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アベバッパ 短編①  黒田勇吾

震災の翌年の三月末に、私たち家族5人は津波の被害で大規模半壊になった自宅を処分して仮設住宅に移り住んだ。役所で割り当てられ
たのは、牧野石市の中心街から車で十分ほどかかる田園地帯の小高い丘にある仮設住宅だった。私と妻と娘の三人は十七ノ2号室、別所帯だ
った義父母二人が十七ノ1号室になった。どちらも三部屋あって、家電製品が一通り設置されていたから、何とか仮住まいが出来たね、と
不満もなく喜び合って新生活が始まった。


 ようやく暖かくなり始めた季節で、仮設の周りの土手にはタンポポが咲き始め,所々に自生して大きくなった桜の木の芽がほのかに赤み
を帯びて膨らみ始めていた。
 百八十世帯が住んでいるというその横沢仮設団地の生活も一週間ほどで落ち着き、集会所のイベントにも何度か顔を出すなかで、挨拶を
交わす住人も何人か出始めた。
 その中の一人の自治会副会長の加藤さんには、その後ことあるごとにお世話になることになった。仮設の生活で分からないことや困った
時に、何かと加藤さんは面倒をみてくださった。私と同じ年の四十二歳の体格のいい男で、七の3号室に一人住まいだった。
 
 仮設で生活し始めて十日目の四月十日の朝だった。私が仕事に行くために自家用車に乗ろうとしたとき、ふと見ると後部座席のドアに黒
いしみが二十センチほど斜めに走っていた。しゃがんで確かめてみるとどうやら何かで引っ掻いたような跡のように見えた。車の中からタ
オルを出してゆっくりと拭いてみたが消えない。汚れではなくやはり傷であった。立ち上がってあたりを見回してみたが誰もいない。誰か
が悪意を持って傷をつけたとしか考えようがなく、私の心に怒りの思いがくすぶり始めた。しかし会社へ出発する時刻が迫っていたので仕
方なくその日はそのまま仕事に出かけた。


 夕方仕事から帰ってきてすぐに、加藤副会長の部屋に伺って事情を説明した。加藤さんは夕食を中断して私の車まで来て傷を確かめてく
れた。夕日が沈み始め辺りは薄暗くなり始めていた。
「なるほど、これは傘の先などで傷つけた跡のようだべなあ。ひどい事するやつもいるもんだなあや」と加藤さんは私に同情してくれた。
「傘ですか。確かにそんなものでガッと擦られたようにも思えますねえ。これって警察に届けたほうがいいですよね」私は加藤さんに尋ね
てみた。
「んだね。そうしたほうがいいびっちゃ。そしたら保険で修理代も出っからなす」
「わかりました。まあ、仮設の駐車場でのことなのであまり大げさにはしたくなかったんですが、連絡して被害届を出します」
「んだね。これから一週間ぐらい私が時々見回りしてみっからさあ。何かあったら教えますから心配しないでください」そう言って加藤さ
んは帰っていった。私は加藤さんに一礼して早速携帯電話で警察に連絡し始めた。辺りはすっかり暗くなり、山に特有の冷たい風が強くな
り始めていた。
              ~~②につづく~~

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#被災地 #PeaceFlowerAction #戦争反対  #仮設住宅 #復興

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