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妻が体外受精で妊娠したら死にかけた

投稿前に妻の推敲も通してありますが、あくまで夫側の目線です。

はてブを見ると夫が不謹慎で不快!とかサイコパス!とか色々言われているようなので、
ここから先は自己責任でどうぞ。

今は元気です!(追記終わり)

2021年6月14日

19時。ICUにて妻と面会。股から腹にかけての大きなキズに首や腹に刺さっている太いチューブ。ちょっと泣きそうになった。

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朝8時に始まり、10時間掛かった大手術。一番良い形で終えられたと主治医の先生がおっしゃっていた。

摘出した腫瘍と子宮を見せてもらう。血液を上っていた腫瘍は聞いていたとおり千切れそうで、よく保ってくれたものだな、と改めて怖くなった。子宮は生で見たのが初めてなので(殆どの人がそうだろうが)よくわからなかった。

看護師さんに、10時間も病棟のロビーで待っているなんて、本当に大変でしたね、と言われたが、午前中はプログラムを書いていて、午後はほぼ寝ていたので、そこまで大変でもなかったですよ、と言った。前日もホテルのサウナでととのったし。看護師さんいわく、家族の方は前日は緊張で全く寝れないか、いつも以上にリラックスするかの両極端だ、と。手術するのは妻であって主治医なので、特に自分にやれることなどない、と開き直っていたのだが。

そして、こんなタイミングだが家の引渡しがあった。バリアフリーにでもしておけばよかったか。3分割できるように作った広い子ども部屋に、無心で引っ越しダンボールを積む。この子ども部屋が本来の使い方を思い出す日は来るのだろうか。

はじめに

赤ちゃんがほしい、漠然と考えていた26歳。自然妊娠が望めず、タイミング法、人工授精にも見切りをつけ、本格的な不妊治療を始めた30歳。自力では諦めきれず、親の援助も受け、かかったお金は計り知れない。

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採卵、ホルモン治療の副作用でほぼ寝られず、激痛に耐えた1ヶ月間。それを乗り越え、体外受精した3ヶ月後に心拍が聞こえ、母子手帳とマタニティマークをもらった。

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喜んだのも束の間、1週間後には臨月のような異常なお腹の張り、緊急入院、流産、緊急手術。

とてもドタバタした1ヶ月だった。

これは自分の心の整理のために書いた日記であり、妻や親、知り合いなど、特に誰かに伝えたい何かがあるわけではない。というかこんな内情を公開するほうが変だと思う。それでも公開するのは、僕らはもうこれを乗り越えたんだぞ、という意思表明であり、不妊治療を頑張ったという事実を無にしたくなかった気持ち、尽力してくださった皆様への感謝の気持ち、そして、どんな文章であってもその価値を判断するのは自分ではない、という考えからである。あくまで自己満足の吐露に過ぎない。自分もこれを吐き出したあと、読まないかもしれない。それでもきっと、10年後にはこんなこともあったなあと思い返すことができると信じて、この文章を書いている。

お友達、お知り合いの皆様につきましては、特にお気遣いなく、変わらぬお付き合いをして頂けることを何より望みます。こんな大変な中ではありますが、新居の引き渡しも行われたので、ぜひ機会があればお立ち寄りください!防音室、サウナ、打たせ湯がある楽しい家です。

2021年4月1日

体外受精の胚移植。その後の経過も良好。

2021年5月7日

病院で心音を確認。母子手帳をもらう。

ただし、子宮筋腫が大きくなってきている。妊娠3ヶ月とは思えない、臨月のようなお腹の大きさ。流産していないということは妊娠に影響がないということだ、と言われ、経過観察。痛み止めをもらう。

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2021年5月17日

9時。妻がどうしても痛みに耐えられない、と病院に電話相談。臨時で問診を受けることに。症状は下半身のむくみ、前述したお腹の張り、そして歩けないほど、下半身全体の激痛。

10時。車で病院に向かう。1時間半。遠いなあ。

13時。血液検査、エコー検査、そして妊婦だがやったほうが良い、とのことでMRI検査。炎症の値が高く、検査入院の方向で検討。

16時。検査の結果が出る。入院が決定。コロナの検査。

20時。緊急入院。

2021年5月18日

大量の検査。足がパンパンになってきているとのこと。エラスコットという弾力包帯で足を加圧して、なんとか症状を和らげている。

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2021年5月19日

入院が長丁場になると伝えられる。妊婦用のパジャマや下着を西松屋に買いに行く。売り場で妊婦用パンツ等の写真を撮ってLINEに送る不審者になる。通報されなくてよかった。

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2021年5月21日

コロナの影響で面会は本来出来ないのだが、主治医の許可が降り、特別に面会。これから2週間、毎日体温の測定をして追跡調査をされるらしい。厳重だが安心。

主治医から病状の説明。このまま妊娠継続すると妻の生命に関わるとの通告があった。

妻は妊娠の影響で子宮筋腫が異常肥大し、大静脈の中に入り込んでしまっていた。静脈が圧迫されており、ほぼ毛細血管でしか血液のやり取りが出来ていなかった。上半身は脱水、下半身は過水状態でパンパン。これ以上血管が詰まらないように、右手に血液を固まらないようにする点滴と心電図、左手に持病の喘息防止のステロイドの点滴。

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何かの拍子に筋腫が心臓に飛んでしまったら、突然死する可能性がある、と伝えられた。お腹に赤ちゃんがいる以上、女性ホルモンが分泌され続けるので、子宮筋腫の成長を止められない、妊娠継続を諦めるべきだと。

お腹の赤ちゃんか、妻の命か。ああ、なんかドラマで見た話だな、と思った。非常に重い判断をしなくてはならない、と事前に伝えられていたので、思ったよりは冷静に聞くことが出来て、そんなことも考える余裕もあった。

妻は、自分はどうなっても良いから赤ちゃんを、と言っていたが、大学病院の先生は強い口調で、妻の命を最優先に考える、と断言してくれた。まあ実際にはどうなっても良い、とは言っていなく、もう少しオブラートに包んだ言い方だったが。

もともと自分の子どもが欲しかったのは自分だけで、妻はどちらかと言うと要らない、養子で良いと言っていたことを思い出した。しかし、エコー検査等で徐々に実感が湧いており、こんな体でも生命を育てることが出来た、産みたい、これが最初で最後のチャンスかもしれない、と泣いていた。

病院側のご配慮で2時間ほど個室を用意してもらい、二人で思い切り泣いた。手術の結果、赤ちゃんが亡くなってしまった、なら、しょうがない。諦められる。でも、自分達の意思で赤ちゃんを殺さなくてはいけない。それもやっとの思いで授かった命なのだ。一週間前にようやく心拍が確認できたばっかりなのだ。こんな辛いことはあるのか、と。

妻の命が最優先なのはもちろんだが、本当に妊娠継続は出来ないのか、1%の望みもないのか、明日の院内カンファレンスでもう一度確認してみるが、期待は持たないでほしい。そう言われて主治医説明が終わった。

帰りの運転中に擦った。やはり気が動転していたらしい... 気をつけよう。

2021年5月22日

14時11分。大量出血があり、赤ちゃんの心拍が確認できなくなったとの連絡。

妻は夢で、死んだおばあちゃんがお腹をさすっていた、と言っていた。自分はそういう話をあまり信じるタイプではない。それに、おばあちゃんはひ孫の顔を見たくなかったのか、と思ったが、よく考えたら妊娠継続したら孫の命が危ないのだ。孫の命を守るために、おばあちゃんがやってくれたのだ、と思うことにした。こういう話を信じていなくても、実際に妻の体には起こったのだ。それがもし違ったとしても、お腹の赤ちゃんが妻の命のために、生きるのをやめてくれたのだろう。

とはいえ、今日からは妻の命だけを考えて治療するのだ。犠牲になってしまった以上、完治しないと失礼だ。頑張ろう。そう伝えた。

2021年5月23日

主治医が妻の両親にビデオ通話で病状の説明。妊娠が駄目だったこと、そして娘に突然死の可能性があることを、両親はどんな気持ちで受け止めたのだろう。

水子の供養をしておばあちゃんのお墓に入れたい、と妻は言っていたが、心拍は聞こえていたとはいえ、妊娠3ヶ月目でまだ胎児とも呼べない、胎芽の段階だ。病院側からもまだ人として認定してもらえず、検体として病理検査後、適切に処理するとなった。こればかりはしょうがない。時間を掛けて受け入れていくしかない。

2021年5月24日

主治医から改めて今後の方針についての説明。やはり心音は確認できないため、正式に妊娠は終了したと判断。このまま胎芽が自然に出て来るのを待つが、出なかった場合はどうしよう、と言っていた。妻の臓器の位置が特殊で、手術では届かないらしい。

2021年5月26日

高額医療費制度の限度額申請、そして不妊治療の助成金の手続きをすすめる。不妊治療の助成金の手続きは入院前から始めていたが、こんな暗い気持ちで進めることになるとは思っていなかった。でも貰えるものは貰わないと駄目だ。割引があるとはいえ、手術代がかかる。頑張ろう。

2021年5月27日

手術内容の説明。改めて今のままだと突然死の可能性があること、手術をしても5%くらい死ぬ可能性があること、脳死の可能性があること、手術に成功しても下半身がパンパンなのは多分治らないこと、大静脈を分断しても人はなんとかなるが出来るだけ経路を残したいこと、手術時間は10時間超えを予定していること。

胎芽が自然流出。僕らが対面したときにはホルマリン漬けになっていた。とても小さいけど、手足がある。目もある。名前を付けてはどうか、と言われた。妻は乗り気だったけど、自分はまだ受け止められていなかった。これは人なのか。人と認定してしまったら僕たちは人殺しになるのか。名前を付けなければ人殺しにならないのか。どうしたらいいんだろう。

胎芽を病理検査にわたす前に、妻に1日だけ預けてもらい、最後の夜を一緒に過ごしたらしい。

2021年5月29日

妻の両親を呼び、改めて手術の説明。親に打ち明けるのも葛藤があったらしい。何度も電話でやりとりをした上での日だったので、当日は特に混乱もなく、双方淡々と説明を受けた。

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術中死亡率が5%から、しれっと5-10%になっていた。10%のガチャって意外と当たるよなあ...でも10連じゃなくて単発ガチャで10回ならそうでもないのか?とか考えていた。不謹慎かなと思ったが、妻からも同じ内容のLINEが届いた。そうだった、僕らはソーシャルゲームの開発会社で知り合ったのだった。

2021年5月31日

こんなタイミングで新居の引き渡し。記念すべき日なのに一人で迎えるとは思っていなかった...

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新居に関してはまた別エントリで。

2021年6月1日

手術予定前日。予備検査で数値がだいぶ改善しているとのことで、前日になって手術の延期が決定。ホテルの予約を取り消さなくては...

2021年6月2日

手術予定日。流産してから体重が15キロ、腹囲が20センチ、子宮筋腫が2センチ減と一気に改善しており、このまま良くなるところまで様子を見ようとなった。

女性ホルモン値の増減でここまで子宮筋腫が増減する現象が世界的に見てもあまり例がないらしい。

2021年6月7日

重病人扱いが終わり、6人部屋に移る。病院内の移動も許可され、シャワーやお菓子が解禁。当初の先が見えないムードからだいぶ上向いて来て嬉しい。

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2021年6月12日

死ぬまでにやり残したことはないか、ということで、フォートナイトを通信対戦で一緒にやる。最後がゲームでいいのか?ビクロイする。興奮して心電図アラートが鳴ってしまい、看護師さんが飛んできたらしい。すいません。

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楽天モバイルさん、入院中の快適なインターネット、本当にありがとうございました。

2021年6月13日

手術前日。人工肛門の位置の打ち合わせ、経口腸管洗浄などが苦行らしくて愚痴が大量に届く。まあ愚痴れるだけ元気ならよかった。

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アルジネードウォーターについて調べたりしていたら時間が来たので、自分も都内のホテルに移動する。

2021年6月14日

そして手術当日。当日に関しては冒頭参照。無事終わってよかった。

人工肛門は腸付近をあまり触らなかったとのことでなし。

10時間、出血7.3リットル、輸血40単位。予定では10リットルだったのでまだ少ないらしい。輸血40単位って40回献血したら取り戻せるのかな。2年くらい行ってないから、恩返しの意味も込めて献血、行こうと思う。

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2021年6月27日

その後、順調に回復し、無事退院。経過観察中なので、週に1度の通院は必要だが、ようやく新居に妻が足を踏み入れた。

最後に

体外受精で妊娠、流産、そして子宮摘出という形での不妊治療終了。そこに新居引き渡しも混ざって、本当に大変な1ヶ月だった。突然休んだり、急に病院に呼び出されて中抜けしたり、お仕事的にもだいぶ迷惑を掛けた。妻のことが最優先で良い、と言ってくれた上司にも改めて感謝したい。

僕らの不妊治療は、これで終わりを迎えた。

ずるずると不妊治療を続けるより、ある意味、物理的な終わりが示されたわけで、その点に関しては、不妊治療としてはけじめが付けやすく、すっぱりと諦めがついた。

今回お世話になっている病院、看護師さん、先生方は本当に親身になって対応してくれた。本当に感謝したい。

今後は治療のみならず、特別養子縁組に関してもお世話してくれるそう。妻の体調、新居の後片付けが落ち着いたら、ぜひ前向きに検討を進めようと思う。

2021年7月3日

新居で初めての妻の手料理。新居のキッチンは最初に使いたい、と言っていたので、なんとか実現できてよかった。でも無理はしないでほしい...

箸とスプーンがまだ発掘できていないので、見つけたら教えて下さい。

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おわり

高額医療費制度使っても、うんじゅう万飛んでいったので、新居のあれこれが買えません... ほしいものリスト貼っておきますね...

2023-07-01
表現のみなおし、一部削除


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