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放送大学博士後期課程:1期生の立場から(14)口頭試問と博士論文の公刊

私の博士学位請求論文「ポストコロニアル的視座より見た遠藤周作文学の研究:村松剛、辻邦生との比較において明らかにされた、異文化受容と対決の諸相」は、400字詰原稿用紙に換算すると約2200枚、ごく一般的な単行本5,6冊の原稿量になりました。400枚程度を書けば分量的には充分なのですが、私はそれまでの自分の研究を集大成するつもりで、自分の命のすべてを注ぎ込んだのでした。

口頭試問は、すり鉢状の階段教室で行われました。他のプログラムの3名は1時間でしたが、4番目の私だけは、何故か2時間でした。審査委員は4名。主査は美学芸術学の指導教授で、副査は国文学の副指導教授と、英文学の教授、そして、他大学でフランス文学を講じる教授でした。(学外からは、私と一切利害関係がない方が選ばれます。)国際政治学の副指導教授は、人文学プログラムの所属ではなかったので、副査ではありませんでした。公開で行われたので、放送大学学長、同副学長、それから私が属するゼミナールの大学院生、そして一般の方々もいました。放送大学広報番組のカメラも2台入っていました。

論文の弱点を、ひとつ、ひとつ、刃物で抉られるような、我が身を刻まれる鋭い問いかけが行われた2時間でした。その批判には、真理への愛が充満していたはずですが、人間的には辛い体験でした。批判される箇所は、すべてそのとおりなのです。終わったあと、友人のひとりは茫然とした面持ちで泣いていました。べつの友人は青ざめた顔で、何もいわずに会場から足早に去りました。挨拶をしようと思っていた学長の姿もありませんでした。博士論文の審査は、審査者全員が一致して承認しなければ合格になりませんから、これまでの命がけの努力はすべて水泡に帰すのだとわかりました。しっかりと立っていることができませんでした。

後日、口頭試問をすべて録音してくれた友人が音声データを送ってくれましたが、長時間かけた、完膚なきまでの徹底的な批判から受けたダメージがあまりに大きかったので、今日まで聞き返したことはありません。指導教授からは、博士論文の口頭試問は厳しいと事前に聞いていましたが、これほどまでとは考えていなかったのです。国際日本文化研究センターの指導教授からも、審査する人々は素晴らしいメンバーであるといわれ、そのとおりだと光栄に思いましたが、私は他大学で行われる人文学系博士論文口頭試問に出席して、入念な対策をしておくべきであったと激しく後悔しました。

放送大学広報の取材の方が、素早くやってきて、カメラの前でインタビューを受けましたが、このとき私は精神的に破綻しており、理性的な受け答えが全くできませんでした。実際、このときの映像は、広報番組で使われておりません。スポーツ選手が、試合後にテレビ局からのインタビューを受けることがありますが、張り詰めた異様なまでに高まった緊張状態が解けた直後に、よく普通に会話ができるものだと思います。

その場にいた一般の方が、インターネット上に、このときの感想を投稿しています。第三者から見た、そのときの状況が書かれています。審査する4名の方々からは、私しか見えませんが、私からは、階段教室を埋め尽くしている人々の姿が見えました。身じろぎもせず、黙ったままやりとりを注視していた方々の姿が、今でも目に浮かびます。見守られていると私は感じていました。インターネットの投稿には、名前も存知上げない未知の方からの、心のこもったあたたかな言葉が書かれていて、胸が締めつけられるような気がしました。

私の論文は、約半分の分量に原稿を削り、結論も書き直すことを条件に、審査を通りました。指定された期日までに論文を修正して、その上で英文要旨を添え、さらにそれを製本して提出しなければなりません。ほとんど眠らずに論文に取り組みました。英文要旨の翻訳は、最初に依頼した業者の仕上がりが悪く、別の業者に依頼し直しました。

博士論文は、現在では機関リポジトリでフルテクストを公開することが義務付けられていますが、私は紙媒体でも書籍として公刊するつもりでした。原稿用紙に換算して1000枚の論文を出版することの困難は承知していましたが、関西学院大学出版会が博士論文出版助成事業をしていることを、私は調査して知っていました。ふつう、大学出版会というものは、その大学に関係する教員の研究成果を出版するものですが、関西学院大学出版会は、どこの大学の博士論文でも出版に応じてくれるのです。

予備論文を書き上げたころ、同出版会に事前相談したところ、国文学関係の博論を本にしたことはないが、初めての試みとして、縦組みレイアウトでも引き受けるといわれました。版下は著者側が作成して、オンデマンドで注文があっただけ販売するシステムです。著者側の制作負担金として4万円が必要ですが、4500円の定価から10%の著者印税が支払われるのは、一般の商業出版と同じです。世間名がない私は、出版社が定価を高めに設定することが多く、1冊当たりの印税はその分高くなりますが、実際の販売部数は少なくなってしまいます。学術的な著作の出版は本当に大変です。企画を出版社に持ち込むと、大抵は、大学や科研費からの助成は得られますかと最初に聞かれます。なお、関西学院大学出版会が提携する制作会社は、京都大学も博士論文の公刊に利用しています。

私は一太郎という日本語ワープロソフトを使って原稿を書きましたが、それをPDFにして、巻末に索引、英文要旨等もつける作業を大急ぎで行いました。必要な無料ソフトやその使い方については、友人たちが手助けしてくれました。2段組500ページの書籍になりました。この連載の第1回に書影を掲載したのがそれです。関西学院大学出版会のスタッフは、対応も親切で、スピーディーに作業を進めてくれました。

急いで作業したのは、学会賞の締め切りが目の前に迫っていたからです。出版会のスタッフの協力もあって、期日までに書籍は完成し、応募することができました。残念ながら、奨励賞すら得ることはできませんでしたが、この学会賞は、なぜか、翌年度から募集が停止されてしまいました。詳細は不明ですが、募集を停止せざるを得ないほどの議論があったのでしょう。
(続く)

*写真は、学位記授与式の夜、指導教授と銀座のレストランでささやかな祝いの会食をしたときに、最後に出てきたデザートです。

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