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リハビリと習慣

前回の更新が10月であったようだが、10月がもう9ヶ月前であることに驚いた。ここを更新しなくなってせいぜい4ヶ月くらいか、という感覚であった。

1時間強離れた実家に戻る電車の中で書いている。今までここを更新したのも、大概は実家からの移動時間であった。電車に乗ると、大体1つは書きたいことが浮かび、それをもとに文章を組み立てるのに1時間という時間は非常に有用であった。

同じ電車の中での1時間なのに、いまいち書きたいことが浮かばない。最近、何も思うことがなかったわけではない。日々の鬱憤をツイッターに書くことはあるし、稀に紙の日記に思いの丈を書き綴ることもある。最近は漫画を読むことも増えたので、身の回りの人間関係からは受けられない刺激を受けることもある。
日々、何かしら考えさせられることはあるし、行き場のない思いをどうにかしたいと思う日もある。しかし、それをまとまった文章として書くという行為が、最近の自分にはどうも荷が重い。

習慣というのは、身につけてしまえば継続することは容易く、しかし少し休憩しただけのつもりでも、一旦止めると再開が困難になってしまう。
実家にいた頃食事中習慣として見ていたアニメは、実家を離れ仕事を始めてから見なくなってしまった。漫画も、以前はアプリを利用して日々の更新を楽しみに読んでいたのに、無料期間内に読みたい作品を読み切るのが難しいと思って読むのをやめた瞬間、自分のテンポで読みたい作品を読むこともできなくなり、アプリを削除した。しかし、ひょんなことから漫画もアニメも見ることになり、それからは何の負担もなく継続的に見るようになっている。
英語学習も、昨年の秋頃、朝の身支度中や家事の合間に英語で話すYouTubeやPodcastを聴くようになってから、頻度は減ったものの細々と継続している。これで英語が伸びたとは思わないが、これを怠った後久しぶりに英会話を受けると凄まじく英語力が低下するので恐ろしい。
ランニングも一時期習慣化したが、最近は行っていない。緊急事態宣言が出てから1ヶ月半ほど前までは、週末に人気のない場所でランニングをしていた。これをしなくなったのはランニング中急な豪雨と雷に見舞われ、大自然の中恐怖のあまりずぶ濡れでしゃがみ込んで耐えていたところ、迎えにきてくれた妹に写真を撮られ、「○○で散歩すると孤児になるらしい。」とのコメントを添えてInstagramのストーリーにアップロードされたからである。インスタはどうでもいいが怖かったし、あれ以来週末は天気がはっきりしない日が多いので。

目に見える結果がなくても、習慣として続けていれば少しはいい効果があるかもしれないし、一旦やめてしまえば急にぐうたらで何もできない自分に逆戻りしてしまう。せっかくなら、漫画を読んで悶々とするだけの自分ではなく、少しでも何かを表現できる自分になりたいと思い、そのきっかけとしてようやくnoteを書いてみた。雷に打たれ、孤児にならない限りは文章を描き続けたいと思う。

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