語りを書いています。ご注意を!)

村上龍「コインロッカーベイビーズ」を18歳ぶりに読んでいる。現在24歳なので、初めて読んでからもう6年経った。久しぶりに手に持って、サラサラした講談社文庫の表紙を触ったら、初めて読んだときに、馬鹿みたいにのめりこんで読んで、この本をお守りみたいに大事にしてたことを思い出した。そしてパラパラ読み進めていくと、18歳の頃の記憶がぐるぐる頭に回ってきてしんどくなってきた。今、四分の三くらい読み終わったが、本の内容よりも、当時の嫌な思い出の方が頭を圧倒してるので、文章を書いている。あと暇。

「コインロッカーベイビーズ」は、生まれたばかりの赤ん坊の頃に母親にコインロッカーに捨てられたが、なんとか生き残った二人の少年、キクとハシの物語だ。キクは無口で、暴力的で、運動能力が高い。ハシは喋りが上手く、泣き虫で、歌が上手い。二人とも性格や才能は反対だが、本質的にはどっちも内向的で、抽象的な思考で生きている感じがする。幼少期は二人でお互いの欠落したとこを補って生活していく。高校生頃になって、ハシは音に熱中し、キクは走って飛ぶこと熱中していく。

疾走感溢れる読み味で、読んでいると心臓がドクドク鳴るような感じがして、じっとしていられなくなり、暴力的な気持ちになる。今読むと、大抵のキャラが無機質で壊れてしまっている人間性なところや、ところどころの臭いセリフなどが気になってしまうが。(村上龍の小説あるあるな気がする。全部読んでるわけじゃないのでわからないけど)それでも今でも全然めちゃくちゃ面白い。

キクとハシにかなり感情移入して読んでしまう。今回もやっぱりしてしまった。高校生の頃は「キクとハシは俺だ」くらいに思って読んでいた。特にハシ。改めて読んでみて、生まれも育ちも才能も違うのに18歳の俺がなんで感情移入して読んでいたのかなんとなくわかってしまって、情けないが、やや感傷に浸ってしまった。こういうぶっ飛んだものへの憧れみたいのも大きかった気がする。

話は変わるが、俺より二回り、三回りくらい年上の一部の漫画家を見ると、本当は漫画家になりたかったんじゃなくて、ロックミュージシャンになりたかったんじゃないかと思ってしまう事がある。勿論漫画も好きで漫画を描いているだろうけど、ファッションや、インタビューの受け答えなどを見ると、偏見かもしれないが、ミュージシャン気取りだなと見てしまう。(俺が、漫画家はエンタメ作家で芸術家じゃないんだから、ちょっと馬鹿にされるくらいな方が丁度良いみたいに思ってるからそう見えるだけかもしれないけど)(あと昔のロックミュージシャンの映像さっき見たら全然もっと過激で頭おかしかった)

「コインロッカーベイビーズ」のハシも、歌手を目指して上京し、なんやかんやあって若者を熱狂させる全国的なポップスターになる。コンサート中のハシのめちゃくちゃな興奮状態を見ていると、かっこいいなと思うし、こういうものに上の世代の人達は憧れていたのかなと勝手に思った。村上龍自体もそうなのか?わかんない。

俺が高校生の頃に流行っていた音楽は、AKB48や乃木坂46、ジャニーズのアイドルソングが中心で、他には「君の名は」の影響でRADWIMPS、星野源や米津玄師もじわじわ人気が出てきて、女の子達はみんなback numberを聞いていて、洋楽だとテイラースウィフト、アリアナグランデ、ジャスティンビーバーあたり、まだシティポップはそんなに流行ってなかった気がする。俺の周りにはロックや、ヒップホップを聞いてる人はいなかった。俺自身も音楽には疎く、米津玄師が好きだった。RADWIMPSも多少聞いていたが、中学生の頃程は聞かなくなった。(「君の名は」より前の暗くてやや中二病感あるこじらせたのが好きだった)あとはYouTubeでエレファントカシマシの「悲しみの果て」とその他人気曲、フラワーカンパニーズの「深夜高速」、フジファブリック「茜色の夕日」、神聖かまってちゃん「ロックンロールは鳴りやまないっ」、ザ・ブルーハーツの人気どころ、このへんをろくに知りもしないくせにループして聞いていた。

とにかくガチャガチャしたロックを俺は聞いてこなかった。ニルヴァーナもセックスピストルズも名前も知らなかった。レッドホットチリペッパーズは映画デスノートで聞いたことがあったけど、聞いたことあるくらいだった。

あいみょんの「君はロックを聞かない」で言ってるロックはどういうロックなのかわからないけど、俺はガチャガチャした激しいロックは聞いてこなかった。でもその代わりに「コインロッカーベイビーズ」を読んでいた。漫画家のくせにミュージシャン気取りの人達を俺は馬鹿にしてしまうが、俺も「コインロッカーベイビーズ」気取り「コインロッカーベイビーズ」崩れなのかもしれない。さっきも書いたが、村上龍の作品を全部読んでるわけじゃなく、数えたらエッセイ合わせて8作品だけ読んでいた。(中学校の教室の棚に「13歳のハローワーク」が置いてあってパラパラ読んでいたので、それを入れれば9作)最後に「希望の国のエクソダス」を20歳くらいの頃読んで、飽きて、読むのを止めた。多分、ハシみたいな繊細さが無くなった気がしたからだと思う。(本当にそうなのかを確かめる為に、久々に今度まだ読んでない作品読んでみようかな)

そんな感じで、10代後半のピリピリして繊細で何もよくわからなくいくせに何か分かった気になって無力感と全能感が激しくゴチャゴチャ混ざった時期に、俺は「コインロッカーベイビーズ」を読んでいた。「コインロッカーベイビーズ」が頭の中でガチャガチャ鳴っていた。ちょっとこの言い回しは気障かなと思ったけど、本当にそんな感じで当時は本当に思っていたのでそのまま書かせてもらった。

漫画を描いていると、もっと俺が音楽映画通だったり、文学好きだったり、アートへの造詣が深かったり、学問を真剣にやっていたりしてたら良かったのにと思ってしまう事がある。たまにサブカル系だと勘違いされることがあるが、正直サブカルもたいして知らないし、あと漫画も他の漫画描いてる人達ほど詳しくもない。飽き性で、一つの事に長くのめりこんだことがない。ちょっとかじって、分かった気になって、飽きてしまう。かなり中途半端な人間だ。だから大した蓄積もなく、漫画もその時々の思い付きで、ノリで描いている。意外と他の新人漫画家は、憧れがあって、こういうものを描いて売れたいみたいなものを持っているらしい。(本当かわかんないけど)(あと憧れを持っていても、それとは違う売れ方をするのがほとんどと聞いたことがある)

何が言いたいかと言うと、今更背伸びしてもしょうがないな、みたいなことだ。「コインロッカーベイビーズ」をお守りみたいに大事に抱えていた俺はもう変えようがない。でも自分が描き手として生きていきたいと思うと、もっと格調の高い作品や、芸術性、哲学性の高いものに影響を受けて作品作りをしていると思いたくなってしまう。高校生の時に太宰治や、谷崎潤一郎、夏目漱石、芥川龍之介、村上春樹や多少の海外文学も読んだ。勿論ほとんど面白くて最高だなと思ったが、それは背伸びして読んでいたし、よくわかんなかったところがほとんどだった。純粋に楽しんで好きだったのは「コインロッカーベイビーズ」だった。(実は他にもあるけどここでは内緒!)(あとこの頃に背伸びしてわけわかんないものに手を出したのは良かったことだと思う。もっとわけのわからんもの見たり読んだりしとけば良かったな的なことも思う。)

「コインロッカーベイビーズ」を読んだせいで、色々嫌な記憶が思い出してしまったが、それも残念ながら存在してしまっているものなので、変に開き直らず、ちゃんと認めて作品の肥やしにしようと思う。作中のハシも、突然全国的な歌手になったことで過去の弱虫の自分と折り合いがつかず、過去の自分を思い出したくないために昔の自分を知ってる人たちを強烈に嫌悪するシーンがある。そしてどんどん頭がおかしくなっていく。俺はまだ人気者になってるわけじゃないので、全然頭は平常運転だが、頭がおかしくはなりたくないし、ハシみたいに人前で演技して生きていきたくはない。だから変に背伸びせず、自分に合ったやり方で頑張る。ただ、こういうこと言い出すと、過去とか自分を正当化し出しそうで怖いな、と今書いていて思った。バランスがムズイ。

そろそろ文章書くのも飽きてきたので、終わりにして続きを読みます。あと「コインロッカーベイビーズ」は好きだけど、自分の創作への影響はあんまり見つからないなと思った。これからも特にそういうのはないかも知れない。ではでは、以上です。

犬 腋野怜太短編集 - 腋野怜太堂 - BOOTH

↑俺の短編集同人誌です。「コインロッカーベイビーズ」好きの方は是非読んでみてください。上にも書いた通り、特に創作には影響はないので。

文章書くのムズイ|腋野怜太|note

↑かなり前に書いた文章にも、「コインロッカーベイビーズ」が高校生の頃好きだったと書いてあった。是非こちらも。

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