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政府債務残高対GDP比の変動要因

はじめに

「日本の政府債務残高対GDP比が増加したのは名目GDPが増えなかったからではなく、政府債務が増えたから」という主張を見かけました。根拠はこのグラフのようです。

出典:https://www.nli-research.co.jp/report/detail/id=55385?pno=2&site=nli

確かに、他の国に比べて日本は「政府債務変動要因」が突出して高くなっています。一方、「名目GDP成長要因」は小さくなっているため、「日本の政府債務残高対GDP比が増加したのは名目GDPが増えなかったからではなく、政府債務が増えたから」という主張を裏付けているように見えます。

ここで2つの疑問が浮かびます。

  1. 「名目GDP成長要因」が小さいということは、「名目GDPが増えなかった」ということなので、「名目GDPが増えなかったからではなく」とは言えないのではないか。

  2. 日本の政府債務は対GDP比では大きく増えているが、残高でいうと他国に比べてそこまで大きく増えているわけではなかったはず。

ということで今回はこの2点について検証してみましょう。なお、上記のグラフの計算式による変動要因については「寄与度」と呼ぶことにします。

寄与度の計算方法について

「寄与度」の計算方法について図を使って説明してみます。債務残高対GDP比は、債務残高$${D}$$を名目GDP$${Y}$$で割った$${\dfrac{D}{Y}}$$で表されます。横軸に名目GDPの逆数$${\dfrac{1}{Y}}$$(※逆数を取るのがポイント)、縦軸に債務残高$${D}$$を取った図で表すと、面積が$${\dfrac{D}{Y}}$$となり、債務残高対GDP比を表します。

債務残高が300から1200に増加し、名目GDPが600から1200に増加する場合、最初の債務残高対GDP比は0.5、最終的な債務残高対GDP比は1.0となります。

ここで、まず債務残高が増えてから、その後名目GDPが増えるとします。債務残高が300から1200に増えるとき、債務残高対GDP比は0.5から2.0に1.5だけ増加します。次に、名目GDPが600から1200に増えるとき、債務残高対GDP比は2.0から1.0に1.0だけ減少します。よって、債務残高対GDP比の変化に対する債務残高の寄与度は1.5、名目GDPの寄与度は1.0となります。

逆に、まず名目GDPが増えてから、その後債務残高が増えるとします。この場合、債務残高の寄与度は0.75、名目GDPの寄与度は0.25となります。

このように、どちらかを先に増やしてしまうと、寄与度の数値が全く変わってしまいます。しかし、実際には債務残高も名目GDPもほぼ同時に増えていくはずです。冒頭のグラフの場合、年度ごとにGDP増加→債務増加→GDP増加→債務増加と交互に計算する形になっています。

ここでは簡素化のため、両者が定率増加すると考え、一気に寄与度を求められないか考えてみます。要は、図の右上の四角のうちの紫の点線(実際は曲線)よりも下の部分の面積を積分によって求めて、それを右下の四角と足したのがGDPの寄与度、左上の四角と足したのが債務の寄与度になります。

ということで頑張って計算した結果、このような式が得られました。

$${d \ne y}$$のとき

$$
C_D=(\dfrac{D}{Y}-\dfrac{D_0}{Y_0})(\dfrac{d}{d-y})
$$

$$
C_Y=-(\dfrac{D}{Y}-\dfrac{D_0}{Y_0})(\dfrac{y}{d-y})
$$

$${d=y}$$のとき

$$
C_D=\dfrac{D_0}{Y_0}d
$$

$$
C_Y=-\dfrac{D_0}{Y_0}y
$$

$${C_D}$$:債務GDP比の増加量に対する債務残高の寄与度
$${C_Y}$$:債務GDP比の増加量に対する名目GDPの寄与度
$${D}$$:債務残高
$${Y}$$:名目GDP
$${D_0}$$:債務残高の初期値
$${Y_0}$$:名目GDPの初期値
$${d}$$:債務残高の対数変化率
$${y}$$:名目GDPの対数変化率

なお、対数変化率とは変化後の値を変化前の値で割って自然対数を取ったものです。債務残高の対数変化率の場合、$${\ln\dfrac{D}{D_0}}$$で計算できます。この対数変化率については、後ほどまた使います。

ということで、計算結果を元のグラフと比較してみましょう。

出典:https://www.nli-research.co.jp/report/detail/id=55385?pno=2&site=nli

計算方法や使用したデータが若干違うため、少し差が生じていますが、概ね同じ形のグラフが得られました。計算ミスがなくて一安心。

寄与度を用いることの問題点

寄与度の計算を試行錯誤していて、一つ気付いたことがあります。こちらのグラフは、A:債務だけが増加したケース、B:債務もGDPも増加したケース、C:GDPだけが増加したケースの寄与度をそれぞれ計算したものです。AとBの債務の増え方は300→1200で同じ。BとCのGDPの増え方も600→1200で同じです。

なんか変ですね。AとBの債務の増え方は同じはずなのに、Aの方が増え方が大きいように見えます。また、BとCのGDPの増え方は同じはずなのに、Bの方が増え方が大きいように見えます。

このように、「寄与度」によって債務残高対GDP比の変動要因を分析すること、とりわけ多国間の比較を行うことには問題があるように思います。

対数変化率による要因分析

それでは歪みのない要因分析をするにはどうすれば良いか。先ほどの対数変化率を用いるのがベストだと考えます。対数変化率には、次のような性質があります。

  • 増加する際の対数変化率と、減少する際の対数変化率を同じ数字で表現できる(伸び率では100→110は10%増加、110→100は約9%減少となり数値が異なるが、対数変化率はどちらも約0.0953)

  • 短期の変動など、小さな変化についての対数変化率は、伸び率の近似値として使える(上の数値からも分かる)

  • 10年間の対数変化率から1年間の対数変化率を求めたい場合、単純に1/10すれば良い(逆に10年間の対数変化率を求めたいなら10倍すれば良い)

  • 債務残高対GDP比の対数変化率は、債務残高の対数変化率からGDPの対数変化率を引いたものになる(この点は「寄与度」と同じ性質)

ということで、先ほどと同じデータを対数変化率で表示したものがこちらのグラフです。AとBの債務増加、BとCとGDP増加の影響が等しく表示できていますね。

元のグラフと対数変化率によるグラフを比較してみましょう。全く印象が違いますね。

出典:https://www.nli-research.co.jp/report/detail/id=55385?pno=2&site=nli

まとめ

以上の結果を元に、冒頭の疑問について考えてみましょう。

  1. 「名目GDP成長要因」が小さいということは、「名目GDPが増えなかった」ということなので、「名目GDPが増えなかったからではなく」とは言えないのではないか。

  2. 日本の政府債務は対GDP比では大きく増えているが、残高でいうと他国に比べてそこまで大きく増えているわけではなかったはず。

まず1について、「名目GDPが増えなかったからではなく」という解釈は正しくありません。元のグラフでは若干GDPが増えているように見えますが、これは債務が増えているほどGDPの寄与度が大きくなる性質によるもので、実際には日本の名目GDPの増え方はごく微々たるものでした。

次に2について、元のグラフでは日本だけが突出して債務を増やしているように見えていますが、実際には日本の債務の増加は比較した国々の中でも中程度ということになります。

よって、「日本の政府債務残高対GDP比が増加したのは名目GDPが増えなかったからではなく、政府債務が増えたから」という主張よりも、「日本の政府債務残高対GDP比が増加したのは政府債務が増えたからではなく名目GDPが増えなかったから」という主張の方が妥当性が高いと言えるでしょう。


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