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放送大学大学院博士後期課程:1期生の立場から(4)修士課程入学

放送大学の本部は千葉県幕張にあります。4月最初の日曜日、大学院オリエンテーションに参加するため、JR幕張駅を下りて、南に向かって歩きながら、なんとなく殺風景な感じがするなあと感じていました。高い建物がなく、平地で道路も一直線なので、起伏が多く景観が変化に富む横浜と違って、何だか気持ちが落ち着かないのです。

午前中は、大会議室の前方に教授陣が並んで全体的な説明があり、昼休みを挟んで、午後に学生各自が所属するゼミナールの第1回があります。
私が所属した美学芸術学のゼミナールは、毎年、午前中と同じ、図書館3階にある大会議室で行われます。教授は、あたかも学会での発表原稿を読むように、書かれた文章のような論理的な日本語を早口で話します。それを数時間にわたり傾聴するうちに、自分の中で、満タンに充電しておいたエネルギーが、猛烈な勢いで消耗し、枯渇していくように感じました。それだけ緊張していたということでしょう。

放送大学大学院では唯一である芸術領域のゼミナールなので、西洋絵画や舞台芸術、それから、音楽関係の研究をする人も、先輩方のなかにはいました。語学をしっかりと身につけている方が多いことに感心しました。イタリア語や、フランス語、ドイツ語などです。これは、西洋の芸術を研究する上では当然といえば当然のことですが、これは自分も相当しっかりとやらなくてはダメだと改めて思いました。現在もそうですが、性別による学生人数の偏りも、ほとんどありませんでした。

ティーチングアシスタント(教育支援者)をしていたのは、ゼミナールを修了した年配の男性で、バレエの研究をしている方でしたが、お二人の娘さんは、それぞれ理科系の研究者として海外の研究機関で働いておられました。

ゼミナールは、年に6回。平均してふた月に1回、日曜日の午後に行われました。この回数は、指導する教授によって違います。場所は全国にある地域の学習センターが使われます。私は学生としては弘明寺にある横浜国立大学付近の神奈川学習センターに所属していましたが、ゼミナールは、茗荷谷の筑波大学東京キャンパスに併設された東京文京学習センターで行われました。

私は、当初は遠藤周作文学における「神」表象の理論的分析を計画していたのですが、最終的には遠藤文学における「人間」(人種)表象の分析に研究テーマが変容していきました。この変化は私自身にとっても興味深いことといわねばなりません。洗礼こそ受けなかったものの、カトリックに強い親近感を抱いていた私は、東日本大震災以後、すっかりキリスト教に対する関心が薄れてしまったからです。地上に降りた「神」たるイエスではなく、地上の人々に、私の関心は移っていったようなのです。

この地上の物質的世界は、やがて土に戻る、つまり、死すべき存在たる私たちの手に委ねられており、それを破壊するのも再建するのも、神ではなく自分たちなのだと考えるようになっていったということなのでしょうか。

修士課程では、修士論文を書く以外に、30単位の修得が必要なので、テレビやラジオの授業を視聴して、半期ごとに課題レポートを提出し、筆記試験に合格しなければなりません。私は政治学、法学などの社会科学的領域の知識が人文学に比べて貧弱だったので、それらの科目を多く履修しました。もっとも勉強になったのは、国際政治学の講義でした。

西洋史、東洋史、西洋政治思想史、日本政治史など、全ての講義がメディア(当時はインターネットではなく、地上派のテレビとラジオ)で公開されているので、履修登録していない科目についても、関心がある分野の講義は片っ端から視聴しました。仕事が終わって帰宅するとすっかり疲れているので、録画をしておいて、朝早くに起床して、出勤前に視聴しました。

大学院で親しくなった方から、こんな話を聞いて、驚いたことがあります。地方の音楽大学短期大学部の教授をしている中年の女性でした。自分が若かったころは、学部を卒業したら優秀な学生ほど、国内の大学院に進学するのではなく、ヨーロッパに留学して帰国後は大学の教壇に立つというコースが一般的だった。自分もそうだった。ところが、時代が変わり、現在では学位がなければ大学での自分の居場所がなくなってしまいかねない。その危機感から修士課程に入学したというのです。これは切実な話だと思いました。

修士課程でもう一つ気がついたことは、さまざまな事情で休学したり、退学したりする方々がいることです。職場の事情や、親の介護などです。そういう人たちは、黙ってゼミナールからいなくなります。さぞかし無念なことだと思います。思えば、入学以前で断念せざるを得ない人たちが、世の中にはいくらでもいることでしょう。私は、本当に幸いなことに、親の介護が始まったのが、博士号を取得してからでした。

それから、四国や九州から飛行機でゼミナールに来る方もいました。宿泊が必要ですから、経済的な負担も大変です。遠隔教育は、インターネットメディアなどを活用して、空間的・時間的な距離を超越する優れた教育システムですが、ゼミナールのような対面授業を全く欠くことはできないので、やはり居住する地理的条件の違いは大きいのです。その点も、私は横浜在住なので、時間的にも経済的にも大きな負担はありませんでした。いくつもの点で、恵まれていたと思います。

芸術について、美について、アリストテレスやカントについて、思う存分議論することができる知的空間が、ここにはありました。それを望む人たちが集う世界でした。原子力発電所のシビア・アクシデントという人類の最前線で生きなければならない者にとって、それは、生きる力をふたたび得るために、傷ついた獣が森の奥で静かに身を休める聖域のような場所でした。
(続く)

*写真はイメージです。
 

 

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