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【Day9】地獄の悔し泣き

最近泣いたことか…うるうるはしたけど、ボロ泣きはしてないなぁ。私の場合、流す涙の種類に偏りがある。うれしい涙より、悔しい涙の方が多い。
最近ではないが、1年ほどさかのぼって悔しい涙について書いてみよう。

涙のきっかけ

悔し泣きは2年前のこと。業界・業種を大きく変える転職をした時だった。

人生に転機があり、経済的自立が必要になった。とりあえず大型免許は持っているし、トラックならそれなりに稼げるだろう。そう思い、全くの未経験だったがドライバー求人をあさり始めた。

しかし未経験では、なかなか思うような求人に行き当たらない。焦りながら求人を見ていると、あるトレーラードライバーの求人が目に止まった。それは車を運ぶキャリアカーの運転手。車が2階建てで運ばれてるトラックか…。
正直1番興味のない形をしたトレーラーだった。けん引免許が必要な求人だけど”未経験歓迎”の文言があったので、とりあえず勇気を出して応募してみた。

すると即答で面接をしてもらえることになり、後日会社へ出向いた。私が未経験者だったので、面接担当者の方は細かなことまで丁寧に説明をしてくださった。けん引免許は入社までに取ってくれればよいからと言われ、早速自動車学校の入校手続きへ。学生や高齢者講習を横目に、12.3年ぶりの自動車学校に通い始めた。

けん引車両というのは今まで自分が経験のある乗り物とは違い、一筋縄ではいかなかった。前進はいいが、バックができない。思ったように車を動かせない。何だこの乗り物は。曲がりたい方向と逆にハンドルを切るってどういうこと?どんな原理?

教習の段階で頭をかかえそうになったが、教官に「実際の現場に出て会社の車に乗っていれば、そのうち慣れてますよ」みたいなことを言われたので、何とかなることを期待した。実際不安はとれなかったが、何とかけん引免許教習が修了した。

無事に教習所を卒業し、免許証の更新ができたことを会社に報告。入社が決まった。

地獄の日々

いよいよ入社日を迎え、1か月間の研修期間に入った。この研修がまったくの想定外の内容。苦行の始まりだった。

座学を織り交ぜながら、まずは車の積み込み作業から教わった。車を乗せる荷台を「昇降台」というのだが、これを操作する手順が恐ろしく多く、ルールも細かい。こんなに覚えられないよ…。机上で暗記すれば済むものではなく、覚えた手順通りに体を動かさなければならない。
私は頭に入らないと体が動かせない。手順は書面などにまとめて整理したいタイプ。指導者たちの「体で覚えろ」という言葉がものすごくしんどかった。

やっと覚えた!と思ったら、それは上段だけだった。昇降台は2階建てなので、当然のことながら上下併せて一連の手順がある。上段だけでも頭はパニックなのに、まだあるのかよといった心境。この時の涙レベルはまだゼロ
大変なのはまだまだこれからだった。

積み込み手順の暗記と並行して、昇降台に車を乗せる練習が始まった。最初は地面に惹かれた白線に沿って、車をバックさせる練習をした。その後実際にトラックに乗せてみる。

できないんですけど!…何でできないんだ?台の上に乗せるだけだよ。それどころか、商品車をまっすぐ台の上を走らせられない。ガイドの線からずれたりハンドル操作が悪いと、昇降台の柱にぶつかりそうになる。当たれば「ハイ、商品車事故」どうするのこれ、怖すぎるんですけど。

昇降台には商品車を乗せる時のガイドになるラインが何本かひいてある。乗せる車の大きさに合わせて線を決め、その線に沿って車を積み込む。
また商品車は、昇降台のどの場所に乗せるかによって、前進で積むかバックで積むかがおおかた決まっている。前進はまだなんとか乗せれたが、バックになると途端に難しくなる。少しずつ涙腺が怪しくなってきた。このときの涙レベルは3/10くらい

私が研修を受けていた時期は7月。梅雨明け前だったため、カッパを着て研修を受ける日が多かった。それでも無我夢中で研修を受けていた。おかげでカッパはムレ蒸れ。雨と汗でびしょ濡れになりながら指導を受けていた。
何でこんなにしんどいの…難しすぎる…こんなはずじゃ…地獄の日々だった。

涙腺が崩壊した日

商品車を乗せた後は走行中に動かないよう「固縛」という作業をする。その名の通り商品車を縛って固定する。昇降台に張り巡らされたワイヤーにフックがついており、そのフックを商品車に引っ掛けて固定する。

この引っ掛け方がどうにも理解できなかった。何度習っても意味不明。力のかかる方向とか物理的なことも教えられたが、実際にやってみると正しくフックをかけることができない。何で?何が違うの?他の人は出来てるのに…。焦る。めっちゃ焦る。嫌な汗で作業服はびっしょり。

給水タイムはあったが思った以上に水分を奪われていたようで、頭がボーっとし体がフラフラした。それでも何とか理解したかった。

その時私についていた指導者は、やや口調のきついオヤジだった。指導者の中のリーダーで、ザ・昭和の人といった考え方の持ち主。悪い人ではないんだけど、シンプルにウマが合わない。話がかみ合わない。この人の話す日本語の説明が理解できなかった。
わからない自分とできない自分にイライラ。説明のボキャブラリーが不足している指導者にはもっとイライラ。涙レベルマックスに到達

とうとう涙腺が崩壊した。悔しくて悔しくて泣けてしまった。なんでわからないんだろう。研修生の中でただ一人の女だった私。自らの意思で男の世界に飛び込んだので、女の涙なんて見せたくなかった。指導者は戸惑った鵜様子だったが、私は悔し涙を止めることができなかった。

こんなはずじゃなかった入社

面接時、未経験だった私に、入社を考える前に一度どんな仕事か見てみたらどうかと言われ「横乗り」というものをすることになった。先輩ドライバーの横に同乗し、仕事を見学するのである。
この時偶然にも横乗りさせてもらったドライバーは、ドライバーコンテストキャリアカー部門の全国大会で優勝した方だった。何と光栄な!そしてそんなすごい人がいる会社なのか!会社に早朝5時の集合で眠かったが、ワクワクする1日の始まりだった。

その日は静岡県裾野市へ行った。サービスエリアで昼食を取ったり、サービスエリアの駐車場でキャリアカーの写真を撮らせてもらったり、完全に旅行気分だった。もちろん運転や作業も間近で見ていたが「ふーん、こんな感じなんだー」くらいにしか思わなかった。というか思えなかった。

勤続20年選手の人がしている運転や作業を見て、難しそうに感じるはずがない。いとも簡単にやっているように見える。入社を決めたのは、そんなに難しくなさそうに思えたのが率直な感想だった。だから「やってみよー」なんて思えたのである。ところがどっこい。劇的にムズイ業務。そしてあっという間に「こんなはずじゃなかった」を味わうことになった。

新しい職場に行けば当然仕事は一から覚えるもの。でもこの業界の未経験は甘くなかった。作業面だけでなく、私は運転面でも苦労し続けた。自動車学校の教官が言っていた「そのうち慣れますよ」の「そのうち」はなかなか来なかった。私の場合運転に慣れるのに、少なくとも半年以上はかかっていた。

でもこの仕事は今まで経験した中で一番やりがいがあって楽しかった。成長を感じられる自分がいた。だから一生懸命がんばった。そんな気持ちになれたのは初めてだった。いい歳して人目もはばからず、悔し泣きしてがんばった甲斐があった!!

悔し涙は流すなと言われたことがある。しかし私は負けず嫌いだから、悔し涙がエネルギーとなり成長につながる。だから決して悪いことではない。これからも悔しくなって限界を超えた時は、泣きながらがんばると思う。

ただ残念なことに、あんなに悔し涙を流して研修をやり抜き、こんなにやりがいを感じたキャリアカーの仕事は、給料が安すぎて1年で退職した。

以上、最近泣いたお話でした。


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