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歴史探偵エッセイ ⑥京都を歩けば史跡にあたる

 皆さん歴活してますか?
歴史探偵Qです。

 2月に京都旅行に行き、はや4ヶ月。
まだこのネタ引っ張っていました。
「どこ行ったけ??」
と思い出しながら記事を
書いていきたいと思います。

 今回は、「犬も歩けば棒に当たる」
ならぬ「京都を歩けば史跡にあたる」と
いうことで、1日中京都を移動しました。
 4ヶ月前なので思い出しながら書かせて
いただきます。笑

 午前中はエッセイ⑤で書いた「源光庵」に
行き午後からのお話です。
源光庵からはバスで移動して「銀閣寺」です。

 銀閣寺、銀閣寺と言っておりますが
正式名称は「東山慈照寺」いいます。
まっ銀閣寺の方が名が通ってますよね…

バス停から意外と歩くので、結構疲れます。
参道は登り道ですが、甘味処などがあり
リア充の方はそちらでゆっくりと
していただければいいのかな?と思います。
アラサー独身男は黙々と登っていきます。

 実際に銀閣寺を見て…
やっぱり雰囲気あるなと思いました。
建物の勉強はしたことがないので、
よくわかりませんが…
細部にわたって飾りが細く、位の高い人が住む為に作られているなとすぐにわかります。

金閣寺は目立ちますし、修学旅行の時も
金閣寺に行きがちであまり派手ではない
「銀閣寺」おすすめです。

 次に銀閣寺から歩いて京都駅の方に
向かっていると次々と史跡を見つけます。

最初に見つけたのは「本能寺」です。
あの「本能寺の変」で有名な本能寺ですが
現在の本能寺は他宗からの破却や有名な
「本能寺の変」、「蛤御門の変」などの
戦乱などによって5度の消失、7度の再建を
繰り返し現在に至っています。

 なので信長が死んだと言われている
本能寺は別の場所にあります。
一応、信長公のお墓もあります。

本能寺を出て少し歩くと「鴨川」が
見えそちらの方へ足を進めると「高瀬川」に
出会いました。

 高瀬川に関しては、「ブラタモリ」で
鴨川を特集した際の放送を見ていたので、
「これのことか!」と
思い出しながら見ていました。
あと、森鴎外の「高瀬船」読み直そうかな…

 そして高瀬川の周りも史跡がいっぱいあり、
写真にもあるようにこの周りで
「佐久間象山先生」や「大村益次郎」が
暗殺、遭難の地としての史跡がいっぱいです。

 また、この辺りは藩邸が多くあり
「加賀藩」や「土佐藩」の藩邸跡の石碑が
残っていました。

 そして、この高瀬川は流通の中心ですので
物や人、そして今も昔も政治にとって重要な
「情報」が行き交う場所であった為、
「桂小五郎」や「武市瑞山」など幕末好きなら
聞いたことのある名前の人の生活拠点なども
ありました。その石碑も残っています。

 そして幕末好きにとってはたまらない
「池田屋事件」の跡地ですが、
現在は居酒屋となっており…
あの騒動に関しての物が石碑1個か〜〜
まっ古都:京都の人にとったら
約150年前なんて昨日みたいなもんかと
思いながら、歩みを進めました。

 池田屋騒動の石碑を過ぎ、朝から行動してて何も食べておらずお腹が空いたので近くの
松屋に入って、牛丼を食べ一息着く暇も
なく次の史跡が見つかりました。

 皆さんは「瑞泉寺」を知っていますか?
私は恥ずかしながら知りませんでした。
ここは悲劇の関白「豊臣秀次公」のお墓が
あるお寺となっています。

 豊臣秀次に関してはまた後日、
詳しく話したいと思います。

 豊臣秀次公だけでなく、秀次公が切腹と
なった際に一族も処刑されるという秀吉の
残忍さも感じられますが、
その一族供養の寺となっています。

 その瑞泉寺の近くには、土佐藩邸跡もあり
近くの道を坂本龍馬が歩いていたのかと思うと
なんか嬉しくて歩いていました。笑

やっぱりみんな坂本龍馬好きですよね?
司馬遼太郎さんのおかげですけど…

 この坂本龍馬像は、土佐藩邸内にあった
「岬神社」にあった龍馬像となっています。
この神社にも、もしかしたら龍馬が来ていたかもしれません。

 そして最後は…
坂本龍馬と中岡慎太郎遭難の地という事で…
現在はかっぱ寿司の店舗の隅っこに
石碑がありました。
なんか少し悲しいような…笑

 最後に、色々行きましたが…
まだまだ京都の史跡はたくさんあり、
見てない観光スポットや歴史的な建物も
たくさんあります。
まだまだ見に行きたかったな〜と言うのが
本音であり、今年は難しいかもしれないですが
来年また行きたいな〜と思います。

今回もご覧いただきありがとうございました。

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