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デジタルタトゥーをいかに上手に残すかサミット(前編)

現在、「デジタルタトゥー」という言葉には、マイナスの意味が込められることが多いが、そのうち、この言葉が持つニュアンスが変わってくると思う。

デジタル空間上にパーソナルな情報を出すことはあまり宜しくない、みたいな共通の見解が世を席巻している。
一般社会での人付き合いのマナーやルールがSNS上でも(いや場合によっては一般社会よりも)求められるようになってきた。

「Xって何を言っていい場ではあるけれど、ほんまに何でも言っていい場ではないからな」。

ハイツ友の会M1準々決勝ネタより抜粋

こういった論調の「揺り戻し」が近いうちに起きると勝手に思っている。「デジタルタトゥーは残さないようにするべきのではなく、上手に残すことが求められるだろう」的な。

・・・

去年、祖父の葬式を経験し、いずれ自分も死ぬんだと再認識させられた。

僕は、祖父と同じように死ぬ。
しかし、弔いの様子はきっと違っているんだろうなと思っている。

祖父の祖父が死んだときと、祖父が死んだ時だって違っていただろう。
祖父が死んだときと、僕が死ぬときもまた、大きく違っていると思う。

具体的には、

僕が死ぬときは、確かに肉体的に滅びることはあるが、「身体性を持たない自分」としてそこらをウロウロしていたいのだ。

イメージとしては、ハリーポッターの舞台「ホグワーツ魔法学校」をうろついている「ほとんど首なしニック」みたいな感じ。
何千年後かの彼岸の日、遠い孫たちの親戚一同と集まって、一緒に語らいたい。既に死んでいる僕の息子なんかも幽霊となってもらいたい。

ほとんど首なしニック

そのためには、肉体的に生きていた頃、今でいう「生前」のデータをAIに食べてもらって、データを元に、「自分」を再構築してもらわなければならない。

だから、デジタル空間上に、色んな自分のデータを残しておくことが必要。

例えば、家でぐちぐちテレビに向かって文句を言っている人は、それを余すところなくXに投稿しておかなければならない。
家で言っているだけでは、何にも残らない。

誰かへの誹謗中傷は断固反対。あくまでも情報を「残す」ことが重要であって、文句を人に届けてはならない。文句を言うならフォロワー0の鍵垢で言うべき。

将来、デジタル空間上でのアイデンティティが0の人間は、もはや存在しないのと同義になる。

これが個人的には結構ヤバいことだと思っている。

例えば、「ホリエモンについて教えて」とChat GPTに聞けば、情報を検索して色々まとめてくれる。

しかし、今の僕のことはまとめてくれない。

例えば、一般サラリーマンで、SNS投稿とか控えているような人。あるいは見る専門だけの人。こんな感じの人は僕と同じく結構やばいと思う。

だから僕は、もっと自分の情報を出したいのだ。

いつ、どこで、何をしたか、自分の基礎データ、趣味嗜好、物事の考え方、意見、論調、興味を抱いているテーマ、などなど。

一方で、パーソナルな情報をデジタル空間上に多く残すことは、当然、大きなリスクを孕む。

だからこそ、「上手に」自分のデータをデジタル空間上に残すアイデアが求められていると思うのだ。

(次の日に続く)

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