何者かになる

昨日なんとなくnoteを開き、文章を書きたくて仕方なくなったので書いてみる。

読み返してみて、ブログという形態で自分の考えをまとめるのは楽しいなと思った。noteを積極的に利用していたのが2年前、それからはツイッターにたまに浮上しては煮え切らない思いをつづり、まれに紙の日記に書くこともあった。普段のツイートでもただの事実だけでなく感じたことを書くようにしているけど、ツイートの場合そのとき思ったことを突発的に書くのであまり他者を意識した文章にならず、話をまとめようとする意識もない。このnoteだって大した人数に読まれることはないけれど、人に読んでもらえる形に自分の意見や思いを言語化していくことで、その時々の自分が見えてくる。

noteを始めたのは仕事を始めて間もないころだったので、社会人一年目の記録をつけられたのは自分にとっても有意義だったと思う。できることは今の方が多いだろうが、あの頃の方がより素直で真面目であったのであろう。読み返して驚いたのが、「自分はまだ新人で、努力の方向さえ間違えなければ何物にもなれるという思いがある」というようなことを書いていたこと。これは正しいのかもしれない。方向を間違えず、努力を継続していくことって難しいのだから。それを愚直に重ねていけば、確かに10年経つ頃にはかなりの実力がついているのかもしれない。だけど、働き始めて3年目になった今の私は、同じことは思えない。「何者かになるため努力する」という選択肢を捨ててしまったように思う。

自分はあまり向上心や出世欲が高くないタイプだと思っていたが、何者かになる選択肢を残していたのか。そんなことを書いていたころだって特に自己研鑽はしていなかったから、まあ書いてみただけというのが実態なのではあろうが。このnoteを始めてからも、どこかで自分の文章が読まれてあわよくば多くの人に読まれて拡散される日がきたら素晴らしい、なんて思っていた。そのような、ひそかな野望を2年前の自分は持っていた。

自分自身が年々丸くなっていくように感じる。デブだし。というさむーいジョークも入れてみる。他人のいけすかない言動には苛立つこともあるが、前に比べると圧倒的に何かに噛みつくことがなくなったと思う。噛みつくというのもネット弁慶的なあれだけど。丸くなったのは、周囲にいる噛みつきがちな人間への嫌悪感や人に指摘されて少しずつ見直すようになった結果だと思う。ただ、それと同時になのか自分の中の尖った感情も和らいでしまったように思う。あわよくばこれで評価されたいとか、そういう野望とそのための努力が失われてしまったと思う。

というわけで、ゴリゴリアグレッシブな人間にはならないまでも、少しずつ感じたことをここでさらけ出して、感情の整理をしたり物申したりしていこうと思う。多分書きたいこといっぱい見つかるわ。書くぞーーー

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