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【市議会議員が避難所を救った】

いざというときにその政治家の真価が問われる。それは国会議員であろうと地域密着型の市議会議員であろうと、行政の長であろうと同じである。
東日本震災時の話をまたすることをお許しいただきたい。
11年前の震災発災時のあの時に、その政治家の真価が問われたことを話します。


発災時、石巻市においては、市庁舎内にて、議会が開かれていた。
かつてない揺れに議会はいったん休止、というか避難する必要性のあるレヴェルの揺れだった。
公明市議会の一人Wさん(男性)は、すぐさま市庁舎内の駐車場から、車を走らせて地元蛇田地区に向かった。途中、予期せぬタイヤのパンクにもめげず即応して、市内の様子を見ながら、内陸へと向かった。
すでに大津波警報は出ており、まず自身の身の安全確保が最優先。
海側から内陸部へ。自身の自宅がある蛇田地区に向かった。

市庁舎は北上川より150mほどの距離に建っている。津波が来たらかなりの被害が予想される場所にあった。事実、石巻駅前にある市庁舎は、数メートルの津波が押し寄せ、それから約5日間、津波水害による水が高さ数メートルのままなかなか引かず、市庁舎を囲み、災害拠点としての機能不全に陥ることになる。市の行政の拠点が身動きが取れないということは、市内において被災して助けを求めている多くの市民を、行政が救うことができないということを意味していた。

大津波から逃れて、避難した方々が向かったのは、蛇田地区というエリア。
W市議の地元であり、自宅もそこにあった。そのエリアは、海から遠く、大手スーパーがいくつかあり、学校も小学校、中学校、支援学校などもあった。当然外は寒い。雪が降っていた。身体一つで、ようやく避難してきた方々は、それぞれ避難所になった学校の主に体育館に身を寄せた。大手スーパーは、早めに閉店した。ただし、イオンは被災した方々に無償で多くの食料品を配ったという事実は述べておきます。しかしながらそうしたことは当然数に限りがある。

また学校に避難した方々の多くはそうした状況や情報を知らずに、とにかく避難所の体育館でまずは、寒さから体を守ることで精いっぱいだった。

W市議は実家が農家であり、地域の農家の方方とも、常日頃交流を深めていた。それが大きな力になった。
地域行政はエリアごとに区というくくりでまとまっている。蛇田地区も同じ。W市議は各区長さんと連携をとって、婦人会の方方とも話し合い、被災していない農家の方々にお米を提供してもらって、一つの場所で、さっそく
ご飯炊き、を複数の釜ではじめ、炊きあがったところから、熱々のおにぎりを創り始めた。そしてある程度まとまったものを、ピストン輸送で、地域内の避難所に搬送して、避難所にいる被災者の方々にお配りしていった。
それを発災から10日間、続けたのである。農家の方方でも被災している親せきや友人、身内などがいたはずであるが、できる婦人会の方々が交代で
やり続けた。もちろんすべて無償の行動であった。
一日に約1400個、10日間でおよそ15000個のおにぎりを複数の避難所に配り続けたのである。

石巻の行政は先に話したように機能不全になってい動けない。避難所に食糧を提供できたのは、まぎれもなくW市議の不眠不休の活躍と、地域の区長さんたち、婦人会の方たちの活躍によってできたものだった。
この地域を地盤にする市議はほかにも何人もいた。
しかし彼らは何をしただろう?
いざというときに、その政治家の真価が問われるし、真贋がはっきりとわかる。

W市議はじめ石巻公明市議団3名は、数年後に石巻市の瓦礫処理を受け入れていただいた北九州市にもお伺いして、当時の市長さんはじめ、北九州市公明市議団の方方とも交流している。

W市議は、その数年後に、過労のため、生死をさまよう程の大病をされたが
奇跡的に回復され、今も市議団の中心者となって活躍されている。
昨日(20日)もこの投稿をするにあたって、再度当時の状況を確認するために連絡を取らせていただいた。7日間の奮闘と認識していたのだが、10日間やり続けたのも昨日確認できました。危うく間違った内容の投稿をするところでした。

行政が具体的に動き出したのは、確か発災から6日目のことだったと思う。
避難所に市行政が手配した物資が届き始めたという話はそのころだと
あとで聞いたし、
当時はそれぞれの家族や地域の方々を守ることしかできなかったから、
W市議がそのような奮闘をしていたこともあとで伺った。

でも振り返れば、間違いなくあの数か所の避難所の方々は、W市議の奮闘によって命の灯を消すことなく、生き延びたのだった。
公明3000の連携と団結は固い絆で結ばれている。そしてどこかの政党のように言葉だけで、行動の伴わない、なんちゃって議員たちとは次元の違う行動力を持っている。
どの議員を選挙で選ぶかによって、その地域の方々の生活は大きく変わるというエピソードを紹介させていただきました。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。

@フォトは蛇他地区にかつてあった大規模仮設住宅の跡地です。雑草が生えていて、当時の面影はなくなっていました。2021年撮影

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