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卒業生の姿が物語る、人と人が繋がるコミュニティースクール

エドカフェ(続)No.21 みんなの学校をつくるために 〜メンバーのモヤモヤを泰子さんにぶつけよう〜

「やったあ!今年もエドカフェ始まった!!(*'▽'*)」

コミュニティースクールへの疑問あれこれ

★感動‼️
地域サポーターに感謝の気持ちを伝える子の姿に号泣!どうしたらあんな関係ができる?(映画「みんなの学校」を観て)

★個人情報が・・・
地域サポーターが学校に関わると、子どものことを知られたくないという保護者との間に壁ができるのでは?

★いろいろ言われる
地域サポーターの方に、いろんな意見を言われると返って学校は困ることもあるのでは?

そんな参加者の疑問に泰子さんが答える。

先生たちが引きずるノルマとプライド


「学校だけですべての子どもたちの命守れますか?」

「クラスの子全員の命守れる人?学級担任して!」
先生たちに聞いたら一人も手があがらなかった。

「じゃあクラスの子全員の命を守り切ることなんてできません!て言える人は?」
ここにも手があがらなかった。

「え?!」って・・・

そういうものを学校の先生たちってずーっと引きずっていませんか?

学校の教員に課せられたノルマ、ノルマの向こうにプライド、プライドの向こうに保護者の信頼、その向こうに子どもたちに「いい先生」って言ってもらえる自分。誰しも求めると思う。

でもこれだけ時代が変わって何が起きるかわからない。3.11しかり、コロナしかり、国際戦争しかり。親に虐待され殺される子もいる。

子どもという弱者を学級担任ひとりでクラス全員の命を守れるはずがない。というところに全員が手をあげれなかったら、子どもの命を守る学校づくりはできない。

そんなこと言っちゃいけないと思うし、自分の命に代えても子どもたちの命は守らなきゃいけないと思うし・・・じゃあ自分の命かけて学校の子ども守って、残された家の子はどうするの?って・・・そういうことをみんなでしゃべった。


「子どもの個人情報」と「子どもの命」どっちが大事?

地域サポーターが入って来て、「この子は貧乏」「この子は障害がある」とか個人情報が丸わかりになったら誰が困る?

そういう個人情報がオープンになって困らない社会をつくるために教育があるんじゃないですか?

個人情報が・・・個人情報が・・・と言って、地域の人が自由に学校に出入りするのを嫌がる。
貧困の子どもがかわいそう?障害のある子がかわいそう?かわいそうと思う大人がこんな地域社会をつくってきたんちゃうん?

大空も「あの子、すぐ友だちなぐるからあの子のところに行くな」ってみんなが言うような地域だった。
「あの子なんとかして」「あの子と同じクラスにしないで」と思っている人があたりまえにいた。

<GIVE &TAKE>でなく<Win-Win>の関係に!

「学校が頼むから学校のためにしてあげましょう」なんてGIVE &TAKE。
してもらったら先生たち、「ありがとうございました」ってなりませんか?「してやってるのにあそこの学校お礼も言わん」て言われる。
授業時間つぶして見守り隊の人に感謝状書いて・・・そんなのいっぱいみるけど、そんなために地域の人に入ってもらうんではすぐゴールが来る。来てもらったらお茶出さなきゃとか、先生たち何か言われるかも?とか・・・

子どもたちに指導してやろうという大人は出入り禁止。そういうことをスクールレターにあたりまえに平気で書いてた。生意気な嫌な校長と思われたかもしれないけど。

自殺・不登校・いじめ、過去最多の今、ひとりでも多様な大人との関わりが子どもには必要。
地域の人が学校に入って来て、「大丈夫か?」「何困ってんねん?」「おっちゃんなんかできるか?」って声をかけてくれる。これ先生たちは苦手。
利害関係ない、先生でも親でもない、ななめの関係の地域の人って子どもが安心して先生たちに言えないことも言える。

スーパーで会っても「○○さ〜ん!」「荷物持とうか?」と声かけられる関係ができる。地域の人が「また学校行きたい」って言う。「子どものために」って思っていた人が「自分のために」行きたくなる。そういう人が増えていく中で、「地域の宝物である子どもたちの命をなんとかみんなで守ろう」って、ようやくそういう空気が地域の中にできてくる。

「あの子のそば近づくな」って言ってた大人がその子のそばで「大丈夫か?」と声をかける大人になっている。「あいつええやつやな〜」ってみんな言うことが変わってくる。先生たちが間に入って取り持つ必要もない。

子どもは残酷。やられたら大人になってやりかえす。やってもらったら大人になって恩返しをする。最終的に地域に返ってくる。
学校と地域がそういうWin-Winの関係でなかったら、先生代わったら来なくなる。

学校が気を遣って地域と連携するなんてことだと、余計学校の仕事が増えるだけ。そこは目的じゃない。

「あいつこんなんやってるで〜」「ここにゴミ落ちてるで〜」こんなこと先生にいちいち言われたらたまりませんよね?そんな人はお断り。アラ探しで学校はよくならない。

「学校と地域」より「人と人」が繋がること

人と人のつながりがコミュニティー。おとなも困っている人いたら「なんかできることある?」って、そんなコミュニティーだったら誰もが自分らしく安心していられる。みんなに迷惑かけてるって姿を消していかなくていい。大人になったとき、人はみんな違う、その違いを尊重し合うから、対等な関係で繋がるから、自分らしくこの社会で生きれるよねってそんな社会つくるために地域のコミュニティーで学んでいくんだと思う。

卒業生の言葉が物語る!!!

映画の卒業式の場面で「サポーターのみなさんありがとう」って言ってた子どもが20歳に。なんと、昔は毎日「起きろー!」って迎えに行ってた子が、施設から高校へ3年間無遅刻無欠席で通った!

彼が高校卒業の時に言ったふたつの言葉。
「今の俺がこうやって高校卒業できたのは大空の地域の人のおかげやな。」「俺みたいな子、まだいっぱいおるやろ?俺あんまり勉強できへんけど先生になりたいな。」*・゜゚・*:.。..。.:*・'(*゚▽゚*)'・*:.。. .。.:*・゜゚・*

どんな障害があろうと、貧困であろうと、どれだけ友だちたたいたり暴れたり飛び出したりしようと、10年後には無限の可能性をもっているのが子ども。

この子は迷惑かけるからこっちへ行きなさい!この子はこのことを勉強しなさい!って、これまでやってきたような指導はもう通用しない。

「迷惑かけるな」の向こうには?

みんな子どもは困ってる。この子はかわいそう。この子は幸せそう。と大人は思いがちだけど、どの子もそれなりの悩みを抱えてる。みんな大人の前で言わないだけ。
それを言ったら怒られる。親がしんどくなる。家が恥ずかしいと思う。だったら自分で黙ってやっておこうって。

人に迷惑かけるなっていう空気がそうさせる。大人もそう言われて育って来たから子どもにもそう言ってしまう。
迷惑かけるなって言われて大人になって今幸せか?ってママたちともいっぱいしゃべった。子供にも迷惑かけるなってがんじがらめにしばる。
迷惑をかけるなの向こうにあるのは人の役に立つ人になれ。こういう話になると、やまゆり園の事件を思い出す。「障害のある人は生きてても迷惑をかけるだけ」と何人もの入所者を惨殺した。
もちろんしたことは許されることではないけど、この犯人ももうちょっと違う空気を吸って大人になっていたら違っていたかもしれない。

先生は授業を開きさえすれば全員花丸!

校長の評価はこれだけ!
授業下手でも失敗しても子ども理解できなくてもいい。いい授業見せるとかがんばるとかなくていい。授業を開くこと。ただ開くだけ。あとなんにもしなくていい。授業開いていたらサポーターが安心して入ってこれる。飛び出した子を追いかけて図書館で読み聞かせしてくれてたり。困っている子にそっと寄り添ってくれたり。先生めちゃ楽になる。

一人で頑張ってても無理無理!先生たちがまず自律して!

自律ってできないことをオープンにして人とつながること。

先生が主語(先生が頑張っていい授業する)の学校から、
子どもが主語(子どもが安心して学べる)学校へ!

人と人が繋がれば幸せになる!



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