見出し画像

アベバッパ 短編③ 黒田勇吾

加藤さんが私の部屋を訪ねてきたのは、その日の夕方だった。奥の六畳に入っていただいて、炬燵に座って話を伺うことになった。妻はお
茶をもってくると、いつもお世話になっております、と挨拶して娘の部屋に入った。
「山下さん、いろいろ大変だったね。さっき車見たら傷が綺麗に修理されていだがらよかったと思ったけど、まさか犯人がアベバッパだど
は思わなかったなあ」と言って苦笑いした。
「加藤さん、まあ傷の犯人もわかって安心しました。しかしあのおばあさん、何でアベバッパと呼ばれているんですか」私が尋ねると
「ああ、それは簡単な話です。あの人、苗字が阿部で、おばあさんだからバッパなのっしゃ。仮設に来る前からそう呼ばれていたようです
ねえ」
「ああ、阿部バッパですか。なるほど」
「そうそう、ああ見えて昔は渡波で食堂をご主人と一緒に経営していたそうで、ずいぶん羽振りが良かった時もあるようだけど、アベバッ
パのほうが震災前に認知症になり始めたそうで、ご主人を震災の津波で亡くされてからは、急激にその症状が進んだみたいですね。この仮
設に来たころにはもうあんな感じだったんでがす」そう言って加藤さんはお茶をひとくち啜った。
「いつもあんな感じで杖をついて徘徊してたんですか」
「徘徊なんてものじゃなくてさ、山下さん。人騒がせなバッパです。火事騒ぎも2回起こしているし、無意味に救急車を呼んだのも一回、
二回じゃありません。横谷地消防署では、また横沢仮設団地から救急だよ、と愚痴られていたようですよ。まあ、消防署は連絡が入れば業
務上動かないわけにはいかないですから来ますけど、迷惑な話でしょうね」そう言って加藤さんはため息をついた。私はそんなに酷かった
のかと驚くとともに、面倒をみるべき息子の無責任さに腹が立った。
「息子さんも四十代だっていうじゃないですか。ちゃんと母親を施設に入れるなり自分が一緒に住むなりして面倒をみるとか、それが当た
り前だと思いますけどねえ」
「山下さん、おらもそう思ったし息子さんにも何度か苦言して善処してもらうように言ってたんですが、あの息子さんも変わっている人で
ね。まわりの迷惑なんかいっこうに関知しない人なんだっちゃあ。社会福祉協議会の方にも動いていただいたんけどまったくいうことを聞
かないんですよね。困ったもんです」
「そうですか。震災によって人間が変わりましたからねえ。良く変わった人と悪くなった人と二通りありますが、アベバッパの息子さんは
後者のほうですかね、残念だけど。それとももともとそんな親子関係だったのかな」私もため息をついた。そしてこれからどう対処してい
くか加藤さんに相談した。
「車はようやく修理できましたが、また同じようなことが起こらないとも限りません。加藤さん、どうすればいいですかね」

「うん、私も考えたんだけど、山下さん、しばらくの間車を山側の一番隅っこに駐車しておいてくれませんか。自宅から三十メートルぐらい離れてしまいますが、とにかくアベバッパは山下さんの車を自分の息子の車だと思い込んでいますので、しばらくアベバッパの徘徊しな
いところに車を駐車しておくしか方法はないかと思うんだよねえ。それでどうですか」加藤さんが私に打診した。
「ああ、それは一向に構いません。しばらくそうしましょう。アベバッパに説得や説明をしても無理でしょうから仕方ないですね」私も納
得して加藤さんの提案に同意した。加藤さんはすまなさそうに頷いて、ありがとね、と言うと話は別の話題になった。
「ところで山下さん、あさっての日曜日、集会所の横の道路側でお花見会をやります。ぜひ参加してくださいよ。料理等は自治会費から出
ますので手ぶらで来ていただいてけっこうです。まずこれからのこととかゆったり桜を見ながら話しませんか」
「ああ、イイですね。道路側の大きな桜の木も七分咲きぐらいになりましたからね。日曜日が見頃ですよね」私はとりあえずの問題が解決
したことでほっとしながら、花見の参加に喜んで同意した。
「アベバッパも花見したい、としきりに言ってます。何でも津波で流された自宅には立派な桜の木が植えられていたそうで、毎年自宅の庭
でご近所の皆さんを呼んでお花見をしていたそうです。たぶんそれは本当のことだと思います。しきりと自宅に帰りたいと言っているのも
、どうやらその桜が見たいようなんですね。だからちょっとかわいそうな気がするんですよね。アベバッパが参加してきてもそのへんは穏
便にお願いいたします。同じ仮設の仲間には違いないので」と言って加藤さんは私に頭を下げた。
「いやいや、それは大丈夫です。気にしないでけっこうです。しかし、加藤さんも大変ですね」と返事をして、自治会副会長の尽力をねぎ
らった。そのあと、少し雑談した後で加藤さんは帰っていった。

       ~④に続く~

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?