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コーヒーブレイク

雨の金曜日、振替休日を満喫中の僕は、テストで学校が早く終わった中学生を車の中から見送った。そういえば、夏服と中間服が混ざっていたなあ、と気づく。男子生徒は割と半袖の割合が多かったように思うが、女子生徒は中間服が8割といったところか。

「女の子はオシャレのためなら、夏でもセーターを着るし、冬でも太腿を出す我慢の生き物なのよ」。そう言っていた恋人の言葉をふと思い出す。
理解できない、その時の僕はそう独りごちた。僕は人一倍暑がりなのだ。真冬でも下着はユニクロのエアリズムだし、パジャマは年中半袖。外着も4月からはTシャツ1枚だ。
傘を差した女子生徒たちの中に、どれだけの子が暑さという「我慢」の中に在るのだろう、と思う。周囲の目を必要以上に気にし、「社会」が学校の中という狭い世界とイコールの思春期の季節に、周囲と合わせることを「おしゃれ」と勘違いさせるような、鬱屈とした空気に思いを馳せていると、信号が青に変わった。

大人になったなあ、と思う。
多くのものを手にした。車だって買った。自転車で何十キロと走り回っていた頃にはもう戻れない。自分で仕事をし、稼ぎ、食べ物を買い、部屋を借り、生きている。

雨の季節が近づくと、毎年のように読む本がある。新海誠の『言の葉の庭』だ。
今年は、アマゾンが提供する「聞く読書」とも言うべき、「Audible」というサービスで、通勤途中や家事の合間に、この本を「読んで」いる。「読む」スピードは極端に遅くなるが、この本はたまたま、映画版の声優が役そのままに朗読してくれるので、新感覚な「読書」を楽しんでいる。

車のスピーカーから、花澤香菜の甘い声で、雪野の声が流れる。
「27歳の私は、15歳のころの私より少しも賢くない」。
とても好きなセリフだ。
学校の国語教師である雪野は、学校を「心の病」で休職し、その傷ついた心が、秋月という15歳の男子高校生から救われていく。その過程で、もがいている雪野が自らを責めながら、呆れながら、一種の諦めを孕みながら発したその言葉は、僕の胸を妙に掴んで離さない。
4月生まれの僕は、今年で29歳になった。そう、確かに、高校生の頃よりは大人になったなあ、と思う。

多くのものを手にした。この社会という広い海の中で息をする仕方がようやく分かり始めた頃に、去年の僕は「溺れた」。
何度も雪野に自分を重ねた。
苦しい日々だった。
やっとの思いで職場に復帰し、ようやくそれまでの半分くらいは仕事ができるようになってきた3月、辞令が出た。
予感はあった。でも、同時に、続投であるような気もしていた。
「運が悪かったよ」。「気にしなくていいよ」。「できることはしていたよ」。「頑張っていたよ」。同僚たちからの言葉に励まされると同時に、まるで塞がりかけたかさぶたが剥がれた時に噴き出る血の赤さのように、僕は傷ついた。
やっと、外れたシュノーケルをちゃんと付け直して、呼吸の練習をして再び戻ってきたばかりというのに、
「あんまりだ」
厳しい職場から離れられるという、嬉しいはずの辞令に傷つきながら、僕は職場を去った。

つまりは、こうだ。
「お前には任せられない。任せた我らが悪かった。別の者に任せるから、とりあえずお前は用済みだ」。そういう辞令だ、就職して1年での異動というものは。負傷兵だ。

スターバックスに着いた。少し暇を潰そう。
暑がりのくせに、肌寒い今日にピッタリなホットコーヒーを頼んで席に着き、iPadを取り出しては「それらしく」振る舞っている。

異動から1ヶ月半が経とうとしている。全く違う仕事をまた一から覚えた。ガラが悪いが子煩悩な先輩と、物腰がとても柔らかい仕事のできる直属の上司と、コーヒーカップ片手に嫁の愚痴や自身の運動不足についてなどをふっかけては業務を邪魔してくる人の好い課長と、仕事をしている。
先輩も上司も、疑問に思っていることだろう。「なぜ1年で異動になったのか」と。僕が逆の立場ならそう思うだろう。「なにかやらかしたのではないか」と。
事実、やらかしたのだ。1年で異動という事実は覆せない事実だ。嘘を言っても仕方ないが、ないはずのプライドが、「やらかした」ことについて僕を語らせない。
吐き出してしまえば楽になるだろうが、酒の席もない昨今。結局僕は背伸びをしている。

僕は、大人になったのだろうか。
よく自問自答している。そしてその「自答」の答えは、恐らく「否」なのだろうが、変な矜持が「否」と答えさせない。

そう、運が悪かったのだ。
相性が悪かった。それだけ。
前任の仕事に対してそう思いたくなる甘い囁きと、それに甘んじては本当に成長が止まってしまうという焦りとが、いつも僕に葛藤をもたらしている。

先日、職場に来客があり、1時間程度の協議があった。
議論の中身は分からないことが多かったが、協議後に「議事録を簡単にまとめておいて」と頼まれたので、本当に簡単に、15分程度でワンペーパー仕上げたものを提出したら上司が関心していた。「仕事が早いね」、と。
この程度のことができるのは当たり前で、それを前提として仕事が進み、それでも終わらずに22時まで残業していた以前の自分としては、腑に落ちないものがあったが、でも嬉しくもあった。

僕には僕の適性がある。それを活かせる職場に異動したのだ。
1年で異動してきた得体の知れない29歳の男を、好奇の目でいくらでも見るがいい。行動で、それが気にならないくらい、信頼を勝ち得ればいいのだ。

やっぱり、大人になったなあ、と思いながら、雨のスターバックスでコーヒーを啜っては時間を潰している。

そろそろ献血の予約の時間だ。
献血に行こう。「ハタチの献血」という言葉があるが(別に17歳からできるのに、といつも思っている。それに、成人年齢は18歳に引き下げられたのだ)、大人ではないとできない何かをわざとらしく、ある意味「子どもらしく」こなしながら、葛藤しながら、ゆっくりではあるが、大人になっていければそれでいい。

一番大切なものを失わぬように。
人としてしてはいけないことに手を汚さぬように。

それだけは見失わないでいられることに感謝しながら、ぼちぼち、生きていこう。

僕はコーヒーカップをカウンターに返し、スターバックスをあとにした。

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