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フリースクールに関して、議論がしたい

なんだか、今は「モノ書きたいウィーク」みたいになっているみたいです。
今日は、僕の内面の話じゃなくて、社会の、教育のお話。不登校とフリースクールに関するお話。


フリースクールって?

ところで皆さん、不登校って、何でしょうか。
学校に行きたくても行けない子どもたち……。間違いではないのですが、実は、文部科学省が不登校を調査するにあたって、次のように定義しています。

何らかの心理的、情緒的、身体的あるいは社会的要因・背景により登校しないあるいはしたくともできない状況にあるために年間30日以上欠席した者のうち、病気や経済的な理由による者を除いたもの

002.pdf (mext.go.jp)

つまり、定義上では、入院が長引いて学校に通えない子どもは不登校じゃないし、休みがちでも29日までの欠席なら不登校じゃないわけです。
でも、子どもは国の宝。
憲法第26条にも、ひとしく教育を受ける権利と、子女に普通教育を受けさせる義務と、義務教育の無償がうたわれています。皆さん、学校で暗記させられましたよね。

第26条 すべて国民は、法律の定めるところにより、その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する。
② すべて国民は、法律の定めるところにより、その保護する子女に普通教育を受けさせる義務を負ふ。義務教育は、これを無償とする。

日本国憲法

子どもへの教育が、未来の国を、世界をつくっていく。
「教育の憲法」ともいわれる教育基本法の前文と第1条にも、教育そのものの目的が明記されています。

前文 我々日本国民は、たゆまぬ努力によって築いてきた民主的で文化的な国家を更に発展させるとともに、世界の平和と人類の福祉の向上に貢献することを願うものである。
 我々は、この理想を実現するため、個人の尊厳を重んじ、真理と正義を希求し、公共の精神を尊び、豊かな人間性と創造性を備えた人間の育成を期するとともに、伝統を継承し、新しい文化の創造を目指す教育を推進する。
 ここに、我々は、日本国憲法の精神にのっとり、我が国の未来を切り拓く教育の基本を確立し、その振興を図るため、この法律を制定する。

第1条 教育は、人格の完成を目指し、平和で民主的な国家及び社会の形成者として必要な資質を備えた心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならない。

教育基本法

え、じゃあ、不登校の子どもに対しても、お金(=税金)をかけて教育した方がいいじゃん。そういう話になってくると思うのですが、ここで憲法に一度戻ってみます。

第89条 公金その他の公の財産は、宗教上の組織若しくは団体の使用、便益若しくは維持のため、又は公の支配に属しない慈善、教育若しくは博愛の事業に対し、これを支出し、又はその利用に供してはならない。

日本国憲法

難しいですね。今回調べていく中で僕も初めてちゃんとこの条文を読みました。
簡単にいうと、税金は、「公の支配」に属しない教育事業に使ってはならないよ、ということです。

義務教育は、「公立」学校でもあり、教育基本法や学校教育法の制限を受けるから、当然「公の支配」下。公立高校も、全学無償でなくても税金が投入されます。同じように「公立」だからですね。法律ガチガチです。

でも待てよ。私立高校にも税金が投入されているではないか。
調べてみると、確かにそのことに対して「違憲」という学者さんもいらっしゃるようですが、私立学校法という法の縛りがあり、「会計、人事等につき国あるいは地方公共団体の特別の監督関係のもとに置かれているということ」(内閣法制局長官答弁)がイコール「公の支配」と解釈されてもいるようなので、つまり、私立学校も一定の「公の支配」下と解されているわけです。

なるほど、学校教育法で示されている9種の「学校」に属しない、法の外である施設である学習塾なんかは、確かに助成が受けられないのはそういう理由ですね(学校教育法に示された9種の学校は、その条をとって「1条校」という言い方をします。幼稚園が「学校」であること、皆さんご存知でした?)。

第1条 この法律で、学校とは、幼稚園、小学校、中学校、義務教育学校、高等学校、中等教育学校、特別支援学校、大学及び高等専門学校とする。

学校教育法

ここでフリースクールについて考えてみます。
フリースクールって、そもそも何でしょう。
不登校の子たちが通って、畑を耕したり、本を読んだりして過ごす居場所?
「1条校」ではないから、法的には学校じゃない?

こちらも一応、文部科学省の定義があるようですが、あくまで「公の支配」を受けない民間の機関ですし、どんなフリースクールがあってもいいという前提で、文部科学省の定義を引用します。

一般に、不登校の子供に対し、学習活動、教育相談、体験活動などの活動を行っている民間の施設を言います。
その規模や活動内容は多種多様であり、民間の自主性・主体性の下に設置・運営されています。平成27年度に文部科学省が実施した調査では、全国で474の団体・施設が確認されました。

フリースクール・不登校に対する取組|『3月のライオン』×文部科学省 コラボレーションページ (mext.go.jp)

ここで、フリースクールに対してニュートラルな解釈をすれば、

  • 教育を受けさせる義務は、行政として「1条校」の提供によって果たしている。

  • 不登校の子は、教育を受ける権利を自ら破棄しているし、教育を受けたいと思ったら小中学校等「公の支配」下にある学校に通えばよい。

  • 不登校の子が、それでも通いたい民間の施設があるならば、それに対しては自費負担を求めるのは至極当然の話。

ということになります。
この解釈について、皆さんはどう思いますか?

補足ですが、教育を受けさせる義務を負うのは、その保護者です。教育を受ける権利があるのは、全ての国民ですよ(憲法第26条)。義務と権利は違うって、中学校で習いましたね。

フリースクールへの補助は、不公平?

僕には、今の段階で子どもがいません。
僕自身、いじめを受けた経験もありますが、それでも踏ん張って学校に通い続けた経験があります。
その経験は、ある意味間違っていた、休めばよかった、学校に通うことがきついと誰かに発信すればよかった、と今では思いますが、一方で、不登校に対しては、一部「甘え」があるのではないかという見方も捨てきれていません。
せっかく憲法で権利を保障されているのに、日本の歴史の中で、民主化の過程で勝ち取った権利なのに、それを自ら放棄しておいて「何か支援しろ」は、どこか違和感を覚えますし、権利は勝ち取ったものなのだという意識が日本には足りない気がします。

だから、どちらかというとフリースクールに対して公金が投入されることには反対の立場ですし、もし投入するのなら学習塾にも投入しないと不公平なんじゃない? という立場です。

まあ、僕の意見をお伝えしたところで、「そんな考えはもう古いよ」という最近のトレンドをお伝えします。
一番特筆すべきは、教育機会確保法(義務教育の段階における普通教育に相当する教育の機会の確保等に関する法律)が、平成28年に制定されたということです。
正式な法律名が長いですが、その名の通りです。
義務教育段階において、普通教育を受けられない(受けられなかった)人に対して、普通教育の程度の教育を受けることを確保することに努めましょうよ、という内容です。
主に対象としているのは、不登校の子どもやかつて不登校だった子ども、それ以外にも病気や経済的理由で教育を受けられなかった人を想定しているようです。

不登校の小中学生は、全国で20万人に迫ろうとしているようです。
20万人って、70万人の弱小政令指定都市の熊本市人口の4分の1に相当します。
ヤバい人数ですし、これだけの子どもが「普通教育を受ける権利」を行使してくれるのを待っているだけでは、国力は衰退する一方です。ただでさえ少子化が加速しているのに……。

デジタル社会で24時間情報にさらされ、踊らされる今の子どもたちは、15年前に中学生だった僕とは全く違う、厳しい環境に置かれているのかもしれません。
社会のしわ寄せって、子どもや老人といった「社会的弱者」にいくものです。
それなら、何か手を打たないと……。というのは自然な流れであって、教育機会確保法ができたのもむしろ遅すぎるくらいだったのでしょう。

それなら、フリースクールに税金どんどん突っ込んで、不登校の小中学生も学べるようにすればいいじゃん、ってなります。
実際、東京都はじめ、各自治体単位で補助金が創設されつつあるようですし、それがトレンドとなりつつあります。

ここで気になってきます。憲法第89条の存在。

第89条 公金その他の公の財産は、宗教上の組織若しくは団体の使用、便益若しくは維持のため、又は公の支配に属しない慈善、教育若しくは博愛の事業に対し、これを支出し、又はその利用に供してはならない。

日本国憲法

フリースクールって、「公の支配」を受けるものなの?
むしろ、「公の支配」を受けないから、独自性の高い、人間関係構築や社会性の獲得といった広い意味での「教育」を提供できるメリットもあるんじゃないの?

フリースクールが「公の支配」を受けない機関であるならば、そこへの支援は「違憲」だし、受けるのであれば、フリースクールのメリットが失われかねない。
ジレンマですね~。

各自治体が、そのジレンマをどう解決して補助を実施しているのかまでは調べきれなかったのですが、一説には、「フリースクールへの補助」ではなく、「利用する世帯への補助」、つまり教育の提供への補助ではなく、例えば貧困対策、ひとり親支援と同列に並ぶようなスキームで補助を創設しているようです。

んー。でも、それもやっぱり不公平な気がするのですよ。
一般的に、フリースクールって、授業料だけで月4万円とかするみたいなのです。一方、公立小中学校は無償。教材費や給食費はかかりますが、フリースクールよりはかからないのは、授業料=先生たちの給料や学校の運営費となるものは、税金でまかなわれているからです。

貧困対策で税金を使うことは大事。その子どもが育つと、今度は納税者となって誰かを助ける側に回る。国力の維持ができる。
でも、その子がフリースクールに通わなくても、公立小中学校に通ってさえくれれば、そこで浮く数万円は別のことに使える。貧困世帯への補助金を増やすことだってできる。
不登校であることは、ある意味自分で選んでいる「自分都合」なのに、なんでそこに税金を投じないといけないの……?って思うことくらいは、納税者として許されるでしょう。

じゃあ、どうすればいいんでしょう。

教育バウチャーを配布してはどうだろう

ここから、完全に個人的な意見となります。

僕は、教育にしか使えないバウチャーやクーポン券を、子どもたちに一律配布してはどうかと思っています。
まず、全ての教育に関する補助金を辞めて、公立小中学校の無償化もいったん辞めます(!)。
そして、子どもたちは、配布されたバウチャーを使って公立小中学校に通います。バウチャーは、公立小中学校で必要な授業料分プラスαが配布されるとしたら、教育の実質的無償化は担保され、憲法第26条の教育無償化もクリア。

そのバウチャー券の残りは、例えば参考書を買ったり、学習塾に通ったり、通信教育を受けたり、家庭教師を雇ったりすることに自由に使えます。足りない分は実費負担。教育業界はより潤うでしょうが、教育が充分に提供されることは国力維持につながるので、グーです。
高齢者が病院の待合室で井戸端会議を繰り広げているところに税金が使われていることを考えると、それよりマシに思えませんか?

ここでは、私立学校は、授業料からバウチャー額を引いた額をお実費負担とすればよいですし、不登校の小中学生は、学校にバウチャーを払わず、フリースクールに払います。
ある意味、子どもが通う学校を自ら選ぶことができる、というわけです。

そうしたら、教育機会の均等、平等に一歩近づけないでしょうか。
世帯の所得によって、プラスα部分のバウチャー額に区分を設ければ、貧困世帯やひとり親世帯でも学習塾にも通えるし、不登校になってもフリースクールに行ける。
バウチャーは、当然ながら、教育関連にしか使えないこととします。食費や家賃への充当ができないこととすれば、教育の経済的格差を大きく狭めることができます(貧困対策はまた別の分野=福祉の分野で対応すればいいです)。

フリースクールに対して僕は正直懐疑的な立場ですが、皆が平等にお金を貰えるなら、経済状況によって教育格差が生まれないことが保障されているなら、そのために税金は使われてもいいなあ、と思っていたりします。

余談ですが、僕は生活保護については反対の立場です。理由はどうあれ、なんで働いていないのにお金が貰えるの? ずるくない? って思います。
その代わり、ベーシックインカムを導入したらいいなと思っています。理由があって働けない人にも最低限の生活が保障される。もっといい生活水準を求めるなら、働くなりなんなりして稼げばいいよねって思っています。
働いて、税金を払うだけ払って、納税者にはあまり還元されていない今の不公平感が少しでも解消されればいいなって思います。

教育バウチャーも、それと同じような議論です。
子どもに、その世帯の経済状況に応じて一定以上の教育費を支給すれば、少なくとも今よりは教育格差が解消されるでしょうし、フリースクールに通う不登校者だけに何で税金を使わないといけないの?っていう不公平感が解消できます。

その使い道が、たとえ「公の支配」を受けない参考書や学習塾であったとしても、ある程度の「遊び」があっていいじゃないですか。今でさえ、生活保護受給者の一部は、そのお金でパチンコに行っているようですしね。その税金は、納税者である僕らが必死に働いて稼いだお金だというのに。

もっと議論をしましょうよ

あらゆる子どもたちが、厳しいこの社会の中で生き抜いていく力を得られるようにできたらいいなあ、少子高齢化のこの日本で、家に閉じこもってしまっている20万人の「宝」を有効活用しない手はないなあ、と思います。
何より、子どもには未来がありますからね。

フリースクールの事業者も、通わせている保護者も、「運営費が足りない」「利用量が家計を圧迫してきつい」とばかり訴えて、「補助金を!」と叫ぶのではなく(最近の新聞記事はもっぱらそういう記事ばかりです。社説でさえそうですからウンザリです)、もっとメタ的な視点で、「なぜフリースクールが有用なのか」「憲法第89条はどう解釈・対処すればよいか」「補助金を創設した際の不公平感、財政負担はどう整理するか」といった議論をもっと活発にしていく必要があるように思います。

フリースクール「だけ」への補助に関して、僕は反対の立場とはいえ、じゃあ実際に自分の子どもが生まれて、不登校になったとしたら補助があると嬉しいですし、自分が小中学生時代にそんな選択肢があったら、もっと違う人生を歩んでいたかもしれませんから、自分事として、フリースクールに関わる議論の経過を見守っています。

フリースクールについて、もっと議論をしましょうよ。

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